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#10 某J1クラブのユースチームに在籍していた時の思い出


もう十何年も前のことになりますが、私にはかつて、某J1クラブのユースチームに在籍していた過去があります。

その3年間は自分の人生で最も辛い時期であり、決して良い思い出ではないのですが、一度記録に残してみようと思います。

なぜこんなことを考えたのかというと、たまたま当時のサポーターの方が書いてるブログを見かける機会があり、当時の観戦記録などの記事を読んでいたら自分の名前を見つけ、感慨深いものがありました。

そこで、自分の人生で一番辛かった時期を振り返ってみようと思ったのです。

まず、入団の経緯からいきます。中学時代の私には、卒業後の進路について2つのJクラブのユースから誘いがありました。

①地元のビッグクラブ
②地元から離れた中堅クラブ

それぞれのクラブ側の姿勢としては…
①「来たかったら来ていいよ」
②「是非うちに来てほしい!」

という感じで、中学生の私は熱心に誘われたことで気分が良くなり、確か夏休み頃だったと思いますが、早々に②のクラブへの入団を決めてしまいました。

もし人生をやり直せるなら、当時の自分には「迷わず①に挑戦しろ!」と言いたいです。

でも当時の自分にはビッグクラブでプロになれる自信がなく、先輩もスタッフも優しく接してくれた②のクラブに進むことしか考えられませんでした。

そんな感じで②のクラブへ入団が決まったのですが、この後、入団前に悪い意味で転機が訪れます。

なんと自分を誘ってくれた監督が突然ユースチームからいなくなり、全く知らない方が監督になってしまったのです。

後から知った話なのですが、この時期からクラブはユースの強化に力を入れ、トップチームに多くの選手を送り出そうとしていたようで、そのための監督交代だったようです。(実際その後ユースは強豪になり、トップチームも上位に進出していきました。)

その日から、チームの雰囲気はがらっと代わり、練習も厳しく殺伐とした雰囲気となりました。

サッカーのスタイルもフィジカル重視のものとなり、練習メニューも走りや筋トレ系が多かったです。

それまでかなり緩い空気の中でサッカーをやっていた自分にとって、この変化は非常にきついものがありました。

また、明らかに自分の能力が監督の求めるレベルに達しておらず、何度もミスをして怒られ続けるようになりました。

それから当時の私にとって、練習場が家から遠かったことも厳しいものがありました。

ユースは基本的にナイターで練習します。また、練習後はクラブハウスで食事をとります。

そうなると、練習場を出るのが22時頃になりますが、私は地元から離れたクラブを選んだので、そこから帰宅するのに1時間半〜2時間近くかかりました。

そしてまた朝早く起きて、高校に向かっていきます。中学校とは違い、高校も電車とバスを使用するので、ここもまた通学に時間がかかりました。

そして16時まで授業を受けたら、急いでまたバス停に向かう生活です。一本でも逃せば、練習に間に合わないからです。

そして練習が始まれば、過酷なトレーニング。心身ともにヘトヘトになり、またミスを重ねる。そして怒られ続け、自信を失っていく…。そしてまた1時間半かけて帰宅し、倒れ込むように眠りについたら、翌朝急いで高校へ向かっていきます。こんな感じで全くゆとりのない日々が続いていきました。

これで試合に出られるならまだ良かったと思うのですが、私の場合は良くてベンチ入り、メンバー外の日もそれなりにあり、結局主要な公式戦には3年間で1試合も出場できませんでした。

その後は「この経験を生かしてサッカー部の顧問になりたい!」と考えるようになり、一念発起して教員を目指すのですが、その過程で人生初の受験勉強に明け暮れ難関大学に合格した経験から、最終的には教科指導の方にのめり込んでいった感じです。(機会があればこのあたりの経験もまた記事にしたいと思います。)

さて、そんな泣きたくなるほど辛い日々を過ごしたユース時代ですが、今となってはこのクラブに入団して良かったと思うこともあります。

それは、自分が在籍していたクラブを応援することが家族の生きがいとなったことです。

ユースを退団した後も、クラブのことは母校を応援するような気持ちで、ずっと追いかけていました。

そして全くサッカーに興味のなかった妻も今では私以上にクラブに情熱を注いでおり、毎週末DAZNやスタジアムで一緒に応援することが最高に楽しいです。

当時のチームメイトの中には今もプロの世界で頑張っている選手もいますし、若くしてクビになってしまった選手もいますが、どちらにせよ自分が全くその舞台の土俵にすら立てなかった選手だったので、彼らに対するリスペクトは計り知れません。

そんな選手たちの頑張りをみて、自分もまだまだ頑張らねば!と素直に思えます。

今回こうしてユース時代を振り返ってみて、あの頃に比べたら教師の大変さなんて全然大したことないな…と思ってしまいました。

当時の監督がこんなことを言っていたことを思い出しました。

「今お前たちには日本で一番厳しいトレーニングを課してると思う。これだけやってもこの中からプロになれるのは一握りだ。でも社会に出たら、理不尽なことや辛いことはたくさんある。その時にこれだけ厳しいトレーニングを乗り越えてきた経験がきっと生きる時が来るはずだ。そう信じて、きつい時こそ前向きに取り組めるリバウンドメンタリティをもってサッカーに取り組んでほしい。」

もちろん教師となった今も決して楽ではないけど、あんな風に走らされることもないし、ミスをしたからって怒鳴られることもない。給料も貰えるし、車も乗れる。それに、あの時の辛かった経験があるから、救ってあげられる生徒もいると思う。

そういった意味では、あの時の辛かった経験も意味があったのかな…と思えました。

ユース時代は、自分が教師という仕事を選んだ原点だったと思います。

もちろん「あの時こうしていれば…」などの後悔も多いですが、これまで自分が選択してきたことの全てが今の自分の糧になっていることを考えれば、辛かったとは言え、ユースにいたことは自分の人生の誇りにしていきたいです。

こんな風に、教師であることをいつか誇りに思える日が来るかな?

その日を信じて、また明日から頑張っていきます。 

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