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至高のムラングシャンティに寄せて

ムラングシャンティというお菓子をご存知だろうか?

ムラング(メレンゲ)とシャンティ(生クリーム)からなる、ともすればシンプルすぎる構成のフランス菓子。これが最高に旨いのである。

私はムラングシャンティのことを敬愛を込めて「ムラシャン」と呼ぶ。
遠く異国のお菓子が急に身近に感じるこの呼び方と言葉の響きが気に入って、ムラシャンムラシャンと言っていると、そのうちムラシャンは本当に可愛いなと思えてくる。推しのスタンスを取る上で愛称は大切。

ムラシャンは尊さの象徴のようなもの。

日本ではまだ一般的には馴染みがない。
常時ラインナップに加えているお店はとても少なく限られている。
個人的には、ムラングシャンティを置いているだけで店主の拘りが反映されているお店なのだろう、などと勝手に妄想し、ムラシャンの味わいが店の味わいの傾向を表しているのでは、などと更に妄想を掻き立てられている。
もちろん初訪問の店でムラシャンが置いてあれば必ず注文するようにしているし、売り切れていた、なんて事があれば再訪問を心に留めておく。

この魅力的ガトーである“ムラングシャンティ”を積極的に触れ合うことは、ムラシャンのケーキショーケースにおけるシェア向上を促し、ムラシャンの社会的地位を向上させることに繋がる。ムラシャンを積極的に食し、ムラシャンを共有し、ムラシャンの普及促進を微力ながら果たしていきたいと思っている。

ではその数少ないムラシャン常備店のなかで、どのお店が個人的イチオシ店なのか。

もうご存知の通り、【ブロンディール】である。


理由は様々ある。
まずは純度の高いムラシャンだという事、シンプルであるがゆえキャラメル味などアレンジをしたくなるのがムラシャン、それだけアレンジの幅が効く懐の深さがあるという裏返しなのだが、スタンダードはある意味誤魔化しが効かないから真の味わいが問われる。
直球に直球を美学に美学を貫くブロンディール藤原シェフのムラシャンは、外観上は真っ白で飾り立てるようなキャッチーさは一切ない。
なのに内から滲み出てくるような力強さから崇高な雰囲気さえ漂わせている。これこそが別格の味わいを秘めている証拠。真に凄みのある形態はその裏返しとして恐ろしくシンプルになる。

ショーケースの中でひときわ白く輝く貴公子のように、ブロンディールの黄金のピックが気品に溢れたコーディネートを漂わせている。艶と素材感のある上質な白(ムラング)に生成りのような上質の白(シャンティ)、このコーディネートに黄金のピックを合わせると上品な永遠の輝きプラチナのようにも見えてくるのだから、究極のシンプルコーディネートと言っても過言ではない。虚構の装飾を廃し、素材そのものが持ち合わせる味わいを引き出すとこは、つまり自然の美を引き出すということ。
上質な素材を用い、魅力を最大限に引き出し、深い理解と独自の解釈で唯一無二のガトーへと昇華させる、それがブロンディール藤原シェフが世に問うムラングシャンティなのだ。
全てに意味が在り、そうであるべきだという理由が在る。
だから藤原シェフのガトーには夢中になってしまう、熱くなってしまう。

話を戻す。

ブロンディールのムラシャンは、二つの要素の激しいコントラストから成っている。

考えてみれば、世の中は美しいコントラストに満ち溢れている。
太陽光によるコントラスト、光と影、陽光溢れる海、空、朝焼け、夕焼け、降り注ぐ木漏れ日なんかは永遠であって欲しいとさえ願いたくなる。夏季などは特にそう感じる。
服装であってもそうだ。タイトとルーズの組み合わせ、メリハリの効いた色合い、柄、同系色の中でのアクセント、伝統と革新、ドレスとカジュアルの同一化コントラストを描く。
日常と非日常、旅に出るとはまさにコントラストを肌で感じる事だし、意外性は相手を惹きつける。甘さには酸味を、酸っぱさには甘味を、アクセントとしての渋み苦味、そして余韻を印象付けるリキュールの香り。

とりわけ、料理にはコントラストが必要だ。コントラストが効いていると美味しさが何倍にも引き立つ、柚子や生姜、山椒、刺激とも言える相反するアクセントがあるだけで全体にメリハリが生まれ、印象として纏まりが出る。

では、gâteau(ケーキ)の分野ではどうか。
味わいというてであれば、これほどコントラストが生かされるカテゴリーはないのでは?と思う。味覚として感じる要素、つまり甘さには酸味を、酸っぱさには甘味を、全体のアクセントとしての渋み苦味を、そして余韻を印象付けるリキュールの香り。
食感においても同様に、ミルフィーユにおけるハラハラと繊細なフィユタージュ生地とクリームとのコントラスト、シブーストの表面を覆う艶々に施されたキャラメリゼをパリンッと割る時の快感、粉の粒子に焼き切りザクッとした旨味をがフルーツとの対比を成すタルト。そして、ムラングシャンティにおける、儚いムラングの食感とシャンティの口溶け。
つまり、コントラストが生まれるほどに、人はそれを美しいと感じ、美味いと感じ、甘美な余韻に酔いしれるという事が言える。

ここで、コントラストを味わうために大切な要素がもう一つ在る。
構成される主要パートがシンプルだという事。
3つ4つという複雑な構成の中でもコントラストはあるのかも知れないが、真に眩しいコントラストは恐らく得難い筈。明と暗、光と闇、この二面性が強いからこそロマンが生まれる。そして人はコントラストの間を取り持とうとする。
口の中で味わう過程、渾然一体となるところに美味さが在ると信じている。
その観点で眺めてみると、ムラングシャンティほどコントラストに優れているものは無い。果たして、魅了して止まないコントラストの秘密とは何なのか?

一つ目はムラング。

ブロンディールの藤原シェフはメレンゲの名手と呼ばれている。
フランス菓子に欠かせないメレンゲ。このメレンゲを味わうまで、メレンゲとは只々甘い、ひたすらに甘い砂糖の塊という認識しかなかった。実のところ構造上その通りなのだが、際立つ個性を感じるのが藤原シェフのムラング。
時には芳ばしく、時には空気のように、時には淡雪のように、時には密に、時にはマッタリと、儚くも様々な表情で現れては消えてゆく、gâteauの目指す方向に向けてムラングは変幻自在にそして自由に姿を変えている、すべては一点の真実=美味いの為に。
しかし、殆どの場合ムラングは主役ではない。
ムラングが主役に躍り出たスターダムとしてのムラングの舞台、それがムラングシャンティなのだ。

藤原シェフのムラングシャンティにおけるムラングの特徴、それは砂糖の甘さはしっかりとあるのに低温で長時間焼き切った内部キャラメリゼとアーモンド芳ばしさによってマスキングされ甘さが風味へと昇華されている点。さらにはあの独特の不均一な形が表すように、絞り袋を使わずありのままの姿の成形で抱き込んだ空気を潰さないことにより実現する儚い口溶けである。
成形による見た目の美しさよりも目指す味を優先する味わいファーストな精神による作り方が、結果的には独自の力強く美しい佇まいを実現しているのだからこんなに面白い事はない。まさに自然界の美のようで、本来在るべき姿という説得力を伴って個人的にはグッとくる大きなポイントとなっている。本質的な要素を優先させた上で美しさが後から追いついてくる、ザ・藤原シェフを体現する重要なポイントだと思っている。
低温でじっくりとコトコト煮込んだスープが美味しいように、じっくりと、およそ8時間火入れをし焼き上げられたムラングは至高の旨さ。中は茶色くキャラメリゼが施され、空気を抱き込んで粒子が見えるかのような儚さが見て取れる、まるで砂糖と卵白によるナノレベルの要塞、美しい眺め。
この白き美しき要塞に、スペイン産バレンシア種のアーモンドプードル・スライスアーモンドが擁する気高い香りが香ばしさとともに閉じ込められたいるのだ。
誠に勝手ながら世界文化遺産に認定したいと思う。
万国共通、美しいものは儚い、儚いから美しい、そして双方を持ち併せたものは旨い。口溶けは一瞬かも知れないが、記憶に残る美味しさとはまさに。
この儚さはなんというべきか、脆い、危うい、崩れ落ちるギリギリを内包している。一見外側は強固な甲殻類にも見える艶のある乳白色の外殻、確かに掴めるくらいの硬さがある、完全に罠である。少しでもナイフを入れれば禁断の装置に触れてしまったかのように崩れ落ちるのだ、必要最低限の硬さに守られた内部の儚い構造、これこそがムラング単独での眩しいコントラストを生んでいる。
そして弾けた瞬間に広がる芳ばしいアーモンドの香りがたまらない。

二つ目の要素、シャンティ。

このシャンティがあってこそ、ムラングが活きる。
至高のムラングにはもうこのシャンティしか考えられない。
藤原シェフのムラングは単独で至高なのは前述の通り、そこへシャンティが加わると果たして何が起きるのか?
「奇跡が起きる。」
ムラングにとっての奇跡は、ムラング自身が未だ見た事のない世界へと連れ去ってくれるという事であり、ムラング単独では成し得ない地位を確立できる事。
つまり、焼き菓子としてではなく、プチガトーとして煌めくショーケースに並ぶことがムラングにとっての奇跡。
この奇跡を実現するためには、拘り抜いたスペックの唯一無二のシャンティが必要、独特の風味を持つシャンティこそが至高のムラングとマリアージュすることが許される。
まず、味わいには究極の純度の高さが求められる。
どの程度かと言うと、ダイヤモンドに匹敵する高純度・高純潔なスペック。それ以下の生半可な仕様ではムラングのあの風味に負けてしまうのだ。
砂糖は加えない無糖仕様で生クリームの持つミルキーさを極限まで引き出した、極限なまでに濃密なシャンティ。
無糖なのは、ムラングが甘いからだ。すでに大量の砂糖が投入されているムラングに対するコントラストは無糖なのである。
何を当たり前のことを?と思うかもしれない。この辺りは各々考え方によるのかも知れないが、コントラストが高ければ高いほど旨い、二つの相反する要素が口の中で混ざり合う時に旨さが生まれると確信している。
そして重要なのが無糖で甘くはないだけでは終わらせない、普通ではない風味とテクスチャー。
むしろ塩味を感じるような、塩味なのか、チーズのような、チーズも牛乳から生まれるとすればたしかに、、などと自問自答を永遠と続けしまいそうな魅惑の風味、単体で食べたらあまりの濃厚さにおかしくなりそうな、ミルキーを突き詰めた先の極限臨界点ミルキー味とでも言えるだろうか。
そして、テクスチャーから感じる濃密さ。
この濃密さは癖になる要素がある。濃密なのは大抵クセになる何かが潜んでいる。絞りのエッジィを見ると滑らかさを保持できるギリギリの仕立てであることが分かる。エッジィを効かせた乳白色のシャティは見るからに力強く、クリーミーさとは真逆の美しさ、儚いムラングに対してのアンチテーゼなのだろうか、ムラングが芳ばしく砕け散っても吸い寄せるだけの濃密な包容力が備わっているのがこのシャンティ、あぁ素晴らしい。

コントラストの正体。

ムラングを口に入れる、シャンティを口に入れる、その瞬間に劇的な口溶けが巻き起こる。
シャンティを口に入れる、ムラングを口に入れる、同じく劇的な口溶けが巻き起こる。
ムラングとシャンティを同時に口に入れる、間違いなく劇的な口溶けが巻き起こる。
どのように食べてもあの劇的な口溶けが起こる、コントラストとはつまりは食感味わいの眩しさの事で、眩しいということは即ち旨さに直結しているということになる。
ムラングシャンティの旨さ=コントラストの高さ=ムラングとシャンティの狭間に起こる現象=劇的な口溶けの相互作用=劇的な旨さ
ここで重要なのが、ムラングとシャンティという相反する要素が同時に口溶け消えてゆくという、当たり前のことかもしれないが風味だけを残し互いになにか加速するように無くなること。
どちらか一方の要素が残ってしまっては究極の口溶けは起こらない。
ムラングがシャンティの口溶けを加速させ、シャンティがムラングの口溶けを加速する、この連鎖が急激に加速する現象こそがムラングシャンティの旨さ。
一瞬の出来事だとしてもそれが劇的であればあるほど印象に残る。
さらに藤原シェフはもう一つ印象に残るための仕掛けを施している。


ムラングに忍ばせたアーモンドスライスである。余韻が長く続くのはこの芳ばしいスライスアーモンドの風味によるところが大きい。口溶けの後にフワッと立ち昇るように抜けて行く風味の良い旨味、甘味と乳味を程よく断ち切るというキレの良さもある。
甘さを抑えるのではなく、それ以外の要素で昇華させる方法。なぜならば、美味しいと感じるのは甘いという脳へのダイレクトな味覚が、まず必要だからだ。甘さで騒めきを起こし、乳味で甘美を加速させ、芳ばしさで覚醒させる。
この一連の流れこそが、至高の旨さを実現している。

最後に。

ムラシャンが如何に素晴らしいものか、シンプルにして奥深い可能性を秘めたムラシャン、しかしその奥深さの裏にはシェフの哲学とも言うべき考えが貫かれている。
だからこそ、他の何よりもムラシャンが気になってしまうのだろう。ムラシャンに揺られている。

中でも、藤原シェフ紡ぎ出すムラングシャンティは、是非とも一度味わって頂きたい。
必ずや目眩く衝撃が起こる事をお約束する。

fin.


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