痛み
痛いのは嫌いだ。中にはいや痛いのはけっこう好きという人もいるだろうが、まあだいたいの人は痛いのは嫌いだろう。僕もそうだ。痛みというのは危険を知らせるシグナルなわけだから、それを好むようでは生き物としてまずい。ごく普通のこととして痛いのは嫌いだ。
痛い思いはそれなりにしてきた。僕は歯の治療のような軽微なものを除いて、局所麻酔で手術を受けたことが二度ほどある。
一度目は左膝の前十字靭帯を完全断裂してこれを修復するための手術だった。高校生の時だ。この手術も痛かった。最初は何かやってるなという感じだったのだが途中で痛くなってきた。痛いんですけどと看護師に言ったら、あら麻酔切れてきてるのかしら、今追加しますねと言われた。結局その後も痛くて終わりごろようやく痛くなくなった。しかしまあ僕は手術を受けるのはそれが初めてだったこともあり、こういうものなんだろうと思っていた。入院中誰も見舞いに来るでもなく話し相手がいなかったので、じつは手術中痛かったんだよと話す機会などもなかった。左脚をほぼ完全にギプスで固めて松葉杖をついて学校に通うのはなかなか難儀で、体育の授業で水泳があったのだが、中に入ると暑いから僕は見学と言いながら一人プールの外で同級生たちが楽しそうに騒ぐ声を聞いていた。なんともみじめだったが、この心の痛みは今回の話とは関係ない。
本当に痛かったのは二回目の手術だ。これは大学を卒業したあとだったと思うが、尻にできものができた。どんどん大きくなって気味が悪い。それで病院に行って診てもらうと粉瘤とかいうものだという。除去することになった。とりたてて難しい手術ではないというか、おそらく簡単な部類に入るのだろうが、深い考えもなく卒業した大学の病院に行ったのがまずかった。正直、大学病院でやるような手術ではないが、元学生だからやってやってもいいという態度で、その代わり新しい麻酔のやり方があるからそれを試させて欲しいと医者に言われた。好きにしてくれと了承して手術が始まると、間もなく鈍い痛みを感じるようになった。痛かったら教えてくださいと言われていたので、痛いと言うと、ちくちく麻酔注射らしきことをする。また痛いです。ちくちく。痛いんですけど。ちくちく。痛い、痛い、痛い。ちくちくちく。
新しい麻酔のやり方だからなのか、たいした手術じゃないのに大勢の医師だか学生だかが入れ替わり立ち替わり手術室に入ってきて、ほう、へえ、などと言いながら見物している中、痛い、ちくちく、痛いって、ちくちく、しかも尻にできている粉瘤だから、こっちはけつ丸出しで、始終痛がっている。恥ずかしいことは恥ずかしいのだが、それより痛くてしょうがない。これいつ痛くなくなるんですかと訊くと、痛いところがあったら麻酔をするので、と返ってくる。麻酔というのものは決して体にいいわけではないので、最小限の麻酔で手術をすませよ于といった試みだったらしいが、痛みを感じずにすませるための麻酔であるはずなのに、痛みを感じなければ麻酔が施されないのでは、こんなもの麻酔もくそもへったくれもあったもんじゃねえだろいい加減にしろあとで覚えてろよくそが。失神するほど痛いのなら気を失ってしまいたいが、麻酔はしているのでそこまで痛くはない。かろうじて耐えられるラインの痛みをずっと与えられつづけている。拷問なら嘘の自白でも何でもしてさっさと終わりにするところだが、手術だから片がつくまでやってもらうしかない。もうやめてくれとは言えないのだ。
僕はあまり健康ではないので、折々にマッサージなどを受けてきた。施術者は痛かったら言ってください加減しますと言う。僕がとくに何も言わないものだから施術者に痛くないですかと問われる。べつにと僕が答えると背従者はさらに力をこめる。痛くないですか。べつに。これでも痛くありませんか。はあ、べつに。本当に痛くないんですか。
いや、痛くないということはないのだが、我慢できないわけでもないし、痛いからといって体に力を入れて、その状態でマッサージを受けるといわゆる揉み返しのようなことが起こってよくないということは理解しているので、痛かろうが何だろうが僕は力まず全身を弛緩させることにしている。痛いとそうするの難しくないですかと訊かれたこともあるが、べつにこれくらいの痛みならどうということもない。僕は過去に拷問のような痛みを善意の、おそらく悪意はなかったはずの医療者によって加えられつづけたことがある。あれと比べたらこんなものたいしたことはない。
それほどまさしく地獄のような痛みであり苦しみだった。僕は痛いのは嫌いだ。あんな思いは二度としたくない。