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ゴルゴ13

『ゴルゴ13』の作者、さいとう・たかおさんが亡くなった。84歳であったそうである。ご冥福をお祈り致します。ゴルゴの本名(?出生は謎である)はデューク東郷であるが、この東郷という苗字はさいとうさんの中学時代の恩師のお名前だそうである。
ゴルゴ13を睡眠薬代わりに読んでいたのはずいぶん昔のことであるが、延々と続く物語の最後はどうなるのかという読者の問いに、それは用意してあるという返事をされたという話を、何となく覚えている。しかし、作者の方が先に亡くなってしまった。続きはどうなるのだろう?と心配したが、じつは今はプロダクションの人たちが描いていて、まだまだ続くのだそうである。
マンガは特段の趣味という訳ではないが、それなりの蘊蓄はある。
僕らが子供の頃はマンガは市民権を得ていなかった。「マンガばかり読んでいないで勉強しなさい!」というのが当時の親たちの口癖であった。僕は親戚の家で手塚治虫の『リボンの騎士』をたまたま見てから手塚ファンになり、友達に鉄腕アトムのマンガを貸してもらってむさぼり読んだのであった。なぜ借りたのかと言えば、親が買ってくれなかったからである。後に出版社で働いていた頃、上司に手塚マンガの話をしたら軽蔑された。まともな編集者がそんなものに興味を持つなという目であった。漱石・鴎外こそが文学、マンガはそれこそ子供騙しの玩具という感じであった。
しかし手塚マンガはマンガ道の王道を駆け抜けた。一度だけご本人にお目にかかったことがあるが、まるで子供のように無邪気で、休む間もなくマンガを描くことに熱中しているような方だった。宝塚の記念館で中学時代の昆虫に関する日誌を見れば、その天才ぶりがよく分かる。プロ野球の長嶋と野村の比によく似て、マンガ界のひまわりは手塚であり、月見草はさいとう・たかおだったのではなかろうか。
中学生の頃、よく貸本屋でマンガを借りた。そこには王道を走った手塚とは別の道を歩んだマンガ家たちがいた。当時の僕はそんなことはつゆ知らず、貸本屋のマンガを手塚マンガとは違うなぁと思いながらも、その魅力に取り憑かれていた。ぼくが貸本屋でもっとも取り憑かれたマンガ家は水木しげるであった。あの暗い墓場のイメージについつい惹き込まれてしまうのである。後にテレビで「ゲゲゲの鬼太郎」が流行ったが、本題は『墓場の鬼太郎』である。墓場がゲゲゲに変わって、毒気がなくなってしまった。さいとう・たかおも水木しげるも本当は、面舞台に引き出されて陽を浴びることなど望まなかったのではなかろうか。
水木マンガでぼくが一番好きなのは『河童の三平』である。どんな文学作品よりもユーモアとペーソスに満ち溢れた作品ではないかと、いつも思っている。

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