マガジンのカバー画像

マスキュリズムの思想まとめ

21
この思想は、これまでの反フェミニズムと何が違うか。 okoo20さんのマガジンも参考になるかもしれません。 https://note.com/okoo20/m/ma99f1ce9…
運営しているクリエイター

#アンチフェミニズム

家父長制は、双方の知らない所で「女に都合のいい形」にアップデートされている

※ここで「双方」とは、(第4波フェミニズムが台頭する直前までの期間に)政治的に力を発揮したフェミニスト・アンチフェミ双方のことを指します。 「お小遣い制」という経済DV大谷翔平選手の専属通訳であった、水原一平氏の賭博問題は、思わぬ方向の界隈にも飛び火したようです。 この「お小遣い制(広義には、家庭の財産管理権が一方的に妻にある状態を指す)」の問題は、「主流言説」に登ることはなかなかなかったものの、草の根の反フェミニズム・マスキュリズムではかねてから活発な議論が存在し、様々

私の主張を支持する皆さんへのお願い

おかげさまで、私のnoteもフォロワーが100人を突破しました。今回はそれを機に、特に私の主張を支持・共感する方々に向けて、申し上げたいことがあります。 先に私はこのような記事を書きましたが、本当にこの言論の世界は、一人いなくなるだけでも大きな損失です。茂澄氏に何があったかは分かりませんが、(凍結ではなく自主削除ということから)以下の見立てもあるようです。 先人の言葉を語り継ぎ、絶やさないようにする。その重要性は頭では分かっていても、実践するとしたら全く簡単なことではあり

https://note.com/hyodoshinji/n/n3b344772b4bf この「青と白」を含め、反フェミ論客は常にフェミ側から「伝統保守・復古主義」と同一視されるが、逆に本物の「伝統保守・復古主義」にとって彼らは(勿論我々も含むが)「フェミの傍流」でしかない。以下コメント参照

「ふたつの潮流」モデル。それは、日本のフェミニズムに内在するふたつの思想的方向性。

さて、前回の記事で予告したとおり、「ふたつの『フェミニズム』の潮流」というモデルについて語っていきたいと思います。これは、日本におけるフェミニズム思想には2種類の思想的方向性、あるいは言い換えれば2種類の異なるゴールがあるということです。すなわち ・女性の地位向上と社会進出を徹底的に進めることによって、「イエ制度」ないし「家父長制的家族観」を完全に解体する ・「イエ制度」ないし「家父長制的家族観」を形式的には維持しつつも、それがすべての女性にとって望ましい(批判的に言い換え

次にフェミニズムについて男性側はどのような対応をとってきたか。これを知らずして反フェミニズムは語れない。 私がアンチフェミニストに対して「何のために反対しているのか立場を明確にせよ」と訴えている背景もここにある。

第何波って言うけど、エリートと草の根というふたつの潮流があるってことも重要。 なんで日本における第4波の草の根が第2波っぽいのかを考えるうえでも。 ちなみにいわゆる「リベラルフェミニズム(穏健派)」「ラディカルフェミニズム(過激派)」はどちらの潮流にもいる。

ガイノセントリズム論序説:なぜ我々は女性の「お気持ち」に対して何ら抵抗できないのか?

近年様々な論客が「フェミニズムに対する敗北宣言」のような記事を書いており、その多くには「フェミニズムは『政治的にただしい』から我々は抵抗のしようがない、フェミニズムが蔓延した社会でどう生き残るかを考えたほうがいい」という論調が見られます。 ただ、我々はフェミニズムを「政治的にただしい」とも、「リベラリズムに連なる」とも思っていません(もちろんこれらに則ったフェミニズムもあることは私も理解していますが、内実としてそうではないという意味です)。抵抗のしようがないのは、他にも大き

続・我々から見た「非モテ」について:弱者男性論は非モテに乗っ取られた

彼らは「皆婚社会」のおぞましさを知らない私にとって「非モテ」は、憎くて憎くてしょうがない存在です。「女をあてがえ」!?「皆婚社会の復活」!?なんとおぞましいことを彼らは言うのでしょうか。 もし皆婚社会が復活すれば、中の下の階層の男性であれば女を得やすくなるかもしれませんが、それでも女を得られなかった男性は今以上に社会的排除が強まるでしょう。まして普通の女性に性欲を抱けない男性たちはどうなるのでしょうか。 非モテ男性の生きづらさというのは、女に愛されないことではなく、ちゃん

私の言う「フェミニズム以前」とはいつのことか

我々はフェミニズムに反発しつつも、性意識をフェミニズム以前の時代に戻すことは全く望んでいません。 いやむしろ、フェミニズム以前の性意識のほうが、女にとって安全かつ幸福に生きられると彼らが考えていたからこそ、彼らは一部のフェミニズム政策にのみ反対していたわけです。 ただ彼は、だからと言ってフェミニズム以前の(すなわち皆婚社会だったころの)家族観を復活させてはいけないとも述べています。これは私も当然のことだと思います。 このように、私は何度も「フェミニズム以前」という言葉を

クリッツァー氏の男性運動に対する誤解について

最近多忙になり記事の筆が進まなくなってきていますが、遅ればせながら私もこの記事のことについて述べたいと思います。 弱者男性論者は、「自分には経済的能力がなく、またコミュニケーション能力にも欠けており外見的な魅力がないから、ガールフレンドや妻を得ることができない」と自己認識したうえで、異性のパートナーがいないことで生じる孤独感や承認の欠如などのつらさを訴えている。 弱者男性論の特徴のひとつは、自分たちのつらさが世間から無視されているという点を強調することにある。彼らは、「左翼

慈悲深いミソジニー

今回はもう少しこのあたりの話を掘り下げていきたいと思います。そこで出てくるのがこの「慈悲深いミソジニー(benevolent misogyny)」という概念です。これはフェミニズム批判がよく陥りがちなパラドックスであり、強者男性のミソジニーがなぜ「レベルが低い」のかを示すものでもあります。 この概念については、上記事では「慈悲的差別」と訳されたうえで、詳しく説明されています。ただしこの記事は若干フェミニズム(我々の言う「エリートフェミニズム」)寄りで、女性の地位向上を阻害す

強者男性のミソジニーを斬る

森元首相の女性蔑視発言からかなり経ちますが、これに対するミソジニストとしての私のスタンスを表明しておきます。 はっきり言ってこの一言につきます。 レベルがとてつもなく低すぎる!!!ええ。撤回や謝罪会見もどうやら家族の女性にせかされてやったとかいう話もあるくらいですし、そんなことで曲げていいのでしょうか?しかも、その会見内でも「女性蔑視」の火に油を注いだそうですし。 ある意味、「女をずっと下に見てきたからこそ」できる発言だというのは、私も正しいと思います。反撃されても大し