苦しいときには
このnoteで、苦しいと嘆きたくないと思っています。
けれど、辛い日々は、やはりあります。
もう諦めて、心の息の根を止めてしまおうと思う時間が、沢山あります。
そんな時に、自分を正面から鼓舞するような、#コラムなのか のような文章がなかなか書けません。
ですから、そんな時は、
短い小説を書くことにします。
明るい話ではありません。
小説は、生きることの苦しさを訴えたい時に生まれるからです。
楽しことは楽しいと簡単に言えるのに、嫌なことは嫌だと、辛いことを辛いというのは、言いづらい。
きっと、嫌だと言う言葉には、否定が返ってくる、と思っているから。
私は、否定されるのが、怖いです。
でも、嫌だと発することに怖れを抱かない人だけの嫌だという声が聞こえる世界になってゆくことは、とても不安です。
嫌だという言葉を否定されるのが怖いのは、きっと、自分の心に優しいから。
否定を痛みに感じる心を持っていると分かっているから、できれば痛みを感じさせたくない。
でも、自分の心に優しいから、他人の心にも優しくありたい気持ちは強い。痛みを自覚できるから、他人の痛みを気にかけることができる。
きっと、そんな心から発せられる嫌だという言葉は、心を砕いてつくりあげた声は、
誰かにとっては不快な音色になるかもしれない、また別の誰かの心は揺さぶられるかもしれない、誰かは気づきを得たと感じるかもしれない。
そんな可能性も少しだけ感じながら、
大声で嘆く代わりに、
(嘆く日が来るその日まで)
私は小説を声にします。
でも、1番は、私が美しいと感じるものを書きます。ここは、死ぬ前に残しておきたいものを置いておくnoteだから。
揺さぶるどころか、むしろ、あまりにも音量が小さすぎるかもしれないけど(だってフォロワー0人)。
という報告でした。
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