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#Tibet
ダライ・ラマ 回想(6)
2007/07/07
(『ダライ・ラマ 回想(5)』より続き)
再度言う。ダライ・ラマを「裸の王様」にしてはならない。
タブーにしてはならない。
仏教徒のあるべき姿勢を、ダライ・ラマは常々こう語っているー
「盲信してはならない。対象を十分に吟味・検討した上で信じるか否かを判断する必要がある」
これは、いわゆる「科学的アプローチ」と同意だ。その根底には冷静な批判精神がある。(以前読んだ本の
ダライ・ラマ回想(5)
2007/06/25
(『ダライ・ラマ 回想(4)』より続き)
2003年9月、ダライ・ラマに対する「不信・失望感」が更に強まる出来事が起こった。
ブッシュ大統領を訪問の際、こともあろうに、「旧友に御会いしたようだ。彼はチベット人へ心から関心と同情を寄せてくれている」とダライ・ラマは記者団に話したのだ。半年前、ブッシュは国連の勧告を無視し「イラク戦争」へと突き進んだ。9月の段階で、あるイラク
ダライ・ラマ回想(4)
2007/06/24
(『ダライ・ラマ 回想(3)』より続き)
だが、当然のことながら、人間の意識・体質はそう簡単には変わらないものだ。
ダライ・ラマが倒れたことで、難民コミュニティーにはかなりの動揺が広がっていた。チベットから逃れてきた人々(特に中年以上)にとって、宗教(チベット仏教)は生活の中心であり、ダライ・ラマはやはり絶対的唯一無二の存在なのだ。一方、インドなど他国で生まれ西洋的な教
ダライ・ラマ 回想(2)
2007/0604
(『ダライ・ラマ 回想(1)』より続き)
そして、12年の時を越え単独インタビューの実現。目の前のダライ・ラマは気さくなおじいさんという感じだ。うっすらと毛の生えたきれいな形の(うちの祖父を少し思い出させた)坊主頭がそう思わせるのか。無論、バリトン調のハキハキした声、時折見せる眼光の鋭さなどに“オーラ”は現れていた。
私は率直に質問をぶつけた。
「あなたは1988年にチ
ダライ・ラマ 回想(1)
2007/05/31
5月9日付けのロイター通信によれば、ダライ・ラマ14世は米マサチューセッツ州の大学での講演で、今後数年以内の完全な“引退”を表明した。これは、「チベット問題」に関する政治的な役割の引退を意味したもので、引退後もチベット人民を支援し、文化、環境保護の闘いは続けるとのこと。
ついに、ダライ・ラマが第一線から退く日が具体的に近づいてきた。様々な思いが脳裏を過るー
ダライ・ラマ