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母親が家にいないおうちの子供 #02

しかし、その後数度の引っ越しを経て、小学校5年生の時に郊外の振興住宅地に引っ越すと、わたしの考えは大きく変わります。

環境も大きく変わったし、わたしも周りを見渡せる年齢になってきました。
そこには、少なくともわたしが把握している限り「おうちにお母さんがいない」友達はいませんでした。
どの家に行っても優しそうなお母さんが出迎えてくれ、友達がいない時は、今日はピアノに行っているだの、何時に帰ってくるからまた来てね、だの親切に教えてくれました。
そしてもっと小さい頃はどこも一方的な関係に見えた母親と子供の関係性が、友達的な間柄に移り変わっていくのが肌で感じられました。

みんなお母さんのことがどんどん好きになっていくようでした。
それを外側から見ているわたしは、ひどく孤独でした。

ローンを組んで家を買い、家庭を守るために働く両親は、わたしのことにはほとんど興味がないように見えました。

「家を買ったから」ともう習い事はおしまいになり、わたしは鍵っ子で、とてもひとりでした。
中学生になった姉は部活に熱中していました。

行っていた小学校には学童があったのですが、わたしはのちのちまで学童とは何か、ということさえ知りませんでした。

正直なところ、塾に行くなり、ピアノや英語を習うなりして時間を埋めれば、その時代のわたしはもう少し慰められたと思います。

そのころのわたしは「どうしてうちのお母さんは家にいないの!?」という怒りに取り憑かれていました。

母親の不在を心の底から恨むようになっていたのです。2021年6月17日 23:26記

#フェミニズム #共働き #子どもの頃 #子どもの頃の思い出 #鍵っ子 #母親が家にいないおうちの子


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