問題解決における切り口の重要性について

問題を解決するには切り口が大切だ。本質とかけ離れた切り口では問題を複雑化してしまう。

例えば、ミニチュアサイズの立体的な壁のある迷路があったとして、木製の平べったい箱で覆われていて中は見えない。迷路は箱に固定されている。スタート地点にある玉をゴール地点にもっていくとゲームクリアだ。

このとき、箱を切断可能であるとすると、問題は簡単だ。箱の平べったい面と並行に切断面をつくれば、迷路を上から一覧できで、玉の位置を確認しながらゴールに到達できる。

しかし、箱を迷路の床の面と垂直に切ってしまうと、一覧できないから、難易度は高いままだ。

このように、構造が存在する対象に対しては、切り口をどうするかが問題解決には重要なのだ。状況を一覧できる切り口は問題を簡明にする。少し難しく言うと、一覧できることにより、論理式と論理式の距離をゼロにできて、推論が容易になる。

これは、数学のように論理的構造が存在する対象だけでなく、あらゆるものは何らかの構造を持つので、あらゆるものに適用できそうだ。

心の悩みの場合における切り口は大抵の場合、適切な言葉だ。その状況を必要十分な言葉で説明できるなら、それはよい言葉だ。

例えば心の悩みを解決しようとして、ある自己啓発本を読むとする。そこには努力が大切だと書いてあった。しかし、この「努力」という言葉は気を付けなければならない。

大抵の場合、主観的努力なのか客観的努力なのかといった違いが重要だ。主観的に、苦しい気持ちを我慢することが努力をすることなのか、あるいは、客観的に、結果だけを見て、その道のりを努力と呼んでいるのか、それによって行動は大きく変わるだろうからだ。

前者の場合、良い結果を出すためにはある程度、苦しむことがよいことであるという考え方になりそうだ。一方、後者の場合、良い結果さえ出せれば、まわりが勝手に「あの人努力したんだね」と思ってくれてラッキー。楽して結果を出すように工夫しようという考え方になりそうだ。

このように努力という言葉一つをとっても、主観的努力なのか、客観的努力なのかで読者にとっての意味が変わってしまう。せっかく悩みを解決したいと思って自己啓発本を読んだのに、間違った切り口で解決しようとするかもしれない。

もし、何らかの問題に悩んでいるのなら、切り口について思い出してほしい。この切り口は状況を一覧できるだろうか?もし、一覧できないようなら、別の切り口を探してみることが重要だろう。

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