養生

 何事にも勤勉で努力すれば、かならず効果がある。たとえば、春にまいた種子を、夏の間によく養えば、秋の収穫が多いようなものである。人の健康についても同様で、養生の術を学び維持して実行すれば、身体壮健にして病みことなく、天寿をたもち長生きして、長く楽しむことは必然であろう。これは自然の理であって疑ってはならないのである。〈養生訓 貝原益軒〉

  疲れたぁー、疲労を感じたら寝れば回復した。好きなものを食べて、ゆっくりお風呂に入り寝たいだけ寝る。これで元気になった。しかし、ある時ふと気づくのである。あれ、眠れない。寝たいのに眠れない。寝たと思うとすぐ目が覚める。うつらうつらしているうちに朝になり、疲労が増幅されていく。食欲はないわけではない。食べ物の味も分かるが、いまいち食べ終わった後の「美味しかったー」度が低い。

 これは加齢、歳をとるということであろう。音楽も貪るように聴いたし、読みたい本はすぐ読んだ。行きたいと思えばすぐ出かけた。あれほどの行動力は若さの裏付けがあってのことだった。
若さが失われていくなら、どうしようか。これまで通りの精神では身が持たない。生糸のように張り詰めていた心を緩め、やらないという選択肢を自分に用意しよう。やりたいときにやる。やらないままかもな、の心だ。

 若い木にはたくさんの肥料も水も必要だ。強めの剪定も木を強くする。しかし老木には負担になる。肥料を与えても重なる強風(日々のストレス)などのダメージの方が大きい。時と場合によっては(社内などでは)見て見ぬ振りができるようになった方がいい。自分の身のものでない若者の服装がだらしない、文章の書き方がお粗末などなど、例えどんなに恥ずかしいと思ったとしても、捨て置くのだ。意識しての見て見ぬ振りだ。我が身に降りかかるストレスは取り除くしかない。年と共に養生のあり方を変えて穏やかに日々過ごそう。


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