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(次の世代の子供たち)

阪神淡路大震災の際、私は15歳になる直前でした。




こんなに恐ろしい震災が起きるなんて… すごくショックでニュースも見てられなかった。アホな中学生だったのでそれまでは毎日のらくら生きていたけど、こんなにも人間は無力で危険と隣り合わせなんだと絶望した。

私の子供の頃からの、ささやかな夢は子供が一人欲しくてその子と仲良く暮らしたい。夫となる人と家族3人、楽しく笑って過ごしたい、そういう夢だった。

(兄弟を別け隔てなく育てるという自信はその頃からなかった、悲しいかな 自分にはそんな度量や実力がないのが分かっていた。近しい親戚で兄弟間のトラブルもたくさん見ていたし)

そんな平凡な夢だったけど、もしかしてこんなにも危険と隣り合わせの現世に子供を生むのは自分のエゴなんじゃないか?と薄暗い気持ちが生じた。震災前みたいな、のほほんとはいられないような。


その時、担任だった社会の先生が私たちに言った。

「でもな、絶対に復興するぞ!特に神戸は5年以内に復興する!」

いつも暑苦しいくらいの、熱い口調の先生だったけど その言葉はいつも以上に熱くて私たちのぼんやりとした不安を掻き消すかのようだった。

祈りのようであり、自然災害に対してどうすることも出来ないヒトの無力さに対する悲鳴のような強い口調だった。

あの頃の私は、その言葉にホンマかいな… と眉唾に思いつつも、少し嬉しかった。少しだけ救われたような。

実際、先生の言ってた通りだった。完全な復興とは、他県の私にはおこがましくてとても言えないけれど 2000年頃 私が思っていた以上に神戸は美しい街並みに戻りつつあった。ここまでの道のりにどれだけの苦労や困難に立ち向かわれたのだろう… 本当に頭の下がる思いだった。


東日本大震災の際も、悲しくてやり切れない思いだったけどあの先生の言葉を思い出した。絶対に復興するぞ、ヒトはやられっぱなしで終わらないって。




ちょっと遠回りしたけど、夢は叶って家族と楽しく過ごしています。あの言葉はただの気休めじゃない、と今も信じてる。私はあの言葉に救われたから、震災だけではなく幾つかの困難の際 思い出して立ち上がれました。先生には本当に感謝しています。


うちの子は2014年生まれで震災を知らない世代、熱かったM先生は程よく温かいじいじになって令和生まれのお孫さんもやっぱり震災を知らない世代。

震災を知らない世代に、怖がらせたくはないけどやっぱり記憶や教訓、対策をしっかり伝えないとなァ。


南海トラフの危険性も踏まえるとやっぱり私は、この世知辛い現世に自分のエゴで… と子供に後ろ暗い気持ちが生じたりします。

だからしつこいくらいに避難訓練やその時の待ち合わせ場所(避難場所)とかしっかり教えて、怖いこともあるけれどやっぱり生まれてきてよかったな… トータルで幸せの方が多いわって彼女に笑ってほしいからね。


ーーー


あの頃のニュース映像を見るとやっぱり涙ぐんでしまうな、28年経っても辛いもんは辛い。



こんな場末の日記に書くのもおかしな話だけど、

阪神淡路大震災で亡くなられた方々とご遺族の方々に心より哀悼の意を表します。


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