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久米泰介はかく語りき

国際男性デー、おめでとうございます。ただ実は私としては、この日を喜んで迎えられたわけではありません。数日ほど前から、マスキュリズムの日本における草分けというべき存在である久米泰介氏のサイトが閉鎖されています。こういうことは以前に何度かあったとも思いますが、このまま久米氏の考え方(の根幹)がネット上で失われてしまうのは非常に忍びないと思います。

久米氏があのサイトで訴えていたことは、主に次のようなことでした。

①マスキュリズムはジェンダー保守派・復古主義とは組まない
②女の性表現の規制ほどには、男の性表現も規制せよ
③アカデミズムの中でマスキュリズムの人材が必要だ

このうち①は、マスキュリズム思想の根幹に関わる主張であり、私も深く共感した主張です。

『第二回 男性のレイプ被害者「ゼロ」の日本:日経ビジネスオンライン』より

ここで、男性解放(メンズリべレーション)をめぐる状況を整理しておきたい。立場や考え方から、大きく4つのグループに分類できる。
1. 「男性差別問題の当事者」。例えば離婚時に親権がとれない男性、父子家庭援助が受けられない男性、性被害を受けた男性など。当事者のグループは、差別撤廃をしていくうえで必要な母体である。
2. 「男性差別撤廃派」。個々の差別だけでなく、社会全体的な男性差別も含めてなくそうという理念を持つ人たち。フェミニズムの男女観に対しては、男性を一方的強者、女性を一方的弱者と見る点について批判的である。「男性差別」や「男性の権利」という言葉を使う。日本においても大部分のマスキュリストはこれに属する。
3. 「メイルフェミニスト(男性のフェミニスト)」。「男たちの意識革命」の言葉を借りれば「女性たちの言うとおり、男は長い間、女性の権利を押さえつけてきた。だから男性解放とはそうした過去への贖罪として女性運動を支援することにある」と考えている男たち。彼らは男性の被抑圧を認めることができないので「男性差別などない」と言う。日本の男性学を名乗る学者は大体この系統に属する。
4. 「復古主義者たち」。「女は家庭に帰れ。男は権威と力を取り戻せ!」と叫ぶ。
分かりやすい例として、DV被害支援を挙げよう。
「男性差別撤廃派」は、男性のDV被害者も女性と同じように保護しようと運動する。しかし「メイルフェミニスト」には、そもそも女性による男性へのDVなど見えない。「復古主義者たち」は、DV法そのものをつぶそうとする。
アメリカの男性運動の主体で圧倒的に多いのは「男性差別の当事者」と「男性差別撤廃派」である。一方、「メイルフェミニスト」と「復古主義者たち」はマスキュリズムの妨害勢力という点で同根である。彼らには、過去において男性は強者で女性は弱者であるという謎の大前提があり、根本的に男女の能力を互角だと見ていない古い世代である。
女性差別撤廃とともに、日本でこれから増えていくのは(現状でも増えているが)「男性差別の当事者」と「男性差別撤廃派」である。
もし男性差別を感じたり、その当事者になったりしても、「復古主義者たち」にはならないでほしい。フェミニズムを批判すると復古主義者に吸収されたり、同調してしまったりする人が結構いる。しかしそれでは男性差別はなくならないし、解決しない。時計の針を元に戻すことなど不可能だし、性差別の根本的な解決にはまるでならない。日本ではマスキュリズムを担う「男性差別撤廃派」が貧弱なので、男性差別に疑問を持った当事者は復古主義に流されてしまうが、それでは何の解決にもならない。
『マスキュリズムの敵 ジェンダー保守派』より

マスキュリズムはフェミニズムを批判するため、ある大きな政治的誤解を受けやすい。
それは、男女平等に反対する意味でフェミニズムに反対しているアンチフェミニズムの保守派との混同だ。
これはフェミニズムは半ば故意にレッテル貼りなどで、リベラルの政治の中で自分たちが優位に立つために行ってくるが、また故意ではなくジェンダー保守派も勘違いして近寄ってきやすい。
日本でも、「男と女は違うんだ」「男女平等の”行き過ぎ”は間違っている」と主張する保守派がなぜかマスキュリズムの言説や文献を一部切り取って、理解しないまま利用しているパターンが多い。
マスキュリズムの出来た経緯とその思想と理論をもう一度、確認しておきたいが、人類社会において、古来から性役割としてジェンダーが存在してきた。これを進化上の生存適応の結果と考えようが、「パトリアキーの陰謀」と考えようが、いずれにせよ、男女に強力に負荷と制限を設けるものであった。またある部分では男女それぞれに恩恵をもたらしただろう。
これらの性役割やジェンダーを保守したいのが、伝統保守派。そして、これらの性役割の内、女性に不利益を被るものを女性差別として批判してきたのがフェミニズム。そしてそのあとに出てきたのが男性への性役割や伝統的ジェンダーで男性に不利益を被るものを男性差別として批判しているのが
マスキュリズムである。
マスキュリズムがフェミニズムを批判する部分があるのは、一部のフェミニズムがある部分(つまり女性に恩恵がある部分)ではジェンダー保守派になり、その太古の昔からのジェンダーの既得利権を守ろうとするからだ。即ち男性差別的なジェンダー伝統に関すると急に「保守派」になる。
保守派はその逆で、男女平等を目指していることでフェミニズムを批判している。男女平等を徹底しないことではなく。
マスキュリズムはフェミニズムと競争しつつ、またジェンダー保守派とも戦わなくてはならない。
『これからの戦略と展開』より

ICMI2019でも自分は感じたが、男性差別に関して、社会は確実に変わりつつある。何度も我々は批判を浴びせられた。男性差別などないというフェミニズムだけからではなく、男性差別など訴えても無駄だ、男とは苦労を負わされる性別なんだ、男女のありようは変えられないんだ(女性差別は変えてきたのに?)、などと言う保守派からも。しかしやはり動けば世の中は変わるのだ。男性差別などなくすことはできないんだ、という声は所詮、男性差別を維持したい利益があるか、もしくは単なる諦観と反発だ。
もっと言えば、ICMIでポール・イーラムが強く主張していたように、保守派(性役割保守派)というのはそもそも女性中心主義(ガイノセントリズム)である点ではフェミニズムと変わらず、本質的に女に甘く弱いため、永遠にフェミニズムと本気で戦わない。フェミニズムとジェンダーロール保守派は一見対立しているように見えて、どちらも実は女のことしか考えておらず、男性の人権は一切みないという点では一緒である。
この自分が薄っすら感じていた点を男性権利運動のスピーチで堂々と言われてはっとした。やはりそう考えるのは自分だけでなくそもそもの原理なのだろう。そもそものジェンダーロール保守派(つまり既存の社会)が男性の人権は認めず、ただし女性は保護しようとする女性中心主義であったからこそ、逆説的であるがフェミニズムは早めに出てこれた。女性の人権侵害は許せないとフェミニズムも保守派も感じるからだ。男性の人権侵害(女性の利益との対立によるもの)に関してはフェミニズム及びフェミニズム系リベラルは男性を加害者階級としてみなしているから、認めないし、既存保守派は性役割の名の下に正当化しようとする。社会を維持するために男性は文句を言うな、男らしくあれ、または男女は違うから仕方がないんだと。これらが、男性が受けるダブルスタンダートな社会構造の原因である。
ちなみにマスキュリズムや男性権利運動は、当たり前だが、保守派の男が全ての原因だ、とか男社会が原因だというようなパトリアキー理論には与さない。なぜなら、これらの保守派の男はそもそも性役割の奴隷であり、その性役割によって利益を引き出しそれらの社会構造を作り出してきたのが女だと認識しているからだ。正確に言えば、社会の性役割の内、男に不利益をもたらし女に利益をもたらすものは、だが。

これらは、「マスキュリズムが何であるか、そして何でないか」を語る際に重要な指摘です。我々はフェミニズムに反発しつつも、性意識をフェミニズム以前の時代に戻すことは全く望んでいません。これまで、巷の多くのフェミニズム批判は、フェミニズムが女性の地位や価値を高めたことによって男の権益が奪われた、フェミニズム以前の時代のほうがましだったという前提で主張してきました。現在のネット(Twitterやnote)でも反フェミニズム言説のオピニオンリーダーに近いものほどこれらジェンダー保守派・復古主義の影響を強く受けている発言が見られます。

「フェミニズムのせいで女の地位が上がって、伝統的な家族観が崩壊し、結婚できない男が増え、少子化に繋がった」というような言説は、まさにその一例です。これは政治家からインセルに至るまで殆どのアンチフェミニズムに共有されているものですから余計にたちが悪いと思っています。

しかし、マスキュリズムが問題にしているのは必ずしも「フェミニズムが奪ってきたもの」ではありません。特に男性への性暴力の存在が認められてこなかった事実は、フェミニズム以前の時代からそうでした。消費社会で女性客が優遇されてきたのもフェミニズム(正確には、女性の社会進出が叫ばれる)以前からのことです。

さらに、これは後々の記事で詳しく解説することになると思いますが、最近のフェミニズムの潮流から言って、女性の社会進出や地位向上は今後「諦める」公算が高いです。その代わり、家庭内で自分の思うように暮らすことを求めるようになってきています。ここで性意識をフェミニズム以前に戻してしまうのは、こうした潮流に迎合してしまうも同然です。

②については、この記事を参照してください。

③は、久米氏が特に声高に訴えていたことでした。その人材を確保するため、高校生や大学生の読者(いたのかどうかは疑問ですが)に向けて文系の学部や院に進めなどと繰り返し繰り返し主張していました。

『第五回 母系社会がはらむ、語られない男性差別:日経ビジネスオンライン』より

この連載の第一の目的は、「男性差別」という言葉をマスメディアに、真剣に受け取られる言葉として出すことだった。つまり、「男性差別」をきちんと議論できる状態にし、タブーにしないということだ。
現在までのところ、ネットを検索しても、マスメディアの記事(学術書や論文も)でまともに「男性差別」に言及しているものはほとんどない。男性差別が取り上げられるとしても極めて限定的な事柄に言及したものか(それも少ないが)、または極端にカリカチュアライズされたものばかりだ。
唯一、自分が探して良い記事だと思えたのは、2007年にやはり日経ビジネスオンラインで書かれた治部れんげ氏の「語られない男性差別」くらいである(私は20歳くらいの時にこれを読んで感動した)。日本におけるマスキュリズムの先駆者である竹中英人さんがSAPIOで記事を書いたこともあるが、残念ながらネットには残っていない。
ぜひほかの人も男性差別に関する記事を「まじめに」、学術に近いレベルでどんどん書いてほしい。これから欧米先進国を含めて、男性人権運動は世界的にかなり主要なテーマになってくる。男性の性役割からの解放が、女性の解放から遅れてやっと実現できるようになってくるからだ。
最後に、マスキュリズムや男性差別の研究者や活動家になるにはどうしたらよいのか、私の知っている限りで書いておきたい。
男性差別をなくしていくには、まず研究者や学者が必要で、特に学術論文が必要になってくる。その際には、まず人文系の学部に進むこと(差別や政治社会運動は文系の領域であるため。私がこれを言うのは、男性は女性よりも理系に進む割合が多いからだ)。
私が23歳くらいのころ、サンフランシスコでファレルに聞いたことがある。「男性差別をなくしていく研究をするために一番おすすめの学部は何ですか?」。自分はその時は政治学などが役に立つかと思っていたが、「政治学は役に立たなかった。一番良いのは心理学だ」という答えだった。心理学は研究の対象範囲が広く、調査や実験が主体の領域であるため、今まで言われていなかったことも主張しやすい点が良い。あるいは、家族に関わる学問領域でも男性差別の研究はできる(法学や社会学でも)。ジェンダーや男性解放は欧米の方が進んでいるので欧米の大学院もお勧めだ。男性差別の研究者が増えていけば、社会の男性差別はより認識され、なくしていくことができるだろう。
関連学術書の翻訳出版が進むことも望まれる。英文の優れた学術文献はたくさんあるので、ひとまず基本的なものを挙げておきたい。意識ある人たちで翻訳文献を増やしていければと思う。学術論文を増やすにあたって参考文献はどうしても必要だ。

上文中に治部れんげ氏と竹中英人氏の記事についての記述がありますが、インターネットアーカイブで私が探したところどちらも残っていました。
治部れんげ氏の記事はこちら(無料部分のみ閲覧できます)
竹中英人氏の記事はこちら(全文閲覧できます)

『アジェンダ』より

男性差別をなくしていくマスキュリズムは、フェミニズムと同じように様々なアジェンダがあります。
これらを実現するためには学術的研究とその研究組織が必要になります。
フェミニズムで言えば、全米女性機構や全米女性学会、日本女性学会のような学術会が必要になります。
特に大学での学術論文を増やし、研究者を増やしていく必要があります。
そうしない限り、そもそも「男性差別がない」という検証を誰もしない仮説が維持されることになります。
学術的に「男性差別」がないのは、男性差別を認識し、批判している人による学術論文が書かれていない、または通っていない、それだけです。
男性差別を学術として取り上げ研究していくには二つのアプローチがあります。
一つ目、自分が研究者になること。これは男性差別に対して、批判的な意識がある男性や知的好奇心がある男性は是非目指してほしいことです。具体的には学術論文を投稿し、学会誌に載せることが活動になります。
そのためには、まず大学院へ進学すること。その際に学部は必ず、人文系を選択してください。
男性は理系になんとなく進んでしまう人が多いので、ここで注意喚起しておきますが、理系は政治アプローチや社会運動においてきわめて不利な立場になります。
文系という科目は人に関わる科目(社会科学)なので、本人の思想信条が強く、学問に影響を与えます。学問の中で自分の意見の主張ができます。ジェンダーなどそれは露骨です。
逆に自然科学という理系の分野はどんな人がやろうと答えは一つで、真実は一つです。
つまり誰がやっても、どんな思想信条の人間がやろうとも学問的には結論は一緒であり、影響を与えられません。つまり、男性差別についての研究をするには必ず、文系の学問に進まなくてはなりません。
特に男性は理系になんとなく進む割合が女性より多いのでマスキュリストは意識しなければなりません。
二つ目に、文系の学部というのは全て権力をつかさどります。
三権分立(司法、行政、立法)と現代の四つ目の権力と言われるマスコミ全ては文系出身で動かしています。学問的にも当然影響を与えています。
司法は当然法学部、そして社会学部、心理学。行政の官僚もやはり社会学、政治学の範囲です。
立法は言うまでもなく文系です。政治学が文系にあるのが見ればわかるように。
マスメディアもやはり、マスメディア研究は社会学です。マスメディア研究というのは要するに、学問的にマスメディアを監視しコントロールをかけていくものです。
この全ての分野でマスキュリズムの勢力はフェミニズムと比較してほぼゼロです。
これで、男女平等社会になるはずはありません。というよりも、男性差別の存在がそもそも実証されないのです。

再度繰り返しておきます。基本的に、ジェンダーや政治を担当する学問分野は文系です。
そして理系ではどんなに研究をしても、論文をしても学問の性質上絶対に政治的な学問的主張、ましてや政治的な主張はできません。
あくまで、立法、どのような法律を作るのが「正しいのか」という根拠をアカデミックで作ってるのは、社会学や法学、心理学です。
繰り返しておきますが、男性は理系に進み過ぎ、女性は文系に進み過ぎです。
この文理の政治バランスがあると必ず、社会制度、政治制度、法律、メディアが女性に有利男性に不利になります。
それは人文系は多数決の世界だからです。文系は学問の性質上イデオロギーの面が強いからです。
理系は繰り返しますが、技術に近いため、政治的主張や社会的主張は学問的にできません。
そもそも、なぜフェミニストたちがあれほど女性の社会的地位や権力を欲しがっているのにも関わらず、理系に進まないのか一度考えてほしい。フェミニストたちは賢い、理系にいっても権力は手に入らないということを知っているから。
要するに、法律、政治、行政(警察含)、マスコミという4大権力をコントロールしたかったら、文系で高い位置にいることが重要だからです。理系にいけば、研究はハードなのに、地位と社会的影響力は手に入らないので無駄だからです。仮にキャサリンマッキノンやジュディスバトラー、グローリアステイネム、日本で言えば上野千鶴子や平塚らいちょうでさえ、理系であったら、社会的影響力は0だったでしょう。理系では学問上、主義主張はできないし、フェミニズムなんてやることは不可能だから。
もし、現在の男性差別に問題意識があり、社会的なんとかしたいと思っている学生さんや、これからまた進学しようとしている意識の高い人は必ず人文系に進んでください。
東大の理1理2理3に進むくらいだったら、早稲田の政治学部や法学部に進む方が遥かに社会的に影響力があります。
例えば東大で文1文2文3のいずれかに進んでいれば、官僚、法律家、マスコミ関係者、学術出版など社会的に影響力の高い職業に就く可能性が高いですが(民間でもそれは同じです。)また学問上も主張することができます。
理1理2理3だと職種としても学問としてもそれらの方向性はガクっと減ります。少なくとも学問上は何もできません。
職種としても開発者、技術者、理系の研究者になれば、当然主義主張は職業上はできません。
文系の職業の場合、弁護士でもマスコミでも官僚でも自分の政治主張を職業の中で主張することができます。
『マスキュリズムを勉強するには、研究するには』より

大学院で研究することは大事。
ただし、自分のしたいマスキュリズムの研究ができるかは別。
自分はアメリカ(英語圏)と日本の学会(まあ、ジェンダーに関する分野だけだが)をざっと雰囲気は見たが、アメリカでもマスキュリズムは現在フェミニズムに比べたら比較できないくらい勢力は弱いが、それでも研究する自由、まだ風土はある。
日本はかなりきつい。
学問というのは学会誌の編集委員とレビュアーが全てで、ここが男性差別など認めないというジェンダーを持っているとまず、論文は通らなくなる。
結局、学会の中にいるマスキュリストの数を増やし、その後編集委員を増やし、最後にはレビュアーもフェミニストと同じくらいいる状態にならなければ互角になど闘えない。
場所は、社会学、心理学、家族に関わる学問など。
まあ、男性差別などないというフェミニストとは戦わなくてはならないし、
ジェンダー学とかはフェミ二ストしか現状いないからね。女性学は言うまでもなく。
ここの人数比を変えていかなくてはどうしようもない。
特に、人文系と言われる分野は想像以上に、科学というより政治的で、多数決で人数が多い方が勝つ性質が強い。実証とか検証とかの科学分野では多数決の是非はあまり関係なく、いかに証拠が多いかしっかりしているか、つまり客観的真実に近いかで正しさは決まる。
しかし、ジェンダーや男女にかかわる人文系は自分が思う以上に、実証や科学的検証はない(特に社会学、ジェンダー学はもはや哲学や思想、つまりイデオロギーの世界)。
つまり、結局、実証も大事だし、それで立証していくべきなのだが、それでもその政治性は無視できないので男性のマスキュリストはガンガン入ってこないといけない。一人増えるだけで全然違う。
もちろん現時点でマスキュリズムを明らかに支持した論文はレビュアーからまずはじかれるので、通らないが、学会に所属してその周辺のまず根拠になる論文を増やすだけでも違う。いや、所属するだけでも違う。
あともう一点。ツイッターなどでのフェミニストとマスキュリストの理論的論争はそこまで力に差があるわけではない。しかし、実際の法的政治的権力は圧倒的にフェミニズムが上。学問での力も。
まず、学問で研究者を増やし、研究と論文を増やし、その次に立法である。
『マスキュリストが理系に進んではまずい理由』より 

マスキュリズムはもちろん新しい思想、学問だからその部分は大学では教えてくれないわけだから独自で学習しなければならないことも多いが、それの前提となる人権の考え方、学問の中での歴史、フェミニズムの根底にある社会学の理論や流れは知ってふまえていることが前提だ。
別に今のドグマに凝り固まりがちな社会学に全面同意する必要はないが、知っていなければならない。知った上で批判できるかがポイントだ。
何れにせよ、もう一度繰り返すがマスキュリズムを志すなら、いや男性にも生きる権利がほしいなら文系に進むべきだ。理系に進むというのは、自己の人権を放棄したも同然だ。
厳しいことを言うが、フェミニズムがあれだけ社会的地位や権力を欲しがるのに理系の女性率の低さは問題にしないのはそこが理由だ。女性側はそういう意味では非常に賢い。
文系は全ての領域で政治利益誘導が出来る。つまり女性に有利になるように社会を変えられる、もしくはその為の理論を作ることが出来る。
反対に理系(自然科学)はそれが出来ない。あくまで真実の探求だから、政治利益誘導が出来ないため、誰がやってもでてくる結論は一緒である。男性がやって何か発見されてもそれは「男女の」ための利益になる。開発や発見をしたところでその利益を分配するのは、法律や政策、福祉をコントロールしている文系なのだからあくまで技術者のポジションである。
現時点で自分の知ってる知識上お勧めできるのは心理学、法学。
特に英語圏を見ているとマスキュリストで博士号持っている人は心理系が多い。
ともかく人文科学の領域の大学院(研究者)にマスキュリストを増やさないとまともな闘いにならない。

実際のところ、これらの主張に私は共感できません。上文では引用しませんでしたが文系の研究者でフェミニストとマスキュリストを5対5にすべきなどという発言もあり、ただでさえ男性の中でも少ないマスキュリストをそこまで発展させるには、何十年いや何百年かかると思っているのでしょうか?まあ、これも引用しませんでしたが彼もマスキュリズムの恩恵が受けられるのはどんなに早くても我々の子供世代であると言っており、かなり長いスパンで考えているのでしょう。

また、人工子宮など女性の妊娠を介さない形で生殖が可能になれば、女性優位社会を求める思想は根本から崩れ去り、フェミニズムに致命的なダメージを与えられるとも言われています。それを実現させるのは基本的に理系(正確には先端医学系)の仕事でしょう。彼はそのようなアプローチも価値がないと思っているのでしょうか?もっとも、フェミニズムがそのような研究を止めるよう圧力をかけることは考えられますが。

ちなみに私ですが、このマスキュリズムという思想について詳しく知った、つまり久米氏に触れたのがちょうど3年前の刑法改正前後の時のことであり、その時にはすでに大学を出て1~2年くらい経っていました。だから今更大学院へ行くことはあまり考えられなかったんですね。

以上、久米泰介氏が主張していたことについてまとめました。私の主張と相いれないところもたくさんありますが、それでもマスキュリズム思想において重要な柱を担っている人だと思いますので、彼の一日も早い復帰を願っています。