見出し画像

月を見る犬 

この名前は、私自身です。

私が14歳のとき
叔父との会話中のこと。

突然、斜め上の壁を指差した叔父が

「この指の先をずっとずっと進んだらどこに行くと思う?」
と問いかけてきました。

「どんな星にぶつかっても、そこも通り抜けて、どんどん先へ先へ行ったら何処に行くかわかるかい?」

私は受験の悩みを話していた時だったのですが、
受験の話から、宇宙の先の先のそのまた先の話をされた意味がわからなく。
だけど一方では、
叔父が話すことには、きっと何か意味があるのだろうと思い、
自分なりに考えてみました。


んー、宇宙‥‥?
ブラックホール?

「誰にも分からないんだよ」

‥‥ズッコけるような答えでした。

でも、
そのあと、なんだか狐につままれたような感覚になりました。
科学者やNASAの人たちがいるのに、
そうか、この空の先の先の、ずーっと先は、
誰にも解っていないんだ‥‥

中学生だった自分には
大人の専門分野で活躍する人たちは
何でも分かっているのだろうと漠然と思っていたぐらいで、
要するに宇宙なんてろくに考えた事もなく、
そんなことより目の前の悩みの方が優先でした。

「いいかい?要するに、この地球がどこにあるのか、誰も知らないんだよ。
だけど、分からないのは不安だから、
みんなに名札を付けてるだけなんだよ。
やれ太陽系だの、名前は地球だの、
ここは日本って名前だの、何県の何市に住んでて名前は○○ですって。
実際には自分たちが何処にいるのかも誰も解らない。それが事実なんだよ。」


話を聞きながら、
真っ暗闇の空中に浮いている自分を見ているような感覚になりました。

「例えば、人の身体は大宇宙とも言える。
我々は血液の中の血球や細胞かも知れない。
細菌や微生物かも知れない。
君が火傷して痛い時は、体内の世界では戦争になっている。白血球やら何やら兵隊が飛んできて細菌と闘うわ修復するわの大戦争だよ。
それが我々の言う天災であったり火山噴火かも知れないんだよ。ウ○チはビッグバンかも知れない笑」


「だからね、この世の中で悩みがあったり、
お金を懸命に貯めたり、いい学校に行ったり、それも結構なことだけども、大したことじゃないんだよ。
色々な役目を知らない内に生きていると考えたらいい。もっと広く考えるのが大事だよ」

子どもだった自分には、あまりに衝撃的で
何度も何度も反芻していた中で
覚えている限りの内容が上記の話しです。
当時はビッグバンてなに?と思いましたが。

星新一の本に、地球がカビ団子みたいな話があったね!と話したら、まさにそういう可能性もあるということだと笑っていました。

叔父は、かなりの高学歴で
しかし周りの期待に背いて
中年以降、哲学の道を選んだ人です。
まるで世捨て人のようで変わり者でしたが、
私を小さな頃から、親よりも可愛がってくれました。
気難しいけど、幼児だった私に対して「人」としての人格を認め尊重してくれる人でした。

私の受験の悩みに対する答えは
宇宙規模でみたらどこを選んでも大差なく
自分の在り方が大切で、広い視野を待って世を観ろというものでした。

そして、

「勉強は無駄ではない、無駄とは言わない。が、それまでのこと。
それよりも、もっと大切なことは、
生きとし生けるものに目を向け、足元の小さな命の中に何を観るかだ」
と、言いました。

まるで何か自分に言い聞かせるように
頷きながら、そう言っていました。

私はその日から
夜空を見る度に叔父の言葉を何度も思い出し
月を見ては
太古の大昔から現代まで
人々は皆んな同じ月を
それぞれの思いで眺めていることに
神妙な気持ちになりました。

肝心だった受験の悩みはどうなったのか。笑


そして今は
月を見ると、亡き叔父を思います。
叔父はどこへ逝ってしまったのだろう。
〝人は何処から来て何処へ行くのか〟という
子供の頃からの疑問に答えが出ないまま
月を見ては
なぜか穏やかな気持ちになります。

穏やかな気持ちになるということが
その答えなんだろうなと思います。


月の裏はマイナス170℃らしい
アームストロングが初めて月面を歩いた
月面着陸はなかった
そもそも月は作り物

色々な説が時折耳に入り
なるほどな、と思いつつ

私は月へ行った訳じゃないから
実際のことは解らないけれど

夜空に輝く月は美しく
朧月夜の風情も
儚そうな細い月も
どこまでも深く美しく

亡き人を思い
懐かしく穏やかな気持ちになる

それだけで
充分なのです。

難しいことはわからない
だけど
そこにある光る月を
ただ見て感じている

それが今の私です。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?