利用することで取り込まれる空間

 現在は自分の生まれたときとは違い、既に繋がっていることが当たり前の世の中になっております。しかし、自分のような世代が、それを前提条件として捉える行為自体が、もはやどうなのと言っても、言い過ぎではないレベルになっている状態が、現在なのではないでしょうか。
 今回、「ひとり空間の都市論」を読んでみて、改めて空間を移動する行為の中で感じた、部分的な繋がりとはどういうことか考えてみることにしたのですが、大したことは思いつきませんでしたので。少しだけ妄想にお付き合いください。

 以前、ユーザーとして、スペースマーケットやAirbnbを利用した時に、便利さとあまりの使いやすさに、これだったら自分も簡単にユーザーから、ホスト側になれそうな気がしたことを、本書を読んで思い出しました。
 そこで、今回はその具体的な活用法を妄想してみました。
 まずは、スペースマーケットを利用して、以前お好み焼きを中心に、鉄板焼きのメニューを出していた、カウンター付きの店舗スペースの活用方法です。
 この物件は知人の物件で、借り手がいなくて、空きスペースになっております。交渉次第だとは思うのですが、税金や光熱費のことを考えると、おそらくただでは使わせてくれないと思うので、自分がその物件を借りて、運営することにはなるでしょう。
 飲食スペースになる可能性は高いと思うので、自分が食品衛生管理を習得し、責任者となり、そのスペースで飲食店を借り営業できたり、プレ営業の練習に使えたりするのはどうだろうか。
 あとは、ホームパーティー・スペースみたいな使い方もできそうだ。借りる側としては、そのようなスペースを使ったことがあり、調理道具も揃っているスペースだと、あとは具材と調味料等だけ持ち込めばいいので、いろいろ悩む必要が少なくて済むのがよかった。
 贅沢を言えば、後片付けがオプションで付いていたら、是非また利用したいと思う。
 とは言え、自分がホスト側の場合は、後片付けしたくないので、ホスト側にも後片付けを委託できるオプションがあれば利用したい。
 このように考えていくと、いろんな繋がりが発生していくが、別に顔を合わす関係性は一度も発生することはない。すべてアプリ内での選択によって、支払いまで完結するので、自分の物理的空間には何の影響もない。結果的に深く繋がる必要のない関係を維持できる可能性が極めて高い気がする。あくまで妄想の話だが。

 もう一つ自分が利用したことのあるサービスで妄想してみる。
 Airbnbを使って、数回ドミトリーを利用したことがある。共同のシャワー、トイレ、ランドリーがあり、あとは自分が寝るだけのスペースと荷物を入れる、ロッカーがあるだけのシンプルな宿泊施設。ロビーに飲食スペースはあるが、ほぼ寝るだけの場所なので、あとはその場所半径数メートルに生活に必要な、交通手段や飲食関係が充実していれば問題ない。
 そして支払いはアプリ内で完了しているので、朝食等を利用しない限りは、一切発生しない。
 これが、ざっくり利用者として体験したことだが、ここからはホスト側になって、妄想してみたい。
 自分の住んでいる鉄筋コンクリート4階建てのアパートは、自分の部屋以外に2DKの空き部屋が3部屋ある。エレベーターはない。室内施設はほぼ自分の部屋と同じとすると、「ザッ昭和」ということになる。どういうことかと言うと、畳、シャワーなしの風呂、和式トイレ、給湯器がなければお湯は出ない。
 今現在では、大変不便な物件ということになります。これを逆手にとって、昔の不便な設備での生活を一泊から、味わってみませんかというコンセプトでやってみる。部屋のデザインは「TOKYO STYLE」(都築 響一)に出てくるような、ちょっとレトロ感がある90年代後半のような感じにして、雰囲気も醸し出す。
 こちらの物件も、ただでは貸してくれないと思うので、まずは自分が部屋を借りて、又貸しする感じになるのは否めないでしょう。
 このように空間を演出することで、他所とは違う不便を味わい、深く堪能してもらう体験を、提供することで、部分的に繋がれる面白さを提供する。

 このように考えると、今自分たちは複数のアプリを通して、部分的に繋がっている関係を形成しているし、それはアプリを媒介として、絶えず入れ替わる協働や協創の運動、シェアリングエコノミーにも繋がっているのではないかということが、今回「ひとり空間の都市論」を通して、感じたことのひとつだったのでないかと思いました。
 そしてこれは気づかないうちに、そのシステムの中に取り込まれているという、現象のひとつなのではないかということも、同時に感じることになるのが、面白いなとも思ったりしたのであります。

bit.ly/planetsclub

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