都市にひそむミエナイモノ展とMOTアニュアル2023
東京で2つの展示を見てきた。
今回はどちらもIAMASの活動告知で知ったものだ。
だから関連するアーティストが参加していて、あっちで見た作品だ!と分かることが何度かあった。
都市にひそむミエナイモノ展 Invisibles in the Neo City
『かぞくっち』がかわいかった。
ディスプレイがついた小さな動く機械が、いくつもそのフィールド上に散らばって動いていた。光を食べるみたいに、光に集まっていた。
『おばけ東京』は、通りがかりに「岡本太郎」ということばが聞こえてきて思わずブースに入った。
ちょうど映像が始まって数分のところで、ほとんどすべてを視聴することができた。55分と長尺だったが、ゆったり座ることができたので最後まで見た。
土地勘がないので、東京の地名やその地域の雰囲気などはわからない。岡本太郎が構想していたという「おばけ東京」と、創作物である「ゴジラ」が壊していく街並み。
東京にいくつもレイヤーが重なっていくようで、不思議な感覚だった。私の認識しているもの、実際にそこに住んでいる人々、過去にそこにいた人々、その人々の意識、それぞれが異なる様相を呈して重なり合った結果がそこにある。
『Artificial Discourse: すばらしい新世界に向けて』は、AI に人格をシミュレートさせて議論している様を見せるというもの。
3人の顔が表示されたディスプレイが並び、それぞれに意見を交わし議論が進む。賛同できることを言う AI もいれば、バランスをとるように反対意見を言う AI もいる。
AI を過信してはいけないし、AI を侮ってもいけない。
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ
後藤映則さんの光を使った作品群がきれいだった。
光は規則的に動いているのに、それにより形作られたものは動きがあって、見ていて飽きなかった。見る角度によっても雰囲気が変わるし、光の動きもいろいろだった。
建物の外でくるくる回っていたものも、昼と夜で見え方が変わる作品だったらしいが、明るい時間にしかいなかったので確認できなかった。
やんツーさんの大型重力発電装置によるインスタレーションは、なんかわらかないけどめちゃくちゃ笑いながら写真を撮った。
電気を使ってモーターで重たいバイクを吊り上げ、今度はそれが下がっていくときのパワーで電力が発生する。その無駄さだったり、ちゃんと電圧がメータで表示されている正しさだったり、ただ大きい装置が動いているということだったり、そういったことが面白くて、一人口を開けてげらげらしながら見ていた。きっとマスクをしていたから周りには見えてなかったはずだ。
花形槙さんの映像作品は、見ていると酔うだろうと思って周りの説明書きを読んだ。その文章が、なんだか詩的で、新しい感覚だった。人間ではないものに生まれ変わったとしたら、そんな感想を持つのだろうかと思った。
このあたりのサイトでも、同様の文章を読むことができる。
『野良ロボ戦隊 クレンジャー』がかわいかった。
無機物が有機生命体のように生活を営んでいるかのようで、にこにこしながら映像を見た。
ミエナイモノ展で見た『かぞくっち』と同じ方たちの作品だった。
『四角が行く』も白い箱が意志をもって動いてるかのようだった。
1つは、箱は現実にあるけど、ゲートはバーチャルで画面にしか存在しない。箱だけ見ていてもその”ルール”は分からないけど、ディスプレイを見ると”見える”。
もう1つは、箱もゲートも現実にあってうまくすり抜けていく様子がよく見えた。
市原えつこさんの作品も、笑いながら見てしまった。
『ディストピアの美食』は、骨髄が光っているのがよかった。
ヤギ教団のスタンプも押して入信しました。
あとがき
IAMAS のことは、知人から聞くまで知らなかった。
調べたら面白そうだったので広報アカウントなどをフォローしたら、関連情報もよく目に入るようになった。
それで、ちょうど会期が合った展示を見ることができた。
どちらも絵画ではない今のアートを感じることができ、行ってよかったと思う。
関西でもいろいろな展示やイベントは開催されるが、東京でしかやらないものも多い。興味を持ってもタイミングが合わずに行くことが叶わないことがある。そういうことが重なると、東京はいいなという気持ちになったりする。でも、東京に行くたびに人の多さに辟易とする。
前に行きたいなと思った「あ、共感とかじゃなくて。」も同じMOTで開催されていたと気づいて、東京にすぐアクセスできない地に住むことをすこしだけ悔やんだ。
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