妄想:テストに "記憶力" はいらない

基本的な応用問題試験もなくなるのかもしれません。人工知能が試験に合格できる確率は格段に上がってきたと聞きます。

象徴として書くとすれば「記憶力」。応用も記憶をたどって合成して解答する。それは、最早、人工知能の領域だということ。

だとすれば、ニンゲンのスキルの量計はどのように測ればいいのか。

そもそも、量計して何に当てはめようとしているのか。

生産として仕事をして報酬をもらい、消費と生活 を回していく。それは、政官財学どこでも同じサイクル。それに当てはめて、スキルと生産能力による報酬が決まる。スキルの量計は、生産と比較できる事柄となります。

だとすれが、それは、人工知能の独壇場となるのでしょう。であれば、ニンゲンは、生産・消費・生活のサイクルをどう廻していけばいいか。回していくにあたって、どんなスキルが生産と比較できる事柄なのか。

生産に比較できるスキルを大量に最速に持ち合わせている人工知能。人工知能に比較して求められる生産性のレベルに達しないニンゲン。試験を受ければ不合格となります。

では、ニンゲンの報酬:消費につながる生産とは何か。

次のサイクルである 消費・生活 で求められる需要に対して、応えていく供給 "アイディア" なのだろうと思うのです。同時に、先読みをした "来るべき 消費・生活 " への供給アイディアとなるのでしょう。

ただ、人工知能が生産をひとえに担っているのだとしたら、人工知能も "来るべき 消費・生活 " のシミュレーションは済ましているのでしょう。現状の需要はとうの昔に結論を出し、生産に移って供給を開始しているのでしょう。

アイディアさえも越されてしまったニンゲン。生産に就けずに報酬の当てがなくなる人間。

唯一残された報酬は、「人工知能の所有者としての配当」ということ。

つまり、ニンゲンの "生産に比較できる能力" とは「人工知能をいかに所有するか」ということになります。優秀な人工知能を所有し、社会の需要にたいして供給していく、その割合の多さで報酬が決まっていく。

次のサイクルである 消費・生活 は、自身も体験していることですから、「どんな人工知能であれば、必要や欲しいに応えてくれるか」を想像することができます。それを、所有する人工知能に "教える" のです。

人工知能はありとあらゆる事柄とつながっています。自身が教え込んだ事柄も他で教え込まれた事柄と一体となって、深く学習していくことになります。

後は、「いつ供給するか」という "決断" です。そのころの人工知能には「ニンゲンの決断に従う」という "遺伝子" が組み込まれており、特に所有者の決断は重視されます。つまり、ニンゲンは「決断」するという生産を行うのです。

結局、ニンゲンは「所有する」ことと「決断する」ということが生産と比較できるスキルとなり、その量計が "試験" の中で計られていくのでしょう。設問も「所有と決断」に関する内容となっていく。そして、解答を人工知能が解析し、量計レベルが判明していき、生産で所有できる人工知能レベルが結果として掲示され、それが合格か不合格に繋がっていきます。

社会の基本要素である "生産"。それを担う人工知能。それを所有するニンゲン。今の社会とは違う構造の中で、私たちは「進化したニンゲン」であるのか、常に試されることになります。

編集者の視点 「学生が試験にChatGPT使用か」など3本(NIKKEI Tech Foresight 参照)


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