雪崩体験

生まれてから小学3年生までは札幌に住んでいた。

もう40年近く昔の話だが小学1年生の冬、僕は幼馴染のもときちゃんと一緒に雪遊びをしていた。小さかったのでそう感じるせいもあるだろうが雪の量は近頃よりずっと多かった。

僕の住んでいた団地の隣に平屋の家がありおばあちゃんが1人で住んでいた。

おばあちゃん1人で屋根の雪下ろしができるはずもなく厚さ50センチ以上の雪が幅7~8メートル、庇から屋根のてっぺんまで5メートルくらい屋根にびっちり積もっていた。その雪も何度も限界が来ると地面に崩れ落ちており地面に落ち続けた雪は平屋の屋根の庇まで届くほどだった。

僕ともときちゃんはその落ち続けた雪の上から橇で滑る遊びを始めた。自分たちで作る雪山よりはるかに大きい山のため、僕ら二人は大興奮だった。

近くで遊んでいた同級生の斉藤さんと上田さんの女の子2人も僕らの大興奮に気づいて同じ場所で橇を始めた。

幼稚園生だった妹も入れて欲しそうだったが危ないからダメだと意地悪を言って橇を使わせなかった。

だんだんとその遊びに飽きてきた僕は屋根のてっぺんから滑ればもっと面白いはずだと思い、雪山の上から屋根に登り始めた。もときちゃんも女の子2人も「なんと刺激的な遊び!」という感じで嬉々として僕の後についてきた。

橇を引きながら急な屋根を登るのは思いのほか大変だったが、僕は何とか屋根のてっぺんまで到着した。そこから見下ろすともときちゃんは中腹あたりで女の子2人のうち斉藤さんは途中であきらめて地上から見ていた。上田さんはまだかなり下のほうにいた。

さあ滑ろうと思い「いくぞー!」と声を上げたその時、足元がググぐっと下のほうに引っ張られ「ん?」と思うと同時に僕はあおむけに転んだ。そこからはまさにスローモーションのようだったが厚さ50センチ以上に積もった屋根の全ての雪が僕らもろとも地面に崩れ落ちた。

轟音とともに滑り落ちながら雪でもみくちゃになる上田さんが見えた。

雪が落ち切ったとき一番上にいた僕は一番影響が少なく膝までが雪で埋まっていただけだった。中腹にいたもときちゃんは腰まで、一番下にいた斉藤さんはかろうじて首だけが雪の上に出ていて「ぎゃー!」と泣き叫んでいた。

僕は大変なことになったと思った。ふと遠くから見ていた妹のほうを見ると泣きながら走っていった。

「終わった」と僕は思った。

当時、毎日のように何かしらの悪さでこっぴどく母親に怒られていた僕はまた妹にこのことを母親に伝えられて死ぬほど怒られると思ったのだ。

数十秒後、呆然としている僕らの周りにどこからともなくスコップ等を持った大人の男の人たちが5人くらい現れ、僕をひょいと雪から引っこ抜いた。そしてスコップでもときちゃんを泣き叫ぶ上田さんを掘り起こした。

「これで全員か!」とリーダーらしき髭面の男の人がいい。僕はうなずいた。「こんなところで遊ぶんじゃない!」と僕らがその男の人に怒らているときに妹に連れられて母親がやってきた。

母親はその男の人に「あそこで工事やってて子供が危ない遊びしてるなーと話してたら雪が落ちて埋まるのが見えて来て助けたんだ、なんていう躾してるんだ」といった感じのことを一通り言われ「まあそれでも無事でよかった」といった感じのことを言われて終わった。

母親も男の人に少し怒られたせいもあるし、僕の単独犯じゃなかったこともあって思ったほど僕は怒られなかった。

ただ幼かった妹の心にはかなりのトラウマが残ってしまってるようで40歳を超えた今でもたまに雪が結構積もると「そういえばあのとき上田さん首まで埋まってたよね」と言っている。40年近く名前まで覚えてるって相当だと思う。


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