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生きる目的とリーダーの関係

多くの人は生活のため、お金のために仕事をする。生きていくために必要なこととして仕事をする。そして、求められる労働の対価として報酬を得る。
そんな中で人によってはもっとお金をほしいと思う人とお金以外の何かを求める人が出てくる。
そして、その目的のために自分鍛錬の道に進み、期待以上の仕事、成果を創出することを目指し、実現し、その結果望み通りのものを手にしていく。
両方の方向の欲求は尽きることはなく、より高みを目指すようになっていき、その過程でより責任が重く、会社や社会に大きな影響を与えるポストについていく。

より責任が重く、会社や社会への影響が大きい立場になってくるということは周りの人の幸福に良くも悪くも影響を与えることができる力を得ることになります。
それは思った以上に自分の判断が周囲に影響を与えるということであり、自分の一挙手一投足がみられているということでもあります。

人の生きる目的には是非はない。
人はそれぞれ幸せになる権利があります。
ただ、自分が社会的に責任のある立場になったときには自分の幸せだけを考えていることは許されない。なぜなら周囲に大きな影響を与える存在であるからである。

翻ってお金を目的に仕事をしている人が社会的責任のある立場についたらどうなるだろうか。自己の利益を中心に物事を判断するかもしれない。自己の利益のために不用意、不注意な立ち振る舞いをするかもしれない。そして、それをみた人はそのようなリーダーを選んだ会社・社会に失望していき、利他の意識を持った優秀な人材やる気を削いで行きます。

私は現在に至るまで日本・海外の中堅企業・大企業、ベンチャー企業など複数の会社で仕事をし、幸運にもそれぞれの会社の中で経営に近い方々と仕事をする機会を持ってきました。
また、個人的に創業者、経営者などの生い立ち、思考などにとても興味があり、歴代の有名な経営者の自伝をたくさん読んできました。
そんな中で感じることは優秀な経営者は仕事自体が生きる目的になっているということ、それは仕事中毒という意味ではなく何か社会の役に立ちたいと切なる思いを仕事という形で表現していると感じました。
翻って私がこれまで接してきた経営者の方々を思い返すし、なんというか気骨を感じない、仕事を通して何を表現し、何を実現したいか感じないのです。それはとても残念なことであり、そういう社会的地位があり、それなりの責任と権限を持っている方々が何を目的として仕事をしているか分からないと感じる、もしくはお金目的?もしくは社会的地位の獲得など自己の利益目的?と感じてしまうときの失望感たるや計り知れないものがあります。
私はかなり正義感が強い方なので尚更かもしれませんが、そうではない方々だとしても少なからず失望感を感じるのではないかと思います。

なぜそんな風になるのだろうか。
ふとそんなことを考えたみました。

思いつくことはあまりにも安易に社会的な地位を与えすぎているのではないかということ。冒頭申し上げた通り社会的地位を持つ人は周囲の人を幸福にも不幸にもする力を有することになります。なぜなら決定権が備わるからですがその割にはあまりにもその選定基準が甘い気がします。
特によくみられることは単純に自分の言うことを聞き、業務遂行能力が高い人を上に上げていく愚行ですが、こう言う人が上に上がっていくと使い方を知らない武器を与えるようなものであり、使い方を誤って、深く考えることもなく周囲の人間を傷つけていきます。

そして、そんな人が会社のトップにまかり間違って上がってしまうとそれはもう災難以外の何者でもないことは想像に難しくないと思います。
そして、そう言うなんちゃってリーダーがたくさんいると言うのが社会の現実ではないかと思います。

そして、その現実をみたこれからの世代はあんなリーダーになるくらいならリーダーにはならなくてもいい、と言いだし次世代のリーダー輩出が困難となり会社や社会が衰退していきます。

そんな現実を何年もみてきて改めて思うことはやはり生きる目的として自分がではなく、周囲の人をより幸せにすることや、社会をよりよくすることに据えるリーダーをいかに増やしていくか大きな鍵になるのではないかと言うことです。
そして、その鍵がリーダー選定のプロセスなのではないかと思います。

それは古き良き時代の日本の慣習である「人との調和」、悪く言えば強い「同調思考」が起因し、自分への同調意識が高い人を選ぶ傾向が強くなり、その結果厳しい視点でリーダーを選別する意識が薄まっているのではないかと感じます。
例えば部長、執行役員になる場合にはそれなりの覚悟を示してもらうべきだし、その人の資質などをしっかりと見極めるべきだと思うが、そういったプロセスはあまり聞かない。

見えていないだけかもしれないが、それが見えていないこと自体がリーダーに期待されている役割・責任が明確になっていないことを意味し、その適正性の検証を難しくするように感じます。

また、以前いた会社で経営企画をリードしているときに役員の方々に厳しい評価システムを導入しようとしたが諸々の抵抗にあい、うまくいきませんでした。その理由は簡単に言えば既得権を持っている人はそれを手放さないようにあれやこれやと理由をつけ、それを守ろうとするためですがこの時点で利己的でありリーダー失格だと思います。

とまあ、いろいろ思うわけですが詰まるところ利己的な目的で仕事をしているリーダーがいる限りは適切なリーダー選びは永久に実現しないと感じるのですが、それを大きく変えられる最もが強力な方法が「外圧」だと思います。

監督機関や外部投資家の介入、経済不況など大きな外部圧力によりリーダー自身の同期が露天しやすい時が大チャンスだと思います。
そして今はコロナと言う未曾有の災害の真っ最中に人類はおり、その中で多くの方がなくなっているため不謹慎と言われることを覚悟で言えば、コロナが大きな外圧となり、この未曾有の大災害において国民、社員を守るという大義の元に利他を踏まえた言動が取れるリーダーは誰かのか?そんなリーダーの選別が加速度的に進むことを期待したい。

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