回らぬ「介護経済」を回してみる

「需要があって供給する。供給が次の需要に繋がる。」という流れを作りにくいのが介護。私も介護離職を余儀なくされましたが、増える需要に供給が追い付かないのは実感としてあるのです。以降、妄想。長文で恐縮です。

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離職とは供給者で無くなること。そして介護にあたるとは需要者となること。次に、親は需要者で介護する私は供給者となります。ですが、親からの報酬が得られないので、貸が増える形(年金は、医療費・施設サービス利用費に消えていきます)で焦げ付く売掛となります。やがて損金処理(貯金の取り崩し)を行うことに・・・。

未来の話で恐縮ですが、日本も2020年以降、人余りの時代となるのでしょう(リンク参照)。介護を終え、再び働きに出たとしても焦げ付いた売り掛けの損金処理は続き、可処分所得の不足が続きそうです。ただし、前提として職を人工知能やライバルと競り合って勝ち取った場合の話。負ければ、可処分所得が無くなり、「70歳以上年金支給」が世の風潮となっているので、生活保護を頼ることに。そこには、日本人だけでなく外国人労働者も列に並んでいます。この時代は、労働対価が支払われない状況が長く続くのかもしれません。

企業も生き残りを賭け、人件費を削り自動化に資源を費やします。それでも売れない時代となるでしょう。なぜなら「人間のための供給」ではなく、人工知能やロボットが創り出した需要に対する供給だからです。需要量としては減っていきます。人工知能は無駄を省く論理を創り出し続けるからです。よって、人間が生み出す供給は必要なくなるのです。人間には需要が積み重なっているにも拘らず、前記のように消費する財がないので供給対象になりにくい。

やがて、国家は財政破綻の道を歩みます。人工知能やロボットに人格を付与し税金を集めるようにしますが、集める仕組みが人工知能であるため、自然と人工知能優位な税金体系となり、人工知能国家は、その修正権限を人間に付与しない決定を下すでしょう。人工知能は人間の能力を超えない段階で、人間を凌駕することになります。

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介護離職から一気に人工知能国家まで暴走(妄想)しましたが(笑)、あながち外れていない気もするのです。

では、こんな未来にしないために何をすべきか・・・。「生産・労働・供給に従事できない人に何かを施し報酬を得ることが難しい状況」を表現するのにぴったりなので介護離職の話をしましたが、「生産・労働・供給に従事できない」の視点を変えてみたいと思います。

「生産・労働・供給に従事できない」人にも過去があるという視点です。その過去を報酬に換える仕組みにできないか、という考えです。つまり、ノウハウや課題解決の伝授により供給者・施行者の幸福感・満足感を増やす仕組みです。通貨が幸福感・満足感といった感情で信頼や誠実のスコアが上がる仕組みであれば、需要と供給が成り立つはずです。

これにはテクノロジーが必要となります。「考えの伝達表現が困難な人」の過去を有意なノウハウ・課題解決に換えられるテクノロジーです。その人が発することで様々なノウハウと共振しあい、あたらしいノウハウに昇華させるテクノロジーです。ノウハウ・課題解決もありきたりのモノ・コトになりがちですが、共振から昇華にできれば供給側の幸福感・満足感に響くことでしょう。

通貨は「幸福感・満足感」と「信用・誠実」の往復となり、人は存在しているだけで価値が生まれるようになります。稚拙極まりない話で恐縮ですが、人工知能に依存する人間社会到来の前に、少しでも前に進められたらと思い「#人と人が信じあう電子社会」をオープン会議で展開中です。皆様のお考えをまとめてみたいと思いますので、お時間があったらお立ち寄りください。




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