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国花 追悼と追憶と偶然

写真は「曼珠沙華 桃」

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更新履歴
2022/09/15 投稿
2022/09/19 追記修正
2022/09/23 追記修正
2023/09/08 noteへ移設し加筆修正
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”JOJOは「生命賛歌」というか「人間って、すばらしいなあ」ということをテーマにかいています”
☆引用:ジョジョの奇妙な冒険 12巻 著者コメント

「本当に無いもの」という形容自体がパラドックスでありますが、本当に無いものは「無」として捉えることは出来ません。始まりあれば終わりあり、有あっての無であるように、生と死は不可分の関係であります。
 このように頭ではドライ明瞭に捉えておるそぶりを見せておりますが、が、しかし、心では故人と個人その関係性により、別れとは乾くことも、滲むこともあります。
 人類有史以前からそれまで当然のように存在する、当たり前のように続く日常、認識している世界がある人物によりガラリと変わるということが繰り返し起きてきました。

・アイザック・ニュートン(1642年~1727年)
「何故りんごは木から落ちるのか? 枝に実をつけ落下するが、空に昇ることはない。しかし、空には月や星が浮いている。これは何故か?」
 木から落ちるりんご。それまで当然のような光景に着目し、異なる目で読み解いたニュートン。彼はそれを後に「万有引力」と定義していった。

☆本記事の日付表記は「曜日」「日」「月」と、英国式に合わせ表記致します。

 金曜日 9日9月
 私は目を覚まし、居間のTVを点けるなり声を出し驚嘆した。
「エリザベスⅡ世 崩御。8日9月 午前11:30 英国発表。日本時間9日9月 午前2:30」
 この一日前、女王陛下の名を記事へ著述。陛下の好むマニキュア色名を誤読し、独りつま先さき立ちスリップダウンしたその翌日、夜更け闇夜の間、英国でそのようなことになっていたとは露知らず、腰を抜かし、寝起き早々焦燥が下腹部を引き込み、狼狽え。不思議なことが連続し、そして連続していった。

 本件は時間軸に則し、追悼と追憶と偶然を全体として著述。併せてその日の花を撰述せんじゅつ。日記へつけた記録を辿り、またその時の「現在」に起きた偶然を綴り、陛下への謝意へと結びたい。
☆教養と修学を欠き、雅語がごを綴れず平易な文言、敬意を損なう文体となることをお許しください。

”19世紀、英国で生まれた1年366日の誕生花は、その日この地球でいちばん光り輝いている生き方をしている花を決めたものといわれています”
☆引用:366日 相性花の本。

 日曜 4日9月
 私は毎週日曜夜トートタロットカードを四枚引き、「過去」「現在」「未来」「助言」 翌週の自分の物語と訓戒を読み解き、現れた絵柄と要素の塩梅が悪い場合、無視を決め込むなど、自分の都合のいいように運命を解釈し、それを日記に書き残すということを一つの趣味としております。
 この日出たカードは「過去:ディスクの女王」「現在:ディスクの4(力)」「未来:ディスクの騎士」「助言:カップの4(贅沢)」
「エリザベス女王Ⅱ世を文中に書いた日に、ディクスの女王が出るとは、不思議なことが多い」と、日記に書き残し、こうしてその日記を読み返し思うことがある。それはタロットカードに関わるエレメントである。ディスクのカードは土属性に該当するため「土、土、土。やん」ということだ。
☆読みは「ド、ド、ド」でお願いします。英語の場合は "Doh! Doh! Doh!" を指定したい。
☆この日の誕生花は「水揚梅」
☆日本の誕生花は「晒菜升麻さらしょうま

 月曜 5日9月
 市民ことCitizenプールへ行き、市民どもと同じ水に浸かる市民どもの一人である私に突如暴力が襲う。
「もっと腰を、こう」と、目を据わらせ拳骨を私の肩ヘ殴り込んでくるちゃん爺。プール利用者の常連と久方ぶりの再会は拳から始まった。
「ご先輩、なぜ暴力を振るわれるか?」
「もっと、腰を、こう」を繰り返す先達。回答は力ということのようだ。
「目が座ってて怖えし!」と、先達に伝え、メイウェザー選手のような動きで爺さんの拳を全て躱す。
 この日の夜SNS(Twitter)へ「トマトジュースとレモン炭酸水のミックスジュース、その配合割合。激うま配合極秘情報」 これを市民の義務であるかのように投稿。なんと無料でだ。
☆この日の誕生花は「エルム」
☆日本の誕生花は「鳳仙花ほうせんか

 火曜 6日9月
 リズ・トラス首相任命式がスコットランドはバルモラル城にて行われた。エリザベス女王陛下と、リズ・トラス首相が映る姿を目にする。映像には陛下のご矍鑠かくしゃくな姿。後に亡くなられるとは全く想像出来ない……。
☆この日の誕生花は「凌霄葉蓮のうぜんはれん
☆日本の誕生花は「高野槙こうやまき

 水曜 7日9月
 A市図書館。
 ラジオ番組アーカイブを耳にし、番組内で選曲された”大友良英スペシャルバンド - 悲しくてやりきれない”を聴きながら記事『何を掬うが国政か』を執筆。
 ポメラDM200を使用中、外部記憶媒体であるSDカードに保存出来ないトラブルが発生。何かを感じその様子を動画に撮影しSNSへ投稿。執筆データはワープロ機本体へ一時的に保存。
 車に戻ると問題なくSDカードへのデータ保存が可能に。図書館内では何度試しても保存出来なかったのだが……。以降もこうした不具合は散発的に発生。誤作動を装った作為的なことだと想われる。
「こういった不愉快な奴にはなりたくない」
☆この日の誕生花は「オレンジ」
☆日本の誕生花は「見せばや」
☆この日はエリザベス1世の誕生日でもあります。

 木曜 8日9月
 記事『何を掬うが国政か』を初稿。
 SNSにて女王陛下のご愛用されるマニキュア「エッシー社制のバレー・スリッパーズ(淡いピンク色)」を、色っぽい踊り手の業態名だと誤読することで下町上がりのあっしは色違いによる抜群なる馬鹿力フォース・パワーを発揮。意気揚々とSNSへ投稿その後「あ、これ違うわ」と気付き、路上の釘を避けるが如くやおら切るなりハンドルを。外壁へ衝突クラッシュ。単独事故を起こす。
「クラッチが咬んだ」と、言い訳を思いつくが、そういうのは凪だった角をより鋭利にするだけだと気づく馬鹿の奇跡が起きる。正直にどう読み違えたかを記事へ書き残し、「ごめんなさい」と、ここにも書き残す。
 後日「馬鹿の足周りサスペンション」がどのような設定だったかを検証。
「経験と勘」とのこと。我ながら「救いようがない」 悪意がない分、厄介だと確信した。
 加速力と冷静さをトレード・オフの関係に、私は巧く回避出来るつもりだったが、そもそもストリートに釘は落ちていなかったのだ。
☆この日の誕生花は「からしな」
☆日本の誕生花は「藤袴ふじばかま

 余談:記事執筆後、無理して偉そうに綴った結果知恵熱が発火。よって「これより以降は野良猫の懐柔や、無謀運転にムカついた。そういう感じの何時ものテーマに戻します。(インターネット上で私の創った物を)探してください」のような雰囲気をSNSに投稿し、両手を挙げながら「散歩」と呼ばれる行為へ。「さんぽ~」と、口にし小さな旅へ向かう。
 すると、どうだろう。早速出先で偶然と遭遇。見かけない新顔の野良猫二匹が甘い声を上げて此方の気を引き込もうとする。
「仕込み?」 プロの野良猫役かと瞬時思うが、今しがたツイッターへ「野良猫を懐柔する」と書いたばかり故。
「ああ。偶然か」と、思い直る。形は違えどこういったことは偶発し、「偶然慣れ」みたいなことはよくある。こういった誰も傷つかないようなことには「ああ、またか」や「今回は(現れるのが)早かったですな」などと、至って冷静に対応出来るようにまでなっていった。
 野良どもはビジュアル的に大変可愛く、早速手籠めに入りましょう。
「チチチチッ」と舌を鳴らし、猫どもの耳目を惹く。直ぐに寄って来た。和毛にこげを撫でれる可能性が高まり、胸躍る。
「へへ(ちょろい)」 しかし食い物を持ち合わせてないと知覚されるなり、野良どもの猫撫で声は止み、サービスタイムは中断。歩みを止め、絶妙な距離感を保持される。野良猫を写真に撮る。躙り寄る。猫は遠のく。躙り寄る。猫は遠のく。躙り寄ろうと動き始めた途端、猫に撒かれる。旅を終え帰宅。

金曜 9日9月
 TV。
 エリザベス女王陛下崩御を知る。陛下の名を記事へ取り上げたばかり。昨日の今日のこと故、ド級に腰を抜かす。この日のこの朝が誠に「驚嘆」であり、文言と心が一致した瞬間であった。
「偶然慣れ」についてだが、その内容と規模によりそんなものは吹き飛ぶ。
「このようなことに、どう慣れろと?」
 ご存命であれば流れることも、崩御その直後。このままでは陛下に対して失礼極まりなく、自身が蛇蝎する「面白いを思い違えた嫌な奴」にこめかみまで浸かっているではないかい。我がに我がは恥辱を覚え、忸怩残心じくじざんし
「謝意を、どう示せれるか?」と、しばし考え「"essie - ballet slippers"の色を読み違えたならば、"esssie"でお詫びを」と、思い至る。esssie社オフィシャルサイトにて色を捜索。
"esssie - licorice"が見つかり、Twitterへ投稿。色へ色で追悼と斎みを。
 この辺りから日曜のタロットカードを思い起こし始め、「ああ、そういえば……」と、その他偶然への掘り起こしが強まっていった。往々にして「気づくと既に始まっていた」と、念うことは多い。
☆Licorice ≒ 彼岸花 ≒ 曼珠沙華まんじゅしゃげ
☆この日の誕生花は「うら菊」
☆日本の誕生花は「菊」 皇室の花でもある

 土曜 10日9月
 中日新聞朝刊。
『川沿い彩るヒガンバナ 高浜で見頃』という記事を目にする。見頃を向かえた川沿いのり面に、「ピンク」や「黄色」の花が見頃とのこと。ピンク、黄色の順で開花し、赤色は花の名由来どおり彼岸に見頃とのこと。
 ピンクの彼岸花が存在することに驚き「これだ!」 夕刻前、写真を撮りに向かう。
 この日の夜は十五夜。月も冴え冴え。
☆この日の誕生花は「えぞ菊(白)」
☆日本の誕生花は「曼珠沙華と、就寝前にツイッターを眺め知り、「なんなんだこれわ……」と、その偶然に腰を抜かす。自尊心を肥大させた勘違い野郎となることは避けたいのだが、仮に新聞社が「奇譚な呟き」と、私の投稿を捉え、その上で記事取材をしていたのならばネットワーク上に公にしたこと故、そういうこともあるかもしれない。しかし、その日の夜、誕生花が彼岸花だと知るとなると……。「波状だわ。たまげろ」という、言葉が頭を過るのであります。

 日曜 11日9月
 TV「日曜美術館 ゲルハルト・リヒター」を鑑賞。碌でもない状況の写真の構図が素晴らしく、碌でもない。
次。
 TV「NHKスペシャル。香港激変」を観る。「自由民主主義万歳」と、「立憲民主国家万歳」と、改めて想う。
 夜、日曜ですのでタロットカードを引きましょう。
「過去:ワンドの2(領土)」「現在:カップの女王」「未来:ワンドの女王」「助言:女帝」であった。
「な、なんなんだ、この連続わ……」 出たカードからエリザベス女王、英国を表すかのように読み取り、再び腰を抜かす。
 就寝後、闇夜の中目覚め「これまでのことを記事にしよう」構成を淡く練り、再び寝た。
☆この日の誕生花は「アロエ」
☆この日の誕生花には木槿ムクゲを啓上したい。木槿は韓国の国花でもある。

 月曜 12日9月
 市民プールへ。
 手に水かきをつけ、水圧を利用した稽古をつけていると、出会い。ちゃん爺と。
 稽古でヘロヘロになっている中、後方から「もっと、腰を」と、市民の義務かのようにしごきを始める爺さん。追いつかれると何をされるか判ったものではなく、私は一時的に物理の法則を超えることに成功。水中で光りの速度に近づき、後方の先達を引き離す。結果、股関節をやや、やる。帰宅。
 TV。NHKの地元ニュース番組「現在、愛知県旧ボストン美術館にて”QUEEN 50周年展-DON'T STOP ME NOW-”開催中」と、アナウンサー。
「おい、その前に、貴様のその腕の太さはなんだ。それとなんだこの連続は。何時止まるんだよ。貴様も伏兵か!」と、TVへ向かい言葉を漏らす。レポーター男性、ジャケットの上からでも判る腕の太さに着目を置くが、それは自分を誤魔化すためで、多方面からやって来る女王陛下の連続に慄いていた。
「ドンドン パッ♫ ドンドン パッ🎶」を幾つか連呼し、私は温泉Awesomeへ向かった。
☆”QUEEN 50周年展-DON'T STOP ME NOW-”9月10日~11月17日 旧名古屋ボストン美術館。なんかまんまと宣伝に担がされた感がするのだが……。
☆この日の誕生花は「クレマチス」
☆日本の誕生花は「曙草」

 日記はここまでにし、もっと大きな時間内で私見を述べていきたい。

 極東で暮らす駄馬なる私が、英国王室と所縁が結ばれることなどはまずないが、過去を辿って辿っていくと、細く一つだけあったことを思い出す。
「車が好き?」 それはそうなのだが、それだと弱い。その他にも車が好きな方は多くいらっしゃるため、私よりもモータリゼーションに詳しい人が書けばよい。
「馬が好き」 あの造形。発達した胸部と脚力。それもそうなのだが、女王と蟄居では大きく違う。陛下は馬にお乗りになられる。私は眺めてやっとであるが、女王陛下の馬好きは筋金入りだという逸話を合法的に入手したので、皆に喧伝したい。
 英国上流階級の子育ては、乳母や住み込みの家庭教師に任せ、父母はもっぱら子を見て、愛でるらしい。
「クララ・ナイト(二つ名はアラー)」「マーガレット・マクドナルド(二つ名はボボ)」リリベットを育んだ代表格の両名。公務のため世界中を飛び回った両親不在の間、アラーとボボだけでなく、祖父国王ジョージⅤ世、祖母メアリー王妃も孫娘エリザベスⅡ世を溺愛し、幼い後の女王を愛でた。
 ジョージⅤ世は自らを馬姿に変形トランスフォームし、馬好きのリリベットこと幼名「バンビーノ」をその背に乗せ、あやし、その姿を侍従じじゅうに目撃されている。
 私は競走馬について詳しくはないが、血統競技ブラット・スポーツであると理解している。
 つまり、英国国王の血統を引くエリザベスは、幼子にして元国王を御したということである。
☆リリベットとは、エリザベスⅡ世の幼き頃のあだ名。
☆参考:危機の女王 エリザベスⅡ世

「王」になる、「女王」に即位するというのは、血統を求められるのは無論だが、血だけで国の代表を担えるとは到底思えない。そして成りたくとも成れるものとも思えない。宿命の下に戴冠されるのだ。
 エリザベス二世が即位される系譜は、叔父のエドワードⅧ世を起因とする。
 Ⅷ世は「愛」を「国民」ではなく「個人」に向け、11ヶ月で退位。エドワードⅧ世の弟であったジョージⅥ世、即ちエリザベスⅡ世の父が国王の座に着く。
 しかし、ジョージⅥ世は即位を望んでいたのではなく、また王になる準備もしておらず。突然その重責が降って来たのだ。ここからも「王」とは望んでなれるものではなく、担うものだということが読み取れる。時は第二次世界大戦中、国王と英国王室は供に戦い、王室と国民が近づいた時代を迎える。その数年後ジョージⅥ世は逝去。エリザベスⅡ世は25歳にして英国の女王に。
☆映画『英国王のスピーチ』は、第二次世界大戦中のジョージⅥ世を描いた名作。

 国王が傍若無人と振る舞うことを当然とされた時代は過去のものだ。現在は「正しくあらねばならない」筆頭格であり、動物を愛しフィリップ殿下を愛した女性は、國を愛することを優先させられていくのであった。
 うら若き乙女のうてなに薔薇が飾られ、生きる石碑いしぶみ
 なんと言祝ぐ嘆きか。
「脈々と続く連続」というのは、それに価値がある。時間は巻き戻すことは出来ない。データーではない現在進行形の現実の再生速度。1年を100年のように改竄することは不可能である。つまりこれは対抗不能性ということである。

 ここからは概念から、もう少し具体的な価値を書き示していきたい。

「執政権を持たないが、その影響力を持っていることに価値がある」 というのも、上院下院、衆議院参議院、右派左派、なんだってよいのだが、議会にて討議の上、物事は進められていくが、屡々対立時、意味を華美に粉飾しその後に過度な咀嚼が吐き出され、そして記号的意味の一人歩き、内実を持たない派手な広告合戦を打たれることが起きるものである。
 同位で衝突する中、例えば過度に対立を煽るよからぬ者が現れ、國が割れ、内戦と至った場合、執政権を持っていない「王」の存在、その正統性が諍いを納める役目を持つ。
 対立する同士は「善悪」で互いを語るが、そうではない位置、善悪の彼岸に着座する王という存在は非常に有益なのだ。
 繰り返しますが、現実の時間は巻き戻すことも、早送りすることも出来ず、歴代という価値を育むにはオークの木を育てるよりも長い年月を要する。
 王が執政権を持つ場合の争いとは、即ち「革命」に至る。雅びと俗世が並列化し衝突するため。
「王」という存在は、内政だけでなく、外交にも効果を発揮する。
「日本が昔アメリカと戦争をしていた」ことを信じられないとする意見をちらほら耳にするが、「日本は英国連邦とも戦争をしていた」のだ。
「過去の清算」「時間」という下地があり、その上でエリザベス女王と昭和天皇は、英国と日本の過去を、現在に繋ぎ直す大きな役目を担った。
 国内でも国外でも最前線に居る者どもは争うが、そうでない「徳」もある存在とうのは、互いに平静を装わせる効果を持つ。国家間の間を取り持つことにも有益である。そこにも執政権を持っていないということが価値を生み出しているのだ。

 これらは性別に限らない。それをエリザベス女王Ⅱ世が示してきた。
「歴史あり、実利あり、格もある」のが、私の中での王室と皇室。
「品」については鮮度を保つ必要があり、放っておいても王は生まれない。それ故、品の後に格が連なってくるのであろう。
 執政権を持つ者は国民の投票により選出される。王は違う。この切り分けこそが、歴史と現在を取り持つ最善の方法だと、私は認識している。

 英国王室や、日本の皇室に対して批判的な意見があることを、周知はしていないが察知はしている。私はそれへ「不遜である」と、一蹴し、遠くへ追いやってしまうことに反対する。併置させ、王室皇室の廃絶についても反対する。理由は前述済み。
 階層社会を起因とし、王へ反対される方の考えも判る。王とは国家を代表する存在故、槍玉にあがるだろう。しかし、現実に目を向けると、皆が同じだろうか? 資本家から会社経営者。勤める者も居て、教師や芸術家など国家とは様々な生業の者が居る。なににつけても代表は必要であり、完全な同並列というのは無理だろう。
 別では「王室や皇室を利用する好からぬ輩が居るため、反対する」という考えには、着眼点が表層であるように思う。なぜならそのような悪党は世界的な大きな運動会も、あやかし神仏を拝む集団も、何かにつけて何かを利用する。よって、王室、皇室を廃絶しても別毎を利用するだけであり、取り除いて世界が劇的によくなるとは思えない。元凶であるならば別だが、象徴と元凶は必ずしも一致しない。
 りんごの実が木から落ちるという当然であることをどう見て、何故なのかという発見のように、他者へ想起させることが世界を変えるだろう。
 必要なことは思考の収奪ではなく発見であるように、問題は「室」ではなく「質」である。

 別項で異を示したいことがある。
「王が過去に地球環境問題を口にしていた。環境問題へ過激な行為を取る集団が王の言質を後光にする可能性がある。よって王は口を噤め」という考えにはこう答えたい。
「環境問題へ過激な行動を取る者は何につけてもそうする。鈍重な世界へ諭し続けても変わらず、苛立ちから頭に一撃入れたくなったのだろう。これを王の責務にし、彼らを世界から取り除けただろうか? いいや、そんなことはない。何につけてもそうしただろう」 つまり、そういった過激派が悪い。とすることにも、少し待って欲しい。
 其奴らの行為は問題であるが、地球環境問題は文字通り『地球環境の問題』である。王のゲップや、王の書く手紙のために樹木が伐採され、温暖化が促進されたわけではない。我々が持続可能な選択を遠ざけ、結果、過度な行動を選択する集団が反動として現れたわけであり、王が地球環境を提唱したため、地球環境親衛隊が発生したわけではない。
 因果を強引に結ぶ者は別の過激派、それこそ親衛隊を生み出す土壌になる。一見まともなことを口にしているが、強引な因果は強引な応報を齎す。
☆おい、言論の自由は責任と対だろ。王の口にはマスクを着けさせ、自分は「言論の自由を唱える」 コメンディーとしては好きですが、無自覚で口にしているなら、「すげえ! 無限の自由が、今!」 自由の王様。 いけすかねえ不行儀を「王」という称号へ活着させている所作である。執政権とは?
☆2023/09/08 追記。環境問題を過激の一本槍で突き、周りがついてこなければ地球環境は変わらないだろう。

 また「室」が、のほほんとしているだけの集団であるというのは「ないだろう」

 現在で傍若無人を振る舞えれるのは「個人」だ。新進気鋭のアーティストから古拙古典となる芸術家や、資本家こそが「王のように振る舞えれる」 無論この場合の「王」は暴君の形容である。
 考えてみて欲しい、大手会社の長がハラスメントを重ね続けた場合どうなるかを。「労働環境を無視していた」「地球環境を無視していた」「出鱈目な賃金体系だった」など。
 非難囂々、業績の悪化。不買運動が目に見え、有名になるというのは社会的責任も背負わされるわけである。
「大統領や首相は?」 「選挙」と「法」が回答に。

 自分の好き勝手にしたいというのであれば「芸術家に成れ」と伝えたい。自分の念い、自分の考え、自分の技術、自分の創り出す物一つでのし上がることが出来、また「表現の自由」という、裁量権を社会が許容しようとしてくれている。
 得る名声も、対価も、自分に戻り、自分発、自分着であるが、選挙という囚われはなく、公序は薄められる。が、売れる保証は微塵も無い。
☆自己名声だけで伸し上がれるだろうかは甚だ疑問。仮に成功しても十中八九しくじって、消えてくだけだと思っております。

「ああ、創ったものが早くお金に返還されたい」 おっと、私的なる魂が漏れてしまった。
 協賛を得れればありがたいが、協賛先のイメージを損なうような行動は慎まれる。自由を求め、不自由に。ということで他国へ難癖つけて侵略する自分の思い通りの世界を描きたいなら、絵でも描いてりゃいいのだ。そこに批評批判があって、当然然り。
☆芸術家を蔑む意図はございません。Tシャツを着替える感覚で、影響力と権力の上澄みかっさらう者への嫌疑であります。

 否定的な「王」という形容から離れ、実際の「王」へ考えを変えたい。
 国内外からその振る舞い、言動まで、兎角正道を求められ國を帯同する人物。その役目が安穏としたものとは私には思えない。言動や行動が及ぼす影響範囲が広大なため、王になる、皇になるための修学は一朝一夕ではないかとと想像しております。

 ああ、いけない、生き馬に目を奪われ、極東の兎馬ロバと、英国王室が繋がる、細い細い線についてを書き忘れた。
 それは数年前に遡る。
 私はある日、車で隣町に向かっていた。すると「自由フリーダム」 信号とかそういった世俗に左右されず、「私はここを渡ります」と、ストリートを縦横無尽にご徘遊されておられる方が目に飛び込んできた。
「これは危ないね。怪我しますね」 最寄りのコンビニへ急ぎ車を駐め、接近を試みる。明るい茶色、所々に白のスポットを入れた髪型で、舌を出し前足と後ろ足で闊歩。「チチチチッ」と、喚びを始める。すると、此方へ近づいて来る。可愛いそ奴の犬種は「コーギー」
「これは素敵なスカーフですね、ところでどちらから来られましたかな」首輪を掴み、飼い主の情報がないかと捜すが、皆無。
 私は首からぶら下げたパラコードを外し、括り付けたカラビナを犬の首輪に通す。そして、犬の後を見てみると、「おや、これは失礼。ご婦人でしたかな」 昨今あまり目にしなくなった「野良犬」 それにしては毛並み良く、人慣れしているさまから、迷子犬だろう。
 まずは車を駐めたコンビニへ聞き込みを開始。
「この犬を観たことがありますかな?」 単眼鏡を点けたような口調で訪ね回るが「しらない顔だねえ……」
 近くの接骨院へ「瓦屋のトムに似ている。けど、知らないなあ……」 方々に訪ね回るが「お前の言葉は訛が強くて判らない。その犬も知らない」と、市民どもの声。世知辛い世です。
☆演出ですよ。演出☆

「これは弱った……。そうだこういう時の警察!」 私は犬を連れ、最寄りの交番へ迷子犬の届け出を出す。出来れば犬を其方で預かって欲しかったのだが、弱く断れている空気を嗅ぎ取り、思惑もあり、敢えてそれ以上強く押すことは選択しなかった。
「訛が酷い」とお巡りさんから嗜められたいうことにし、彼女を連れ車に戻る。その足取りは揚々とし、犬との暮らしを想像し、名前もつけていた。
 帰宅後、そりゃ散歩に行く。アスファルトは堅いので、近くの野球場へ行き、闊達に動く犬を愛でる。家族からは「ちゃんと世話しろよ」と、いわれるが、にべもない。趣味の一つ、散歩。独りで歩くことは好きなので寂しさはないが、犬が居るなら一緒に連れ歩くだけだ。
 玄関に段ボールを敷き、鶏肉を茹でたそれを与え、その日を終える。

 翌朝。
 犬の鳴き声と「うわ、犬くさい」 チーズが濡れたような、犬独特の匂いが玄関に充満していることが嬉しく、犬へ近づき、くんくん。「うわ、くせえ」と、はしゃぐ。
 その日の午後、電話が鳴り、お巡りさんから「飼い主がみつかった」との知らせが入る。
「相手方に此方の連絡先を教えても可いか」と言われ、「可い」と答える。
「この犬の飼い主である証明と、警察所で警察官立ち会いの下、飼い主に戻したい」という条件をつける。偽りの飼い主と直接会い、渡してしまい、本当の飼い主の下に彼女が戻れなくなることは絶対に避けたい。

 翌日。
 警察所内にて飼い主へコーギー犬を戻す。飼い主の証明である証として持参された「血統書」というものを私は初めて目にした。そこには英国王室云々のようなことが書いてあり、犬の愛嬌ある雰囲気に納得した。
 帰宅。
 たった二日ではあるが犬が去ぬ、チーズの匂いのしない玄関に、侘しさを覚えた。尚、そのコーギー犬との出会いの場が、彼岸花を撮影した「高浜市」である。

 では、花に関わることで本記事を結びたい。
 曼珠沙華のピンクには未だ花言葉が無いと知った。どこに提案すればよいのか判りませんが、私から「偶然」「謝意」「はじかみshy」「淡い思い」を、花言葉として啓上いたします。
 彼岸花には好からぬ言葉も幾つかありますが、私はあの花の形と色に惹かれる。

 21日4月  エリザベスⅡ世の誕生花は「柳」
 14日11月 チャールズⅢ世の誕生花は「松」

 英国連合国の国花は「薔薇」
 日本の国花は「菊」「桜」

 これにて追悼と追憶を閉じる。偶然については私ではどうしようも出来ないため、閉じ方は不明。ご存じの方がおられましたらご一報ください。尚、奇妙な霊感の品へ投資する予定はありません。

 エリザベス女王陛下のご冥福を祈ります。

 以上

-参考資料-
@tanjyouka (日本の誕生花ツイッターアカウント)

366日 相性花の本
著者:瀧井 康勝
ISBN:4-88320-057-4

危機の女王 エリザベスⅡ世
著者:黒岩 徹
ISBN:978-4-10-603734-4

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