ツクール・ゲーム制作者の視点からドラゴンクエストの特徴を考察する。


本記事は ツクールアドベントカレンダー2024 Advent Calendar 2024 の2日目、12/2の記事です。

こんにちわ。昨年に引き続き、ツクールアドベンドカレンダー2024で記事を書かせていただくことになりました”ツクールでドラクエ再現師(笑)”シンゴビッチです。ちなみに昨年は以下のような記事を書いてます。

さて今年は何を書くかといいますと、先月11月14日にドラクエ3HD2Dリマスター版が発売されました。自分の周りはほとんどの方がプレイされています。流石ですね。

そこで今回は、ドラゴンクエストにフォーカスを当てて”ドラゴンクエスト”というゲームがどういうゲームなのか?そこを掘り下げていくとドラゴンクエストはRPGの中で実は”王道故に特殊なRPG”になっているという考察を自分が作成した、ドラゴンクエスト5の二次創作ゲーム"HEAVENLY BRIDE V.V"の実例を交えながら話します!

(ちなみにいま、友人VTUBERに実況してもらってます。実況規約はありますが原則実況歓迎です!)


RPGツクールはドラクエツクールなのか?

みなさま、RPGツクールを買われた方はまちまちだと思われますが、子供のころにSFCやPS版を初めて買った人は大抵の人は”ドラクエのようなRPGが作れる!”とワクワクして買ったと思うでしょう。(そしてエタるまでがお約束(笑))

では、RPGツクールを嗜んでいる方に”RPGツクールでドラクエが出来るか?”と聞かれたら、恐らくは釈迦に説法で”プラグインを駆使すれば、まぁ何とか”という回答が来ることでしょう。

拙作のドラゴンクエスト5の二次創作ゲーム”HEAVENLY BRIDE V.V”の戦闘画面、プラグインを駆使すれば自分のようなプログラマーでない人間でも、これぐらいドラクエに似た戦闘画面はツクールで構築可能である。

事実、ドラクエ11が発売されたときに、ツクールでドラクエを再現できるか?という話題になった時に、かなりのプラグインが出来てましたし、自分自身もドラクエを再現するために、プラグインを150以上使った上に相当スクリプトを弄ってドラクエの挙動を再現しました。(ちなみに今後自分が再現したドラクエ挙動は順次MZに対応したうえでプラグイン化していきますのでご期待ください!)

【参考・ツクールフォーラム】DQ11発売直前・DQの機能を再現するスレ

ですがプラグインを駆使して、ドラクエに限りなく近い挙動を作っても”ドラクエとはどういうゲームのなのか?”を理解しないとドラクエにはなりません。そして、ドラクエを作らない場合でもRPGを作るならばドラクエを知っておいて損は無いので、ここからは少し哲学的な話になりますがドラクエとはどういうRPGなのか?ドラクエの本質とはなにか?について語っていきたいと思います。

ドラゴンクエストとはどんなゲームなのか?

ドラクエとは”ゲーム”であり”ゲームとプレイヤーとの対話”である。

結論から言えば上の見出し通りである。ドラクエとは”ゲーム”である!と言われれると、”何をいまさら当たり前のことを!?”と大半の方は思ってお叱りの言葉を受けるかもしれません。

ですが、深いところで”ゲーム”をしているRPG作品がどれだけあるか?と言われると意外と多くはない。というのが筆者の印象である。なぜならRPGゲームは”ハクスラ”でもない限り、”ストーリー”というものが存在する。

私はRPGというのは”ストーリー”を重視したらそれは本質的に”ゲーム”ではなくなると考えている。”ゲームというのはプレイヤーが操作して物語を切り開く者であり、用意されたレールを敷いて辿るのは漫画・映画・小説の手法である”と考えているからである。

シンゴビッチがゲーム制作で自らに投げかける問い”その作品がゲームである必要は?”

自分自身割と”ストーリー重視”な作品は好きで割とプレイはするのだが、自分はこういう作り方をゲームでは意図的に避けている。これなら”別にゲームじゃなくてもいいのでは?”と思ってしまうからである。(とは言ってもストーリー大好き子なので、シンゴビッチが作るゲームはそれなりのストーリーゲーになってしまうのは内緒だぞ!)

ですが、自分はドラゴンクエストは”ゲーム”で無くてはいけない作品である。”ファイナルファンタジー”はストーリー性が強く、自分自身がプレイヤーとしてプレイするには何も感じず普通に楽しんでいるが、いざゲーム制作者の視点に立ってみると、正直映画でもいい作品(なお、映画はコケたのは内緒)であるとも感じている。しかし、ドラゴンクエストはゲームでは無くてはいけない作品なのだ。

初めてPS2でFF10をプレイした感動はすごかった。まるで映画だと思ったが、
製作者視点だと”映画でもよくない?”とも感じる
(©2001 Square Enix All rights resereved)

だから映画はコケた、とある意味いえるし、小説版は作者独自要素が多いのはドラクエは小説にするにはゲーム本体の情報量が少なすぎる)

初代ドラゴンクエストは容量64KBであるがゆえに、ゲームである必要があり、完成度の高いゲームになった。

その要因としては、やはり初代ドラゴンクエストで”64㎅”でゲームを作る必要があったという事態から”竜王に脅かされた世界から光を取り戻し、ローラ姫を救い出す”という、シンプルなストーリーで64㎅に収められなかった”空白”の部分をプレイヤーの想像力にゆだねる必要があった。(そして堀井雄二氏はそのゲーム側から情報を与える部分と、プレイヤーの想像力にゆだねる部分のバランス配分が抜群に上手かった)

そして初代ドラゴンクエストの64KBの制約こそ、工夫の中でゲーム性を高められた要因とも思っている。


こちらは128KBで作ったといわれるドラクエ2の戦闘画面だが、背景が真っ黒である。しかしエンカ時の地形は覚えているものなので案外妄想で背景は補ってしまえたものである。DQ1のカニ歩きも然りである。(©1987 Square Enix All rights resereved)
ただし、プレイヤーの妄想力にも限度がある。シンゴビッチはこの衝撃映像のせいで逆にDQ3の勇者の父親はどんなにダンディーイケメンに描かれても”変態”パンツマスクに変換されてしまう……(©1988 Square Enix All rights resereved)

では具体的に”ドラゴンクエスト”が”RPGゲームの中で”ゲームしている所以というのがどこにあるのかを具体的に解説させていただきます。

具体的に垣間見えるドラゴンクエストが”ゲームのためのゲーム”である点

無口主人公

ドラクエがドラクエたる所以は無口主人公である。無口主人公でなければドラクエではない。これに異論を挟む者はいないはずである。

無口ゆえに性格が作りにくいので、どういう人物像かが描きにくいのでそこの不足分をプレイヤー側の想像力に委ねさせ、プレイヤー自身に物語を作ってもらう。それがドラクエだと私は思っている。

特にロトシリーズ(1、2、3)ではその傾向が顕著で、彼らの主人公像は割とプレイヤーごとで解れるのではないだろうか?特に3なんか性格付けのおかげでかなり性格が別れもいるのではないか?とも感じている。まぁ半分ぐらいは”セクシーギャル”かもしれない。

ザ・むっつりズ(©2017 Square Enix All rights resereved)

ちなみに容量が増大したり、”RPGシリーズのスタンダート像”の構築し、新たな挑戦を盛り込み始めた4以降は、”人生”を描いた”ドラクエ5”を除いたら、やはり主人公の色は薄いと感じている(鳥山明先生が6の主人公を”個性が強すぎ”とダメ出しを受けてリテイクした逸話がある)。その分仲間の個性を強めて”群像劇”感が出てきた感がある。

ちなみに拙作HEAVENLY BRIDE V.Vの主人公も”群像劇”の主人公であり、プレイヤーの視点替わりを務めてもらってるため、主人公のくせに影が薄い。しかしこの扱いはヒドイww

通常戦闘BGM

話の前にまず、SFCで発売されたFFとドラクエの通常戦闘BGMを聞き比べてほしい。

これらのSFCのFFとDQには”植松伸夫氏””すぎやまこういち氏”という作曲者の違い以上の違いがある。それは”この戦闘曲のテーマ・主役はなにか?”という点にDQとFFを含む多くのRPGに違いがある。

FFに関しては、基本的に”主人公側”にスポットが当たっている。特にSFCで顕著であるが自分がプレイした10までは少なくともモンスター要素が0ではないが、主人公側要素が強い。すなわち”モンスターは主人公に蹂躙される引き立て役”であり、それを強調するBGMなのである。

一方のドラクエは?というと通常戦闘曲は”魔物のテーマ”なのである。基本的に最新作のドラクエ11に至るまで”魔物は主人公たちの脅威である”事を前提にして作られた曲だ。(ドラクエ7と8は比較的主人公側にもスポットが当たった曲だが、それでも魔物が楽に蹴散らせそうな曲ではない。

少なくもシンゴビッチはSFC世代で、FCは比較的ドラクエ以外にも”強そうな敵”の通常戦闘曲があったのかもしれないが、SFC意外だと逆にドラクエ的”強そうな敵”を演出する通常戦闘曲は少数派になった感がある。

(ちなみに拙作HEAVENLY BRIDE V.Vの通常戦闘曲は”もみじば氏”に作っていただいた、この曲である。ネット上で”通常戦闘曲””オーケストラ”で”魔物を脅威に描写”した戦闘曲がなかなか見つけられなかったので、お願いして作ってもらって、その後素材にしたそうです。本当に”魔物”を脅威に描いた通常戦闘曲はネット上に少ない)

ここまで書いて結局何が言いたいのか?

さて、ここまでドラクエのゲーム性について書いてきたわけですが、結局シンゴビッチが何が言いたかったのかというと……”ゲーム制作者はもう少しプレイヤーに自由を委ねては?”と思うことがあるのです。

最近フリーゲームや同人ゲームをプレイしてて”プレイヤーを束縛しすぎでは?”と思うゲームをプレイすることがあります。特にストーリー重視のゲームで顕著です。”作者”が”見せたい!”という感情・衝動は、自分も”ストーリー”好きなので共感はできるが、”行き止まり””露骨な通せんぼ””絶対にダメージが通らない負けイベ”など、”プレイヤーに何もやらせてくれないの?”と思わせてくるゲームがある。

前提として、ゲームとは”プレイヤー自らが操作するもの”が大前提にあると考えているので、その醍醐味は極力”削ぐべきではない”と考えているのである。そのプレイヤーの行動を、すべて手の内に置きたいのなら、いっそのこと”ゲーム”ではなく”映画・マンガ・小説・動画”で作るべきで、それをゲームで作ってしまったら絶対に”映画・マンガ・小説・動画”には勝てないのである。なぜなら”ゲーム”という媒体の強みを捨てているからである。

その点”ドラゴンクエストシリーズ”はその作品も原則”ゲーム”として作られており、”ある程度の自由とイメージをプレイヤーに委ねる”ことでゲームと。しての評価を上げた作品であると思っている。

いま、ゲーム制作者の皆様もDQ3HD2Dをプレイされている方も多いでしょう。皆様も”ドラクエ”をプレイする中で今一度”RPGゲームとはなにか?強みとはなにか?”に思い馳せ、ゲームの完成度を上げてみてはいかがでしょうか?(ただし火炎ムカデの火の息連打は真似しないで良し!)

この記事書くまでにゾーマぐらいは倒す予定だった、まだバハラタな著者ww。誰だよ戦士にルイーダに”賢さ””素早さに”全振りする舐めㇷ゚した奴はww

おまけ

さて、ここまで正直実益があまりない抽象的な話ばかり書いてしまいました。それでも全部最後まで読んでくれた人には感謝します!

感謝のしるしとして、私がHEAVENLY BRIDEで構築した”ランダム戦闘”+”敵グループ”のドラクエ的戦闘システムをMV、MZ用のプラグインにしました!

これからも、順次自分がこのゲームで作ったシステムを可能な者から順にプラグインにしていきますので、ご期待ください!

こんな感じで、敵を横並び1列にランダム配置し、敵グループに分けるプラグインです。

(GOOGLEドライブからダウンロードください)

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