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pman流、音楽理…いや、違うな。

どーも、pmanですどもども。 

さてはて、5月予定していた資格試験もコロナのこんちくしょーのせいで、9月にすっとんでしまい、いろいろ法律的なアレも新年度の分で覚え直さなきゃいけないしで、なんというか、コロナのあんちくしょーのせいで、また、ひたすらに勉強しなきゃいけないんだけどいまいちモチベーションが上がらないpmanおじさんです。こんちくしょー。

酔っぱらうよね、なんか酔っぱらうよね。最近は勉強してその後、酔っぱらいながらアニメを見ております。あっ、今まで言って無かったですが、私、結構アニメが好きです。

いろいろ思い返すと、中学生の頃にアニメにハマって、アニメージュとかアニメディアとか読みまくってましたよね。当時はおんなじ趣味のタマキ君と言う友達がおって、しょっちゅうアニメの話してたなぁ。僕らのお気に入りはパトレイバーでしたよ。漫画と全然話が違ってびびったもんです。しかし、あの当時長野県に住んでいまして、アニメも少なかったなぁ。そういえば「不思議な海のナディア」が始まって、すげーのが始まったなぁって。のちのエヴァンゲリオンの庵野秀明さんとのはじめての出会いだったなぁ。ナディアといえば、登場人物にジャンという男の子が出ていたんですがねぇ、その声はなんと日高のり子さんがしていたんですね。そして、その当時日高のり子さんは長野県の地元FMラジオ「サタデーときめきステーション」という番組をやっておりました。今思うとすごいよね。そして!そして!私は一度その番組で、手紙を読まれまして、日高のり子さんのサイン入りノート(pmanおじさんの本名もかいて書いてくれてあります)をゲットしたことがあります。ああ、私のかなり上位に食い込む自慢です。嗚呼…嗚呼…。

しかし、中学3年の時にタマキ君は転校してしまい、アニメ仲間もいなくなりましてね。また、あの当時は今と違い、オタクっぽいものは「ネクラ」だったり嘲笑の的だったりしたもんでね。私もだんだんアニメから離れて行きました。そして、時は流れ2006年私が29歳の時、ついに「涼宮ハルヒの憂鬱」に出会ってしまいます。そこからまたアニメ魂に火がついてしまいましてね。もうかれこれ14年(❗️)アニメ観賞を趣味としております。すごいな、14年。中学生くらいやん。2006年なんて、一昨年くらいな気分なのに。またね、愛知県は長野県と違って深夜アニメが多いのもいいよね。

ちなみに私は自分のことをオタクとは認めません。なぜなら本当のオタクの人々の愛とか知識とかを知ってるからです。マジで私は凄く尊敬します。

それでもアニメ好きって言えるようになった今の時代はとてもいいです。そう、今の時代、好きな物は胸張って好きでいいんですよね。こうなるまで随分時間かかっちゃいました。

今夜は私酔っ払い故にオチとかないよ、マジで。作曲講座とかしようと思ったけども、思ったけども!無理や。なぜなら、私は酔っているから。徒然なるままに私の、愛する別のジャンルの話になってしまった。

……本当は、アニメの話から作曲の話にもってこうとしたけども!無理だった、おじさん無理だった。もういいよね、こんなおじさんでも、愛してくれるよね?本当40歳は不惑とか言った人に言いたい。「僕ぁずっと迷子だよ。」って。「生き様も文章も迷子だよ。」って。

次回こそは、次回こそは!作曲的なこと書きたい!では皆さま、アディオス!