老若男女が不満をあらわにする時

この記事にある通り、「テロの先駆者」というブラックジョークにもできない比喩があてはまる日本。「恐怖に陥れるには、なにが有効か?」の問いに答えてしまった日本。その過去が重くのしかかります。

近年でも、「移動する凶器」である自動車によるソフトターゲットを狙ったテロが報道されるようになりました。加害者の主張は「自身に正義がある」という事なのでしょうが、「全くの意味不明」の主張のために多くの人が被害に会い、命を奪われました。

加害者は、「この心境に至るまでの自分を理解してほしい」の一点張りで頭がいっぱいになっているのです。「自身は被害者であり救済されるべき存在」なのであり、「迫害され排外されて憤り、この行為に及んだ」と主張したいのでしょう。だが、その行為の先にあるのは、主張の有無に関わりなく無関係の人が多大の害を被るという現実であることに気が回りません。

「気付かせ注目させるため」の行為は、前出の様な悲惨な行為にとどまらず、様々なハラスメントであったりします。万引きや詐欺・詐称や偽装などにも通じます。総じて、「やってはいけないことをやる」論理に踏み込み「自身の考えに引き込ませる」狙いがあるのです。加害者は無意識にうちにその行動に出ます。日常の「煽り運転」や「低俗なデモ行為」もその一環です。

「テロの発端は日常にある」ということ。自身がどうなろうと後先を考えずに行動を起こす。不満が解消されないと感じればエスカレートせざるを得ず、エスカレートした自身に酔いしれてしまう。老若男女問わず、起こってしまう現象でしょう。酔いしれている自身をSNSなどで公開し、その反響で更に深酔いする悪循環を起こしている様が日常となりつつあります。

「やってはいけないこと」は、なぜ「やってはいけないこと」なのか。あらためて考える必要があります。不満の種は、この時代にはたくさん埋め込まれており、いつでも発芽し蔓延る旺盛さを備えています。その不満をよく分析し、自身で解決できること、だれかに支援してもらえれば解決できそうな事、社会全体でルール化すれば解消できそうな事に分けるようにすれば、不満の発芽を抑えられるでしょう。「不満を解消しようとすれば、無関係の人が害を被る」ことであれば解消術を駆使し、その上で被害者を出さないために「やってはいけないこと」として明示し共有化することの繰り返しが大切です。昔から繰り返されていますが、今の時代だからこそ、必要なのだと感じています。

「不満を放置しない」。これが何より大切です。自身の不満を自身でよく観察する習慣を心掛け、解消術を磨いていきたいと思いました。



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