増山麗奈著 猫のように生きるに対し、風と共に風として生きるとは…。

今朝起きて
 
ふと頭に浮かんだから書いておく。

増山麗奈さんとはFacebook で友達にしていただいているのだけど

今朝起きた時に

どこかで聞き覚えがあるタイトルだなと思ったら

増山さんが書いた作品の猫のように生きるにちょっと似ているタイトルが頭に浮かんだから

まるで彼女の作品の猫のように生きる作品の名前に似ているなぁと思った次第ですが

今回のタイトルと増山さんとは全然関係ない話なのですけど

名前が出ているから(笑)

増山さんのファンの人たから苦情が来ないよう

説明をさせていただく

ということでタイトルの名前を付けさせていただきました。

くれぐれも説明させていただきますが

増山さんとは仲が悪くなっているわけでもなく

対抗意識もなく

これから書く内容というのは全く関係ない話ですから

増山さんとは全く関係ない話の内容なのですけど

名前の語呂というか

パターンが少し似ているから

それで誤解されないようにするためにタイトルを書いたのです。

くれぐれも誤解されないようお願いしたく書いた次第です。

話の内容は

上で表示した記事の内容の延長になります。

僕は2014年の12月26日に脳出血で倒れています。

本当はこれで終わりの予定だったんですけど

あの後2回脳の病気をして、病院に運ばれた経験があります。

脳の病気については

1回目に倒れた状況が芳しくなかったから

その時は終わりのはずだったんですけど

どういうわけか生き返ってしまって

それ以降

3度目の脳の病気で現在療養中です。

なかなかしぶとい命です。

今回は1回目の脳の病気で仮死状態になった時のことをなるべく

思い出して書こうと思います。

よろしくお願いします。

あの時

病院に運ばれた時に僕の意識はこの世にいなかったことを記憶しています。

そこはこんな世界だった。

恐怖もなければ不安さえも

何もない

心地いい世界でした。

冷静に考えれば

僕が感じたその世界というのは

誰でもそうなるか?保証できるものではありませんから、
 
何とも言えないのですけど

自分が経験したことがない心地よさに包まれていた状態です。

一般的に人間は死んでしまうと

恐ろしい空間に押し込められて怖い思いをするというのが一般的だったように思いますけど

僕が行った世界というのは空間がそこにいるだけで
 
暑くも寒くもなく快適なところだったです。

そこはお腹がすく世界でもありませんでしたし

全てが満たされて存在していられるそういう空間でした。

そこでは
 
生きていた時と違って体が軽くて

移動しようと思えばどこにでも行けてしまう感覚があった世界です。

その場所にいるだけで幸せを感じる幸せな世界だったです。

その状態から考えると

生きていた時の恐怖とか怯えるという感覚がなくて

まるで

一般の人は違うことを考えているのではないか?

勘違いしているのだと思いましたね。

死んだ時のことを考えたら

引き換えにこの経験ができるなら儲けもんだなと…

思った次第です。

その経験があるから

次に死ぬことがあってもそこに行ける確証はないのですけど

そこにたどり着いたとしたら

ラッキーかもしれないとすら思ってしまう。

自分が生きていた時に経験した浄化師をやってきた中では

巷では

腐るほどそこに到達してない人や動物がいましたけど

現実的に
 
ここに到達していない人や動物たちはどこにでもいるんですけど

そこに行ってしまうと

悔いが残り
 
満たされないまま生きていくハメになるから

そこはそれで辛いのですけど

そこに
  

嵌らないで生きていけたら幸いだと思います。


その恐ろしい感覚というのは

それまで持っていた思いに責められることで

与えられる恐怖じゃないですかね…


ボクは風と共に、風として生きたいよ。

ところで、WordPress矛と盾小次郎で書いたこの内容は

よほどタイトルを正確に書けば表示されますけど

ちょっとでも違うと検索に引っかかってこないので

この内容というのは多くの人が読んでほしくない内容なのだと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?