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誕生日にスマホ忘れて仕事行ったら良いことあった

誕生日。特別な日だからこそ、社会人になってからは特に、この日だけは嫌な思いをしなくて済むように極力注意して生きてきた。好きな服着て、好きなことして、好きなもの食べて、好きな人と過ごす。会社は有休とる! ケーキは絶対たべる! と。

しかし、今年はここへきて初めて、ぜったい会社を休めない日と重なってしまったのである。よって朝から、いや前日の晩から緊張していた。

この世に生まれた今日という日に、生まれてきたことをどうか後悔せずに過ごせますようにーー。

会社は誕生日の人にとっては危険な場所である。良い仕事ができればいいが、こんな日に限って初歩的なミスをしたり、廊下で苦手なひととすれ違ったり(通勤電車の中で会ってしまうのが自分の中では一番OMG)、同僚にいらんこと口走ったり、上司にいらんこと言われたり、取引先や客の対応でつかまったり、それで残業になったり、もうとにかく心身ともに無事にするっと帰れる保証はどこにもないのだ。

そうやって前日から悶々として朝を迎えたら、うっかりスマホを忘れて家を出た。ふだん忘れることなんてないのに。

誕生日に仕事とはいえ、唯一の癒しは家族や友人からの「おめでとう」メッセージを仕事の合間にこっそり見ることだったのだが、それが叶わぬことになった。もうこの時点でがーんである。

会社に着き、いつものオフィス風景を目の当たりにしたところで、「あーあ、誕生日なのに仕事か」という暗雲が頭上に浮かんだ。デスクに着き周囲に挨拶すると、そこで思いもよらぬことが起こった。

前々からお世話になっている先輩が「今日誕生日だよね」と言ってクッキーをくれたのである……!

予想外の出来事にうろたえ、「え、え、あ、ありがとうございます…」と言って受け取った。そういえば以前、お互いの誕生日を明かしたことがあった(なのに私は先輩の誕生日を覚えていない。手帳に書いておけばよかった)。

すると、それを聞いていた周りの同僚たちが「そうなの?」と言って各々自分のデスクをあさり、ばらばらとお菓子をくれた。それにひとつひとつ御礼を言いながら受け取り、私は「今日という日がこれで終われば幸せなのに」と切実に思った。

その後は何事もなく仕事をした。昼休みはスマホがないのでメッセージのチェックができない。でもそれはそれでなんだか、良かった。だって、絶対にメッセージが来るとは限らないのだ、よく考えてみたら。ただでさえコロナで他人との距離が遠のいているなか、私なんかの誕生日を覚えていて、わざわざ「おめでとう」と連絡をくれる人なんて、いないかも。

そう思ったら、急に帰りたくなくなった。帰ってスマホを見るのが逆に怖い。もし一通も来てなかったら……? いや、両親はくれると思うけど。いやでも、逆に、両親からのメッセージしかなかったら……? 私、友達、いる……?

皮肉にも、帰りたくない日に限って仕事はあっさり終わる。「あれ、帰れちゃう」と思い、仕事を探してみるも、どうしてもその日中にやるべき仕事がない。

会社を出て帰途につきながら、ケーキはどうしよう、と考えて、鞄の中にある、先輩たちからもらったお菓子のことを頭に浮かべて、今年は思い切ってケーキはやめよう! と思い立った。仕事行ったし、スマホ忘れたし、今年はもう、いつもの誕生日ではないのだから、と。

そうだ、誰からも連絡がなかったとしても、会社で「おめでとう」と面と向かって言われて、お菓子まで貰えたんだから、もういいや。そうやって自分を慰め、家に帰り、恐る恐るスマホを見た。

すると、いつも連絡を取っている友人、家族、最近は疎遠になりつつあった友人まで、一日スマホから離れていただけなのに懐かしささえ感じるひとたちの名前が、ずらっと表示に並んでいた。一件、祖母からの着信もあった。

服も着替えず、いっきにメッセージを見て、いっきに返事を返した。「おめでとう!」「ありがとう!」の連続。まとめて見るぶん、通知が来るごとに確認するよりももっと、お祝いの空気に包まれているような気になってくる。

勢いでそのまま祖母に電話して、「おめでとう」を聞く。
「ありがとう」と返す。

切った後、これをあと何回聞けるんだろう、とふと考えてしまって、気を取り直してコーヒーをいれる。

会社でもらったお菓子たちをお皿に並べる。

「おめでとう」と言われたことを思い出す。
「ありがとうございます」と返した自分を思い出す。

またひとつ歳を取ったか、と思いながら、次の一年の想像をする。

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