わが人生に悔いなし?
先月誕生日を迎えて48歳に。
だから?
最近、こんな曲や、
こんな曲、
まあ、これでもいいんだけど、
をしみじみと聞くようになった。
あぁ、若いときは想像していなかったが、人生50年近くも生きてきて、残りの人生を考えると、やはりこういう曲にシンパシーを覚えるんだろうな…。
確かにそうなんだと思う。
でも、もう一つ、2年前(ちょうど7月で2年だ)に起業して、小さいながらも会社経営を、事業を自分でやり始めた影響も大きいのでは?ということに最近気づいた。
人生に占める時間の多くが「寝る」か「働く」か、という人は多い。まあ「人生とは、どう寝るかだ」というのは面白いけど、ちょっとシュールなので今回は横に置いといて、「人生とは、どう働くかだ」、「人生とは、どう仕事をするかだ」というのはあながち間違ってはいないのでは、と思われる。それが全てではないけど。
私に関して言うと、やはり起業後はそれが顕著になる。つまり一日のうちで仕事なり、その周辺に掛ける時間の比率が高くなった。公私の区別も曖昧だ。つまり、まさに人生=仕事となりつつある。
ってことを考えると、「わが人生に悔いなし」問題は、ほぼ「わが仕事<経営>(もしくはそれに伴う判断)に悔いなし」問題と言い換えられる。まあ、老後のこともあるが、きっと死ぬ間際まで仕事をしているんだろうと思う。個人事業主みたいなものだから、定年もない。
ただ、掛ける時間の問題だけか?というとそうでもないような気もする。悔いなくやりたいこと、やるべきことをやり遂げるには、自然、限りなく会社や事業を運営する立場と所有する立場とはリンクしなければいけないからだ。俗に言うオーナー経営者でないと難しい。
もちろん、オーナー経営者だからって何をやってもいいわけではないし、オーナー経営者じゃないと悔いのない人生を送れないのか?ということでもない。そうじゃないから、これらの曲が時代を超えて、遍く受け入れられているのだろう。
ただ、これらの曲が万人に受けいられることを前提で、それでもやはりオーナー経営者だからこそ気づき、感じる、これらの曲の持つ別の側面のようなものがあるように思われる。それを自分も気づき、感じられることになった、ということかもしれない。年齢的な要因だけではなく。
よく自分の葬式にこういう曲をかけて欲しい、と生前にリクエストをする方もいらっしゃるようだが、未だその心境には達していないことは述べておく。