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【深い社会】03 経験主義への対立軸は何か。

「経験主義から構成主義へ」
経験主義と構成主義が対立概念であるかに聞こえます。
でも、よくよく調べるとそうでもなさそうです。

経験論がイギリスで発展したときに、海を越えてヨーロッパで発展していたのが、大陸合理論です。

【経験論:帰納法】
これは赤い。
これは甘い。
これは丸い。
これはリンゴである。

経験から共通点を見つけ、思考しています。
間違っているかもしれません。もしかしたら糖が強いトマトかも。

【合理論:演繹法】
リンゴは丸い
「紅玉」はリンゴである。
よって「紅玉」は丸い。

できるだけ、間違いが出ないように慎重に思考しています。

よく、私たち日本人は、
「合理的な考えだね。」
「合理的な人だ。」

というように、使っています。
この「合理的」には、「無駄がない」
というニュアンスがありますが、
もともとは、「間違いがないように順番に」のニュアンスが強い言葉なんですね。

合理的の語源は「rational」(古期フランス語)で、
「ratio」(計算)からきているそうです。

百科事典を開いてみましょう。
平凡社「世界大百科事典」より
「合理主義」の名称で掲載されています。


「合理主義はキリスト教から生まれた」


え?
日本人にはわかりづらい考え方です。
宗教こそ、合理主義から遠いところにある気がするのですが。


当時のネーデルランドにおいても、合理的な神学者を、反合理的な神学者と区別するのは普通であった。


オランダと言えばプロテスタントたちが大量に移動した場所です。
カトリックに対して、神の啓示の解釈に間違いがないように、
慎重に慎重に教義を分析したことから、「合理主義」が生まれたわけですね。

ところが、彼らにピンチが訪れます。
イギリス経験論が帰納法を主張するわけです。

「私たちは経験から離れることなどできない」
「経験から神は感じられない!」
「これからは科学の時代だ!」

これに、合理主義はものすごく動揺します。
なんとかして、演繹的に神を証明しようとします。

不確かな要素がある経験主義が、神を否定し、
確かな合理主義が神を証明しようとする構図が、なんだかとても不思議です。

この経験主義と合理主義の対立を、なんとかしたいと立ち上がったのが、
カントです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント

カントはどのように経験主意と合理主義の対立を解決したのでしょう。

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