読み手に委ねられる"陰謀論"と"妄想"の違い
私の妄想で前回「万民よ、おそれず ”妄想” せよ」を書きました。その "妄想" と、リンクのFT社記事にある「陰謀論のQアノン」の人達の書いていることとの根本的な違いを妄想し主張を展開してみようと思います。
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「妄想」は書き手個人の範囲で治まる文。「陰謀論」の文は妄想を外に展開しようとする意志が働いた文。そのように定義しています。
妄想とは:空想より確信がある。人々に共有されないが、真実に近いと信じている事柄や事象
と、上記リンクの記事に書きました。つまり、共有されないことが前提。そこが違うのだろうと思うのです。
多くの論理や科学は、仮説から証明し拡散します。陰謀論者はその証明を疑い拡散します。そこには、共有を欲する意思が働いています。
「Like」「いいね」の数がその証左となるのです。
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ということで、私のような妄想は「Like」「いいね」がつかない方が都合がいい(笑)。共感なし共有なしが、妄想の本望なのであります。
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