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機器が奏でる深夜3時の演奏会

・音キチ

普段の生活において耳にイヤホンが刺さっていることは、もはやマスク同様に日常であり、エチケットなのではないでしょうか。私も現場仕事中の連絡、オンラインアプリでの会話や今この作業をしながらもイヤホンから音楽が流れています。そしてその鳴っている音のクオリティーも非常に聴きやすくて、どんな状況でもほぼ同じクオリティーの画一された音を楽しむことができます。
そして最近発表されたアップル製品のHomePod miniという製品があります。どんな音を鳴らすのだろうかという、オーディオ目線で気になっていて購入する予定です。

そんなオーディオには高級機の世界があります。

「小生を音キチと呼ぶ人がある 〜中略〜 小生はただ、少しでも音楽をいい音で聴きたいと願っているだけにすぎない。」

このくだりは「オーディオ巡礼」という本の冒頭です。
音キチとはオーディオマニアのことを指し、私も少しだけその入り口程度ですが、ハマっていた時期が数年あります。今は財力と共にその熱も落ち着き、その時期に出会ったオーディオ機器と適度な距離感で付き合えています。
しかしながらその機器にたどり着くには、紆余曲折がありました。
音キチとは自分の音を求めてさまよう音ゾンビなのかもしれません。

・人によって音が変わる

オーディオ機器を組み合わせて音を作る面白さは、人それぞれの思考や性格が違うように、出来上がった音も全然違うとこにあります。
たとえばですが、自分は雑な性格なくせにインテリジェンスを感じることに関わろうと背伸びをするタイプです。
出来上がった音もバランスが良く、女性ボーカルものは艶っぽく聴こえてきれいだし、弦楽器や管楽器もそこそこ響きや伸びもあり、詳細な物音も拾ってくれる感じになっています。我ながらインテリ感ある音に仕上がっていると思っています。
一方で一緒にハマっていた友人がいるのですが、彼はというと読書家で神経質なところを兼ね備えていて、何事にもこだわるところがあります。
そんな彼の作った音は音が鳴った瞬間に一瞬で音の世界に包まれるような感じで、いうならば一発でオーバードーズさせられてしまうような迫力ある音の上に、音情も豊かで美しさも兼ね備えている音が空間をうならせます。
私の音も友人に褒められる程度には仕上がっているのですが、あの一音で飛ばされるような空間にはさすがにノックアウトさせられました。
もちろん同じ機器を使っているわけではありません。私のCDプレーヤー、LPプレーヤー、アンプ、スピーカーを全て足した金額が、彼の所有しているアンプ1台の金額なのです。だからそうなっても仕方がないのではありますが、それでも金額以上にそんな音を鳴らすものにたどり着いたということ自体に、音同様に迫力を感じることができるのは、音キチ冥利に尽きるたまらない瞬間だったと思っています。

・音ゾンビ

そんな機器にたどり着くまでの道のりには、当然のことながら失敗がつきものです。
私の人生でものへの最大の出費は、スピーカーです。
オーディオの世界では音の入口(プレーヤー)と出口(スピーカー)は大事だと言われていますし、特にスピーカー選びは難しいです。
私は中古車しか買ったことはありませんが、1台目に所有したスピーカーがその中古車くらいの金額でした。ちなみにそのスピーカーもデモ機の中古品でした。何度もお店で試聴させてもらい、音もデザインも気に入っていたので購入したのですが、いざ自分の部屋で鳴らしてみると聴き疲れが半端ないのです。聴き疲れとは音がキンキンと響いてきて、音を痛いと感じるのです。裏を返せば音がそれぐらい鋭く綺麗といえるのかもしれませんが、音楽を楽しめない音が鳴っているのです。
これではいかんと友人から機材を借りたり、お店の方に相談しながら調整してある程度聴けるようにはなったのですが、最終的には納得いかずにそのスピーカーを手放し、そのスピーカーの倍近い金額の今のスピーカーを、初めてクレジットカードを作りローンで購入し、納得いく音にたどり着くことができたのです。
これが完全な音ゾンビモードです。

・音が静かになるということ

そんなことを経て、ある程度自分の納得できるシステムに落ち着くことができた時、友人が私のシステムを視聴してポツリと言ったことがあります。
「いい音って静かになる。」
その通りなのです。どういうことかを簡単にまとめると、オーディオとはどれだけノイズの少ないクリーンな電気を機器に届けるかの作業でもあり、拙宅ではオーディオの電源用にブレーカーを増設し、そこから専用の電線を引っ張り、それをオーディオ専用のコンセントに繋いでいます。そのコンセントに電源を挿すのですが、とにかく初期は固くてなかなかの挿し辛さで、挿したあと抜くのにはもっと力がいります。
お店の方によると、このコンセントをテレビに使うと映像が綺麗になるのでゲームなんかにもオススメかもとのことでした。要はそれだけノイズの混じらないクリーンな電気を装置に送れるということだと思います。
何が言いたいかというと、いい音は水が濁りがとれて澄むように、音もノイズがとれて澄むということなのです。
いい音だなーと感じると確かに音は静かなのです。
だから耳障りがよくなり、よりよい視聴時間を長く楽しめるようになるのだと勝手に納得したのです。

・深夜3時の演奏会

最近はたまにしかオーディオ機器を立ち上げない生活になりましたが、ふと思い立つ瞬間があり、その時にたっぷりと味わっています。
私の住まいは繁華街の端にあるビルの3階の一室にあり、コロナ禍であまり関係なくなりましたが、深夜まで騒がしい場所にあります。そんな場所でも深夜3時を過ぎればさすがに車の音以外は静かになります。
たまに深夜に目が覚める時があります。静まりかえった空間で、なんとなく音楽を聴きたくなり、オーディオ装置に火を入れ、約1時間(CD)の深夜の演奏会に空間が変わります。
深夜の静まりかえった空間に弦楽器や管楽器、鍵盤の音が立ち上がってきます。立ち上がってきた音が空間に響いてきて、自分は目を閉じその空間に没入します。まだ音が温まってないなとか勝手に想像を膨らませます。だんだん演奏者や楽器が温まっていくように、しばらく使っていなかった機器たちへの通電が安定し、真空管アンプも温まってきたのか、演奏が気持ちよく体に響いてきます。ちなみにこのビルには自分しか住んでいないので、おそらく通常ではないかなという大音量が部屋に響いていると思います。しかし、そんな大音量で流しても聴き疲れしない、自分にとって心地いい音が空間で鳴っているのです。
そんな想像も膨らませなが没入していると、一枚のCDは止まり、深夜から早朝へと時間が流れています。目を閉じたまま朝のアラームがなるまで余韻に浸りながら微睡みタイムを味わいます。
今はたまに味わうこういう時間が、かつて音ゾンビだった私にとっての贅沢になっています。

オーディオ機器も人間と一緒かもしれません。使い込むことによって通電が安定してエイジングされていき、本来の音を鳴らすようになるようです。
そんな時間を共に過ごすことで愛着が生まれ、その大切さが私の中で音楽になっていくとも言えるのではないかと思っています。
そして、私はいい音なんかはなくて、ただその人の音があるだけだなーと勝手に思っているのです。

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