仕事とは何か?〜音楽の仕事・ITの仕事〜

僕は20代の頃、音楽クリエイターを名乗り、音楽に関する仕事はなんでもやった。

結果として、10年間の間に、数十機種の携帯電話向けに数百種のプリセットサウンドを制作し納品した。フリーのBGMを入れたCDを毎月販売している業者に納品した曲も、数百曲に上る。おおよそ3500ステージくらいのライブステージをこなした。マスメディアに乗った成果としては、二本の音楽番組にTV出演し、一冊の音楽書籍に自分の名前が載った。

文字通り何でもやったのでもちろんいろいろな仕事がある。

比較的単価の高いIT業界寄りの着Flashなどのお仕事を大量に受注した時は、月収3桁近くまで行った。お金はもちろんのこと、映像に合わせた曲制作ということで、クリエイティビティも高かった。

こういうのは良い仕事に分類されるが、とんでもない仕事もあった。

例えば、横須賀のフィリピンパブでのバンド演奏。五、六十代のおじさんが、お客さんで、フィリピン人ホステスにチャーハンを食べさせてもらっているような光景を見ながら、オールディーズを演奏するのだ。なんだか、見てはいけないものを見てしまったような気がしたものだ。

ステージの合間の楽屋では、フィリピン人ホステス複数人に襲われるなど、怖い思いもした。

1ステージ30分を、1日に4〜6ステージやって、1日1万円前後が茶封筒に入れられて、支給される、という日雇い労働者スタイル。

作家ヘミングウェイが、作品を乱造するフィツジェラルドを評した時の言葉を借りるなら、「まるで売春行為」の如く音に関する仕事はなんでもやった。

2008年、33歳のある月にばたりと発注が途絶えた。それはガラケー時代の終焉を意味した。

NECやソニーエリクソンの着信メロディデータ再生に採用されていた、ヤマハの音源チップ向けに培ったノウハウが活かせる場がなくなってしまったのだ。

制作会社へのサウンドクリエイターとして売り込みもやったが手応えがなく、これは駄目だ、一回仕切り直しだ、と、すがるような思いで派遣社員に登録した。

その日、僕は、音楽家の夢を諦めた。

あれから10年。Web業界、ゲーム業界を経て、今はSIerで、技術者の経験を生かしたコンサルとして働いている。

今の仕事に満足しているか?音楽クリエイターと比べてどうか?

高度な知性と創造性を駆使し、人々の暮らしを便利に、豊かにしているという自負と自尊心はある。

それより何より尊敬できる上司と気があう同輩という大事なものが今の職場にはある。

実際こういう良好な仕事環境だと、どんなにヘトヘトになっても(実際今週は3日連続午前一時帰宅)、充実感がある。

面白法人カヤックの「何をやるかよりも、誰とやるかが大事」という理念にも大賛成してしまうほどに、誰とやるかの大事さは実感している。

前職は、技術力の高い人や新しい物好きな人、トレンドに敏感な人など、ベンチャーらしくマンパワーの強さを感じる環境で刺激はあったが、私がゲーム文化を全く理解しておらず、話が合わなかった。

今の職場は普通の人がいっぱいいるので、入社当時は安心したものだ。

僕は今の仕事が天職かどうかはわからないが(いやむしろ向いてないと思うことのほうが多い)、確実に言えるのは、この仕事に出会えて良かった、ということ。

IT業界で10年仕事を続けて一番の収穫物は、調べればなんでもわかるし、手に入るという「万能感」を手にしたこと。

このスキルは、今は趣味となった音楽活動など仕事以外でも活用できる強力な武器である。

一方、かつての音楽仲間で、初心貫徹し、今も音楽で食えてる職業ミュージシャンには、それだけで、最大限の敬意を表する。

以前は正直認めたくない気持ちが邪魔し、正しい評価ができなかったが、今は混じり気なしの敬意と、応援の気持ちしかない。

本当にチームとして一緒に仕事をしていた音楽仲間に対しては、裏切って申し訳ないという気持ちもある。

でも、あの2008年。到底、続けるのは無理だった。実力不足。売り込み力不足。

僕と同じく、音楽家の夢破れた同士たちが、今取り組んでいる仕事にやりがいと誇りを感じているといいな、と思う。

仕事?

仕事とはなんだ?

これが今日のお題。

人々に価値を提供することの対価としてお金をいただく。

これが仕事の基本である。

価値とは、新規性、利便性、性能向上、効率アップなどさまざまな指標を用いて評価される。

今いるIT業界という世界では、他の業界に比べ、価値を出しやすい。

それでは音楽というとてつもなく価値を出しづらい分野で対価をいただくために、提供可能な価値とは何だろう?

プレイヤー、クリエイターとして日頃の鍛錬による技術力の提供

をベースとして、

新しいプラットホームへの最適化したコンテンツの提供

歴史的なコンテクスト(前後関係)をしっかり学習した上で、「今」必然性のある音を出すことができるかどうか。時代をキャッチするセンス

金銭的、時間的メリット、つまり安く納品できる、短時間に納品できる

こうしたことを音楽を通じてクリアした人に対し対価が支払われ、音楽家と呼ばれるようになる。

音でこうした価値提供をすることは大変困難であることは想像に難くない。

少なくとも自分には継続的なイテレーションを回して音楽クリエイターとして価値提供をしていくことができなかった。

そもそも音そのものは対価が支払われる対象ではない。

作品であれば完成したデータに対して、あるいは譜面に対して、CDやDVDといったメディアに対して、ライブだったらライブ会場に対して、それぞれ対価が支払われる。

つまり音のことだけを考えていたのでは音楽家というのは成り立たないわけで、20代の頃の僕には、この視点が欠けていた、というわけ。

今の僕には、20代の頃の音楽家になりたいという強い意志はない。ただその代わり、立たせていただいた打席には、音楽制作の依頼であろうと、プログラミングであろうと、ITコンサルティングであろうと、全力で打ち返す。これしかやっていない。もはや何者だかわからない。しかし、音楽が嫌いにならずにいられて、ITを武器に人の役に立ち、新しいもの好きな好奇心もほどほどに満たせる、今の状況を気に入っているし、これこそが自己実現だったのだと思う。

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