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言葉にするのが苦手な僕の話

以前、苦手をテーマにしたnoteを書いたのですが、その中にはあまり触れられていないものがあってこっちの方がよっぽど苦手じゃん!!!!と思い、今noteに書いています。


言葉にするのが苦手

僕は自分の思いを伝えるのがとても苦手です。
例えば、好きなものや嫌いなもの、趣味や得意なこと。そういった僕に関係している全てのことを伝えるのがどうもできません。

その前に僕の昔話を少し書きます。

僕は幼い頃、母子家庭で育ちました。決して裕福な家庭ではなかったため、小学校高学年の頃から母親は仕事の時間を増やし(遅番や早番)、中学生になると夜勤も加わったため、休みも合わず一緒にいる時間はほぼなかったに等しいと思います。そんな状況だったためあまりわがままを言って母親に迷惑をかけてはいけないと思い、自分の思いに蓋をすることが増えました。また、時々欲しいものがあり欲しいとお願いしてもほぼ確実に「それはダメ」と言われることもしばしばでした。

それと同時に中学、高校ではスクールカーストの下位でもあったため「どうせ自分が発言しても笑われるだけだ」とも思うようになり、自分の意見をいうことが恥ずかしくなってしまったのも大きかったと思います。よっぽど仲が良くない限り自分が何を思っているのか、何がしたいのかをいうことができませんでした。


この2つが重なったことで僕は自分の意見を言うことに抵抗を感じるようになってしまいました。欲しいものややりたいことがあっても「どうせ否定される(or 笑われる)」と思ってしまい、それを素直に言えないのです。それは大人になった今でも続いています。

どうせ言っても何かしら否定されると思ってしまうと、どこか自分の中で諦めに近い感情が芽生えてしまい、「やっぱり言わなくていいや」と無理やり自分を納得させるしかできません。
常に自分を押さえつけているため、「自分はダメな人間だ」と認識するようになって自己肯定感も低くなります。そのくせに承認欲求が強めなので「認めて欲しい」vs「どうせ僕なんて」がせめぎ合っている状態が頻繁に起こります。そうなった場合に基本的に後者が勝ちます。


少しでも承認欲求を満たしたいというのと、自分の言葉を整理するためにnoteを書き続けています。

今でも時々自分が何をしたくて、何を望んでいるのかが分からなくなる時もありますし、どうしようもないくらいネガティブなモードになる時もありますが、そういうのもちゃんと向き合って自分と付き合っていきたいと思います。


言葉にするというのは簡単なようで非常に難しいことだと僕は思っていて、その言葉はその人の本心であるかどうかやその発言をするのに何か葛藤があるのかもしれません。
昔のトラウマを払拭するのは容易ではないですし、もしかしたら一生僕のこの気持ちを抱えて生きていくのかもしれません。そうなっても大丈夫な生き方を見つけつつ、自分の気持ちに少しでも正直に生きれる道も探して行きます。



少しネガティブな内容になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また次のnoteで!!!!!

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