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夏の終わりの切なさを歌った曲といえば?

そうだね、ひと夏の長さより・・・だね。

リリース直後から"『ひと夏の長さより・・・』過激派"として活動してきたものの、一向に干され曲的な扱いを受けているのでこの曲について、つらつらと書き綴っていこうという所存でございます。
(ちなみに「・・・」です、「...」ではないです。点が無いのは論外です。)

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八月のレンボーブリッジ
ここから眺めながら
僕たちは恋をした

まず登場人物は康Kidsならお馴染み「僕」と「君」です。
物語は「僕」がいつかの「八月」を回顧するところから始まります。

でも何から話せばいい?
ただ隣に腰掛けて
ぎこちなく風に吹かれた

この曲を通して、「僕」の情けなさが目につきますがこれもまぁ康氏が描く物語の魅力の1つです。
"夏にゴリゴリのタンクトップでBBQに足を運びZIMA片手に肉を焼いてる「僕」"には感情移入しにくいですもんね。(あくまで1オタクの意見)
「八月」時点ではかろうじて誘うことは出来るものの、何から話せばいいのかは分からない初々しさに満ちていた頃の情景が目に浮かびます。
(話すこと無いのにレインボーブリッジに誘う勇気よ)

一緒にいる その幸せが
ずっと続くと思った
やがて季節は過ぎるものと
気づいていたのに…

「一緒にいる その幸せが」というフレーズから「僕」と「君」がなんやかんやあって(ここをうやむやにすな)付き合うことが出来たこと、「ずっと続くと思った」というフレーズから現実はそう甘くはなかった(=別れることになった)というストーリーの動きが伺えます(康氏、主人公が幸せになるストーリーの詳細は書かないがちだな...。過去になんかあったのかな。)

ひと夏の長さより
思い出だけ多過ぎて
君のことを忘れようとしても
切り替えられない

はいきた、このフレーズは教科書だったら太字赤字といったところでしょう。いつかの「八月」を(おそらく何度も何度も)回顧した、"今"の「僕」の感情が真っ直ぐに現れています。ずっとあの「ひと夏」から前に進めない「僕」...。

何度も着たTシャツは
首の辺り 伸びているけど
腕に強く抱いた
君のことは忘れられない

"何度も着たTシャツの首の辺りが伸びていること"は"「君」と別れたあの頃から時間が経ったこと"の暗喩、そしてそれを「君」に今もなお思いを馳せる「僕」と対比させる構造、流石か?𝑮𝒆𝒏𝒊𝒖𝒔か?

台風で中止になった
花火大会なんて
どうだってよかったんだ
始まったら終わってしまう
当たり前の出来事も
できるだけ延ばしたかった

ここでまたまた過去を回顧する「僕」。
「八月」はまだ誘っても何から話すべきかも分からなかったのに、花火大会に誘えるまで進展した「僕」の成長と、その成長を「まだまだだ!!!!」と嘲笑うかのように花火大会を中止にするほどの「台風」。康氏、簡単には「僕」を幸せにはしないの鬼の所業か?

かき氷が溶けたこととか
金魚すくいの下手さも
君の浴衣の可愛さとか
喧嘩したことも…

「僕」氏、めちゃめちゃ引きずってるやん。
そして、ややストーカーへの転生を思わせるほどの回顧。

この夏は特別だ
僕にとって意味がある
今までとは比べられないほど
大切な時間

ここで気になるのは"僕にとって 意味がある"という部分。
では果たして「君」にとっては...? どうだったのかはこの後出てくる一節から読み取ることが出来るかもしれない。

愛し合ったこの日々は
種の多いスイカみたいだった
そう思い通りに
行かないのが人生なのか

個人的に康氏が手掛けるいくつもの歌詞の中で好きなフレーズTOP3に入ってくるであろう一節。
思い通りに行かないことを「種の多いスイカ(=種が多いためスムーズに食べることが出来ない)」に例えてるの天才でしか無いでしょ流石に全私もスタンディングオベーション。
というか、余程うまく行かなかったんですね、「僕」と「君」。
出会わない方がよかったのでは?

肌寒い秋風が吹いても
もう少し Tシャツがいい
カーディガンを着たくはない
君と恋した夏

前にも出てきましたが、"何度も着て首元が伸びてしまったTシャツ"に加えて、"カーディガン"という単語を出すことで、ここでも時間の経過一向に前に進めない「僕」の気持ちの対比を強めているように思えます。
"カーディガン"を着たその時、あの「ひと夏」から一歩前進出来るのかもしれないですね。(すぐ着な。)

来年の夏はまた
きっとここに来るだろう
愛するとは言葉はなくていい
そばにいることだ

この一節こそが前述した、"「君」にとって意味のある夏だったか?大切な時間だったか?という部分に繋がるように思えます。

この一節から、「僕」は「君」に対して自分の気持ちを言葉にしなかったこと、そしてそれでいて、「一緒にいる その幸せが ずっと続くと思った」ということから、「僕」は知らず知らずのうちに自分本位(独りよがり)な考え方になってしまっているように感じます。
言葉にしろよ!!!!しないと伝わらねぇよ!!!!(修造こと私 より)

おそらく、「八月」のレインボーブリッジで「君」を誘ってから秋が来るまでの間に振られていますね、「僕」。
そして、その事実に対して、「愛するとは言葉はなくていい そばにいることだ」と自分に言い聞かせることで過去の自分を正当化しているように思えますね。

ひと夏の長さより
思い出だけ多過ぎて
君のことを忘れようとしても
切り替えられない
何度も着たTシャツは
首の辺り 伸びているけど
腕に強く抱いた
君のことは忘れられない

そしてラストはまた1番サビの繰り返し。そう、"繰り返し"。
この回顧の渦から「僕」は抜け出すことが未だに出来ていないことが分かります。季節は移り行くのに、あの「ひと夏」から一向に抜け出せない、あ、もしかして無限列車かな?なんとかしてこの渦から抜けられることを願っているよ、「僕」氏。

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さいごに

終始「僕」の情けなさが目に付くこの曲ですが、切ない歌詞とメロディーがこんなにマッチするかね、といった具合にマッチしており、内容は切ないのにどこか”前向きな感じ”もある不思議な感覚になれる楽曲だと思います。

この曲は『逃げ水』のカップリングということもあり、「僕」にとって「君」は"逃げ水"のような存在なのかもしれないですね。知らんけど。

まだ聴いたこと無い人、この曲を「干されだろ?」と思っている人、是非改めて聴いてください。

以上!!!!!!解散!!!!!!!!

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