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ベーシックインカムと "意欲"

「意欲」を盛り上げるベーシックインカムとはならないものか・・・。

ユニバーサルベーシックインカム導入に躊躇される人々によく言われるのは「努力しない人間が増える」という事。

人間には三つの役割があると仮定してます。それは、「生産・消費・生活(教育・文化・環境・福祉など含む)」。これから先、テクノロジーが発展すると "生産" の役割が減ってくると思っています。ヒトの代用(ロボットや人工知能)に置き換わります。

努力の解釈を「生産」にしてみれば、そもそも努力する先がないことになります。強引すぎますでしょうか。

これを進めていくと、"人間は「消費・生活」の役割をもつ" と変化していきます。そうすると、消費で報酬をもらう図式にしないと社会が成り立たない。

「"代用" が生産したモノコトを消費すれば報酬が出て、その報酬で生活を成り立たせる」という事になるのでしょう。

まず最初に消費するためにユニバーサルベーシックインカムからの支給を充てる。売り上げから供給側は "代用" に投資する。つぎに供給側から報酬が出る。報酬により、次の消費にあてる。もしくは生活にあてる。政府は、消費と "代用" から税を得て、ユニバーサルベーシックインカムにあてる。この繰り返し。

つまり、努力は「消費」となるわけです。ユニバーサルベーシックインカムは、消費を促す基本的な仕組みとなりうる。それが、私の "超妄想" です。

(「ベーシックインカムと・・・」をシリーズ的に書いていますが、孤立感が増しています・・・泣。けれども、どうしても書きたくなってしまう。ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございます。)



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