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湖晴のこと

さきに身丈直しの記事を書いてしまいましたがわたしのことをすこし書いておこうとおもいます。

3年ほど前に、10年近く努めた会社を退職しました。
もう二度とあんな忙しない生活しないぞと心に決めて、関東から関西にもどってきたはずなのですが気がついたらまた忙しない毎日です。

同じ忙しない毎日でも、変わったなと感じていることはあって、それはすべてわたしのためであるということでした。

思えばわたしは主体性のない人間で、とにかく周りの期待を察知することが大層上手だったのです。
主体的に動いているようにみせかけて、すべてはだれかの期待に沿うようにしていただけなのです。
だからこそずっと、君はどうしたいの?
と問いかけられることが苦手でした。
わたしのなかにはわたしが足りていないと感じていました。

体を壊して退職したのをきっかけに、所謂自分探しをはじめました。
30代も半ばにさしかかろうというタイミングで。

笑っちゃうかもしれませんが、ほんとうにそういうことをやってこなかったのです。ひとの顔色ばかり伺っていた。親だったり職場の人だったり、お付き合いしていた人だったりいろいろだけど。

自我の芽生え、と勝手に呼んでいる事件があります。
当時、わたしはシステム開発の現場にいて手作業で処理していた事務を自動化するプロジェクトに携わっていました。
そのときふと思ったことがありました。
仕事をシステム化するのは企業側にとってはいいことかもしれないけど、ひとの仕事がなくなるってことだよな。と。
もちろんわたし自身もシステム化の恩恵を受けています。システム化の要件があることで仕事をさせてもらっていた、ということもありますし、ネットショッピングや動画配信サービスがない生活は考えられない。保険も口座開設もwebで完結できる時代です。
そういう恩恵をうけながらも、そのひとかけらの疑問はわたしのなかにシミを残していつまでもそこにあり続けました。

自分の思いを伝えるということが昔から苦手だったので、社員面談でもとくに困ったことはないです、とずっと報告し続けていたのですが
その年の面談の日、はじめて自分の中での疑問を伝えてみました。面談の相手は親しくしている先輩で、当時管理職にあがったばかりでした。
それから数日後、上司から「いまの仕事に誇りをもってがんばっているメンバーに対して、あまりにも失礼だ」という内容のお叱りを受けました。
このことをきっかけに、わたしのなかのシミは少しずつ大きくなっていきました。

仕事をやめたことはこれだけが原因ではないのですが、大きな要因はやはりわたし自身に自我が芽生え始めた、ということだと思います。
そして抽象的ながらも、このさきこんなことをしていきたい、と思えることが増えていきました。
●なにかをつくるということ。
●ひとのせいかつに関わること。
●自分に優しくすること。
そんな、小さな芽がわたしのなかに生えてきた頃合いで体を壊しました。
思えばこのとき、きちんとわたし自身の気持ちを大切にしていればプロジェクトのメンバーに迷惑をかけることもなかったし体も心も壊したりしなかったでしょう。
けれど長年の体質はなかなか変わらず、わたしはそれはしたくない、と言えなかったのです。
でもこのことがきっかけで、関西に戻ろうという決意ができました。
環境の変化にとにかく弱いので、長年勤めた会社を退職するのはとても勇気が入りましたが。

それからしばらくのお休みを経て、またいまとても忙しない日々を送っています。
けれど心持ちは以前とは全然違う。
仕事は毎日大変だけど、自分の中で期限を決めました。
●マイホームを買うこと。
●保育士の資格を取ること。
●細々とでもいいからなにかを作り続けること。


いまわたしの中の主軸はこのみっつ。
マイホームの夢は昔からあったのですが、ようやく口に出せるようになりました。
思えば、三年前は未来のことなんてまったく口に出せなかったし、この生活が一生続くのか‥ととにかく疲弊していたように思います。
いまは未来のことが楽しみでしかたない。
そしてそんな風に思える自分も、前よりすこし好きになれた気がします。

noteでは忙しなく愉快に生きている湖晴が、日々の中でみつけたことや、やってみたことをのんびりマイペースに書いていこうと思っています。

どうぞよしなに。


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