依存

どうしようもないほどに不幸に依存してしまう。

きっと普通の人にはわかってもらえないとは思う。一意に自分の気持ちが定まらないんだ。
人との友情に永遠を見出すことが僕にはできなくて、だからどんなにこの先に二人の大きな友情があれどバッドエンドを想像してしまうから、
ここでこの友情が、恋情が終わればどんなに幸せだろうか
いつもそう考えてしまう。きっといつも僕が悪くて、僕は社会に合わなくて、本物の友情を、愛を見れたことがないからそう思うのかもね。
それでも、何も不幸が欲しいわけじゃないから。不幸は唯一の選択肢であって、欲求じゃないはず。そうして一意に定まらない気持ちが矛盾と、なくても良い問題を生むんだ。新たに幸せを得てまたそこから落とされぐらいなら多少熱くてもこの湯に浸っていたいと。

"依存"

圧倒的に本音を書くなら、現実的な幸せの手段はきっと死ねること。開放で救済。
死なずに生きて、その先にきっと、というか確実に幸せがあるのはわかってる。でも十中八九その幸せは、その幸せをもたらした何かがしばらくしたら壊すと思う。経験則。
俺に一番優しかった彼は、あの日を境にいなくなったし。
なれない街で、なれない世界で、それでも地元でいてくれたあの人もいなくなった。
人付き合いが下手なんだと思う。それでもそう簡単にはもういまさら変われない。、いやこれに限っちゃ俺が悪い。努力が足りないんだ。変わらなきゃいけない。でも簡単に見捨てないで欲しい。少しは寄り添って、いやこれも独りよがりだ。
だからやっぱ変わる一歩を踏み出すより、確実にコンスタントに幸せになれて、簡単に一歩を踏み出せる。それが僕にとっての死ぬこと何だと思う。

初めて死を見つめたのが保育園の頃。未だ死ねてないんだ結局俺は、死が怖い。不幸なままよりも。

依存


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