しまえなが


     
 ボクはシマエナガ。でも普通のシマエナガとは少し違う。他のみんなは群れを成して生活し、一生を終える。ボクはそんなみんなとは違う逞しいシマエナガ。一匹狼なのだ。
 
 ボクは動物も人間も通らない森の奥にある巨木を拠点とし、もう3年程一人でやりくりしている。巨木から樹液も得れるし、森なので木の実も虫も潤沢に揃っており一度も生活に苦労したことはない。既に三歳となるボクはシマエナガの中では長寿、一人でこれほどまでに生き永らえたシマエナガはそういない。シマエナガ史に英雄譚として語り継がれるだろう。ボクは誇らしい。一人胸を膨らまし、堂々と佇む。
 
 一面の雪化粧、冬が訪れる度に目にする光景。今年が最後かもしれない。感傷に浸りながら見るこの景色も悪くはない。ボクの人生に悔いはない。このまま一人、ここで地に朽ちてゆく予定だった、数ヶ月前までは。……そろそろここへ来るだろう。
 
 やはり今日も来た。遠くから一つの影がこちらへ向かって歩いてくる。人間だ。足取りは雪に阻まれ重い。いや、雪が無くとも重いかもしれない。人間を見たことがないボクでもおじいさんという事はわかる。鼻を赤くしながら首に謎のカシャカシャと音が鳴る機械をぶら下げ、この巨木へと向かってくる。
 
 おじいさんは巨木の下へと辿り着くと機械をこちらへと向けてジッと待機する。さてと、今日はどんなポーズにしてあげよう。ボクは背を向け、お尻を突き上げ顔だけをおじいさんの方へ向ける。その瞬間、機械がカシャカシャと鳴り響く。そしておじいさんはとても可愛らしい笑顔をこちらへと向けてくる。これがここ最近の日課となっている。
 
 
 数ヶ月前からおじいさんは毎日ここへ来ている。ボクはもちろん最初は逃げていた。他の個体と違うとはいえ、シマエナガは警戒心がとても強い生き物。その本能には抗えない。一匹狼の逞しいボクでも怖いものは怖い。だから距離をとっておじいさんを観察していたんだ。
 
 おじいさんは毎日巨木を見上げ、とても寂しそうな顔をしていた。木を撫で、涙を必死に堪えている日もあった。ボクはその時、「ボクが毎回飛び去ってしまうから?」という考えがよぎった。だからある日、自身の恐怖心を押し殺し、ボクはおじいさんが来ても木に留まった。その時のボクの足はプルプルと震えていただろう。「木の上だし大丈夫」と言い聞かせ、おじいさんを見つめた。
 
 その時のおじいさんの反応は今でも忘れられない。とても優しい笑顔が溢れたんだ。まるで周りの雪を溶かしてしまいそうな程の温かな笑顔、ボクのおじいさんへと向ける恐怖心さえも溶かしてしまったのだ。
 
 それから数日後、おじいさんの手には黒い機械が携えられていた。カシャカシャと音を鳴らす不思議な機械。それはボクへと向けて何回も何回も音を鳴らした。そしておじいさんはその機械に写ったモノを見せてくれた。そこには少し怖がっている自分の姿が写っていた。とても驚いたな。水面以外で自分の姿を見れるなんて。そこでボクはハッとした。「このおじいさん、もしかしてボクのファン!?」ボクが木から離れると悲しそうにしていた事も含め、辻褄が合った。
 
 その日からボクは機械を向けられる度にファンサービスとしてポーズをとるようにした。英雄となるボクの姿をカッコ可愛く残してもらうために。ボクの生涯、誰の記憶にも残らなければ物語としても伝わらない。これは寿命が近くなってきたボクへと与えられた転機、最後くらいは何かと接しておくべきだという天からのお告げだと判断したのだ。これが今のおじいさんとボクの関係。お互いにメリットしかない関係なのだ。
 
 
 今日はひとしきりカシャカシャと機械を鳴らした後、木の下へと腰掛けてサンドイッチとリンゴを食べはじめた。そしてこちらへ何か楽しそうに語りかけてくる。「────────」だけど人間の言葉はわからない。ボクは合間合間にチーチーと相槌のように鳴き声を発する。そうするとおじいさんはまるで話が通じているかのように大喜びしてくれるんだ。意味は分からなくとも何か心で伝わってくるものがあった。それがとても心地よくて好きだった。
 
 夜になるとおじいさんは寒そうに震えながら帰路へとつく。ボクはその背中を見届け一日の締めとする。こんな毎日を過ごしているうち、「何かと関わりを持つことも悪くない。」と思うようになれた。寿命尽きる前の最後の収穫だ。
 
 次の日、今日も夕暮れ時におじいさんが来た。何故だろう、いつもの重い足取りは更に重く見えた。近付いて来るにつれ顔が見える。明らかに元気がない。今にも泣いて崩れてしまいそうな表情。まるで初めて来た時ボクが木から飛び去った後のような顔だ。ボクに人間の事情はわからない、だけれどあんな顔を見せられるとこちらまで辛くなる。
 
 
 おじいさんが木の下へ立つ。今日はすぐに見上げずに足元へと視線を落としてしまっている。そんなおじいさんの目の前を何かがハラリと舞い落ちた。おじいさんはかがんでそれを確認する。白と黒が入り混じった羽と赤い木の実だ。おじいさんはそれを見た瞬間上を見上げる。そこには胸を膨らませたシマエナガがこちらを見ていた。まるで「それで元気出して。」と言わんばかりの表情だ。言葉は通じ合えない、だけど確実に何かが通じ合っている。おじいさんは思わず「ありがとう……」と声を漏らした。今できる最高の笑顔と言葉でお返しを贈った。
 
 
 おじいさんは羽と木の実を手に取り、今日は早めに帰路へとついた。やはりおじいさんには笑顔が似合う。ボクが朽ちるまで幸せそうにしていて欲しい。初めて関わった動物、心を通わせた動物には幸せでいて欲しい。小さな鳥のささやかな願いだ。
 
 次の日、いつも通りおじいさんが向かってくる。ただいつもと違う点が一つある。いつもより荷物が多い。遠目からでもおじいさんの背後が角張っている事がわかる。おじいさんはにこやかにこちらへと手を振っている。とりあえず元気なようで良かったとボクは一安心。
 
 おじいさんは木の下へ着くや否や背中に背負っていた台座を地面へと突き立て、こちらへ登ってくる。おじいさんに慣れているボクとはいえ流石に上の枝へと飛び退く。「ついに、捕まえに来た!?ファンとしての一線を超えた!?」と考えがよぎるが直ぐにそうではない事に気付く。
 
 おじいさんはいつもボクがとまっている枝に向け、何か作業し始めた。ボクは上からソワソワとそれを見つめていた。一体なにをしているんだろう。そしてそれは完成した。
 
 おじいさんが作ったのは「ブランコ」だ。木の枝にロープを巻き付けてしっかりと固定されたブランコ、風でゆらゆらと揺れている。ボクはピンときた。「昨日のお返しだ!そして、あわよくばボクがブランコに揺られている姿をカシャカシャするつもりだ!」全てを理解した。
 
 おじいさんは台座から降り、満足気に上を見上げる。そして機械を構えた。やはりボクが遊ぶ姿を収めるつもりだ。だが、英雄になるこのボク!簡単に遊ぶ姿は見せまい!少し意地悪をして中々ブランコに乗らない。おじいさんはしびれを切らし、今日は諦めたのか木の下に腰掛け、フルーツを齧りはじめる。
 
 おじいさんはまたこちらへと語りかけて来るが相変わらず意味は分からない。「────……」おじいさんはポケットから紙切れを取り出し、こちらへ見せて来る。どうやらカシャカシャで収めた家族の絵のようだ。みんないい笑顔で写っている。それを見せながら語るおじいさんの顔はとても楽しそうなのにどこか悲しそうだった。

 おじいさんが帰ったのを確認した後、ボクはブランコに乗り遊んだ。とっても楽しい。明日はボクの遊んでいる姿をカシャカシャさせてあげようかな。そんなことを考えながらご機嫌にチーチーと鳴きながら夜を満喫した。
 
 次の日、おじいさんがやってきた。だが今日は機械を持っていないようだ。木の下へ辿り着くと、台座を椅子にして座り込んだ。せっかくブランコで遊んでいる姿をカシャカシャさせてあげようと思ったのに……。もしかして忘れちゃったのかな。まあ、ボクが朽ちるまでまだ時間はありそうだし明日カシャカシャさせてあげよう。どうせ毎日会えるんだしね。
 
 おじいさんはいつも通りこちらへ話しかけてくる。とても幸せそうにこちらを見上げ、嬉し涙を流しそうになる程感極まっている。ボクは相変わらずチーチーと相槌を打ってあげる。今日はいつもより沢山お話を聞かせてくれた。きっとカシャカシャを忘れたからだね。色々な感情が入り混じっている事を感じた。
 
 沢山お話をしているといつの間にか夜になっていた。いつもならおじいさんは帰る時間だけど今日はまだ帰る様子はない。もしかして、初のお泊まりかな!と期待を膨らませる。夜に誰かと過ごす事は雛の時以降経験がないのでウズウズしてきた。おじいさんは微笑みながらこちらを見上げ、「──── 」と呟いた後、台座に登りブランコへと身を委ねる。やはりお泊まりのようだ。二人はキラキラと綺麗な夜空を見上げ、共に眠った。

 
 ボクが目覚めるとおじいさんはまだブランコで眠っている。はじめて他の動物と一夜を過ごした。なんだかとても温かい。すごく良い経験をしたな。自覚は無かったけれど、ずっと一人で過ごす事はとても寂しかったのかもしれない。おじいさんには感謝しなくちゃ。
 
 ボクはおじいさんが目覚めて帰ってしまう前に朝ご飯を用意してあげた。人間は虫や樹液を好んで食さない。だから木の実を沢山足元へと置いた。真っ赤な木の実、きっと気に入ってくれる、ボクからのプレゼントだし大喜びしてくれるだろうな。ボクはニマニマとおじいさんを見つめ、尾っぽを振りながら起きるのを待った。
 
 だけどおじいさんが起きて来る事はなかった。
 
 何日が経過しただろう、おじいさんは一向に目を覚さない。足元へと毎日木の実を置く。次第に木の実は熟れ、腐り、赤茶色のシミとなりおじいさんの足元を濁す。人間がなにも食べないで何日も過ごす事はとても危険、生物としてボクでもそれは分かる。だから直接おじいさんの口に木の実を入れたりもしている。だけど動かない。どうして、どうして動かないのだろう。もしかして寒いのかな。
 
 おじいさんの肌の色は雪のように白くなったかと思えば、今度は黒くなりつつある。これはきっと「とても寒い」という人体のサインなんだろう。ボクは羽毛を集めておじいさんの肩、頭、ポケットなど至る所に詰めた。これで少しは冷えを抑えられるはず。
 ボクはとても焦っていた。とても、とても嫌な予感がしていた。だけれど信じたくないから、最善を尽くした。まだ、ブランコで遊ぶボクをカシャカシャしてもらっていない。遊んでいるところを見せてあげるんだ。笑顔になってもらうんだ。ボクは最後まで諦めなかった。
 
 
 
 
 二週間ほどが経った。いよいよおじいさんが起きて来る事はなかった。嫌な予感は確証へと変わってしまった。シマエナガは一人木の上でポロポロと泣いた。弱々しくチーチーと声を漏らし、もう動かないおじいさんを見つめながら。色々な感情がぐちゃぐちゃになってしまった。次から次へと小さな雫がこぼれ落ちる。
 
 
 
 
 心を許したモノの死がこんなにも辛いという事を知った。シマエナガは昼夜問わず鳴き続けた。ずっと一人だったらこんな感情、味わう事はなかっただろう。小さな生命はこれをどう捉えたのだろう。
 
 
 数日後、シマエナガはおじいさんの肩の上で顔に寄り添う体勢で息を引き取った。その光景は美しく、後に芸術作品へと昇華されたという。このシマエナガの生涯は他のシマエナガには味わえない、まさに英雄と呼ぶに相応しい一生となっただろう。少し形は違えどシマエナガの夢は叶ったのだ。
 
 このシマエナガの生涯の中で、おじいさんのいない数週間はとても長いものだっただろう。苦痛の中にいる間、生物は普段よりも時の長さに絶望する。
 だがシマエナガは耐えた。おじいさんを一人にしないように隣で最後を迎える事を選んだ。最後までおじいさんのために尽くした。
 
 死ぬ前までの、長い間ずっとずっと……
 
 友情、それは種族や性別といった垣根を軽々と越えてくる。彼ら二人の寝顔はそれを我々へと深く突き立てた。彼らの生き様は相手を思いやるという純粋な気持ちを我々人間に思い出させるキッカケとなるだろう。本来失ってはいけない気持ちなのだけれどね。
 人間同士分かり合えない事が多々あるというのに、言語の伝わらない動物と人間が心を通わせる場合がある。そのような事象を見た人々は皆「癒し」という言葉で片付けてしまう。言語を扱えるというのに、同種族とも意思疎通が取れない我々が、このような素晴らしい事象をたった一言でまとめ上げ、自身の行為に反映しないというのはまさしく現実逃避ではないのだろうか。本来あるべき姿から目を逸らしている。人々が「癒し」と呼ぶ光景こそ、人類全員の到達すべき場所なのだ。
 
 だから私はこれを記す。追悼の意を込めつつ、美しき友情への感謝を。少しでも彼らの物語を人類へ届けるために。今一度自身を見直す機会を与えるために。少しでも現状に変革をもたらすために。シマエナガ、君を本当の英雄にするために。
 
 おやすみなさい、小さな英雄
 
 あちらの世界で、どうか、御幸せに
 
 英雄譚 『シマエナガ』
 

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