バイトテロリストよ、食の断末魔を聞いてみろ

「チキンナゲットの鳥の断末魔」「フィッシュフライの魚の断末魔」「サラダの葉っぱの断末魔」「コメのゆでられる断末魔」「ジュースの擦られる断末魔」・・・

食は「断末魔」が集まって構成されます。・・・?、「魚に声あるの?植物に意思なんぞないでしょう?」、いいえ、これは例えです。みんな命があるという例え。私たち人間が聞き取れない「断末魔」があるのです。

「じゃ、牛乳は?」、良い質問です。これも間接的に考えるとよいでしょう。牛の内臓にはたくさんの微生物がいて、それらの死骸が栄養素となり牛を構成し、牛が受精したところから牛乳が誕生します。そして、牛本体も子牛も「断末魔」とともに食料に代わります。

「バイトテロリストたちよ。命をもらって生きていることをもう一度考えるんだ。反発するなら、一切の食を断ってみろ。餓えてみろ。体が動かなくなることを経験してみろ。そんな勇気もないだろう、君たちには。自身の不満や承認欲求に促されて、命の叫びのようなまねごとをしたとしても、それは『断末魔』からすれば嘲笑の対象でしかない。」

「いのちをもらっていのちをついでいく」。これを人間は忘れているのかもしれません。みなさん、あした餓えてみますか?



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