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性別

仲がいい友達に、私は必ずこの質問を聞く。

「男と女の間に、友情はあると思う?」

聞かれる相手は男の子でもいて女の子でもいる。もちろん回答が分かれている。でも「ある」か「ない」という二文字の答えより、私はその後ろの理由が聞きたい。

私は完全にあると思っている。自分の周りを見ると、男友達と女友達の数がほぼ同じだ。実際、男の子と一緒にいるほうが楽に感じた時期にもあった。
この質問に関しては、たぶん自分は友達を何を求めているのかということにも繋がっている。私は昔から共感を求めて友達を作っているわけではないので、逆に私が持っていない視点の人と一緒にいる時に面白さを感じていて、話すのがとても好きだ。
それは、全然自分と同じタイプの人と友達になっているわけではなく、大きい価値観がマッチしている上で、世界や物への感じ方が私と異なっている人のことだ。

母親にもその質問に聞かれたことがある。大学に入って、今住んでいる街にきてから、すごく仲がいい男友達ができて、その人がいつもお私の面倒を見てくれている。向こうは私よりちょっと年上だし、私より数年早くここに住み始めてるので、いつも私が困っているときに手を出してくれている。

「その子とはただの友達?」空港に行く電車で、母親が聴いてくれた。
「そうだよ。いつもいろんなところに車を出して連れてくれてるし、困ったときは助けてくれるし、話も聞いてくれるし、一緒にいて楽しい存在だよ」と、心の中で思っていることを正直に母親に伝えた。
「異性として見たことがないの?好きとか、そういう感情が一切入ってないの?」

母親は、男と女は本質的違いがあると主張していた。
生理的にはもちろん、そのほかにも、性別で分かれられる、何かの違いがあると。
それは正直自分の感じたことがある。男はそういう傾向がある、女は大体ああいうことを好き。あと、出ているホルモンが違う気がする。私は実は気づいている。
でも、私はどうしても、性別で人を分かれることが心から嫌いだ。

人は、男や女というアイデンティティの前に、一人の人間でいることを忘れたくない。
一人の人間でいる限り、性別で「男だからそう思うでしょ」「女だからこれが嫌いでしょ」という決めつけが押し付けられたとき、たまに吐きそうになる。

女友達に聞かれたことがある。
「なんで男友達がいっぱいいるの?」
それは嫌味がなくて、ただの質問だった。だから私も喜んで答えた。

「たぶん私は、友達のことを、男か女という認識する前に、一人一人特別な存在だと認識している」

男だからこういう接し方がいいとか、女だからこういう距離感の縮み方を取ったほうがいいとか、
関係性の中で、理性を動き出したくない自分がいつもいる。
一人一人育てられた環境も違うし、経験してきたことももちろん同じではない。この世で、まったく同じ時間を過ごしてきている二人は見つからない。だから「この人の性別はこれだから絶対こういうことがあるでしょ」という、この人と完全に分離している「先入観」を断言する勇気は、私にはあったことがない。
その代わりに、Aと接するときに、Aという接し方で、Aとしか作らない雰囲気を楽しみながら、一緒の時間を過ごしている。同じく、Bと接するときに、Bという接し方で、Bとしか作らない雰囲気を楽しみながら、一緒の時間を過ごしている。
Aは男の子で、Bは女の子でいる前に、AはAで、BはBである。自分にしか経験してこなかった、見てこなかったことや景色があって、一人一人特別な存在だ。
私の理論を聞いて、「いやいや、全然理解できない」とか、「理解できるけど自分はこう思わないかな」とか、違う反応をくれる私の友達も全然いるし、みんながそれぞれそれを理解する方法があって、すごく素敵だと思っている。
今考えたら、たぶん私は、そういうどうでもいいくだらない質問を付き合ってくれる人が、友達だと認識している。

アイスランドに行く飛行機で眠れなくて、こんな薄っぺらい文字を書いてた。

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