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嘔吐恐怖症。食べ方のご紹介。

私もかつて、
嘔吐恐怖症を経験しております。

パニック障害を発症した後しばらくして、
おまけのように嘔吐恐怖症を患いました。

ほとんど食事が喉を通らなくなり、
あれよあれよと体重がギャグのように
落ちて、ラ◯ザップに行かなくても、
3ヶ月程で6キロぐらい痩せました。
(ただし、肉が落ちただけで、スタイルは
よくならないんだけどさ~)

現在は、嘔吐恐怖症からかなり解放され
ている状態になっています。
体重も前より増えて、太りました。

雑誌のモデルさんを見ても、
ステキ~って思わなくなりました。
だって、好きなものを食べたいだけ
食べられる人のがステキなんだもの。

嘔吐恐怖とセットになって起きたのが、会食恐怖。
人が食べているのを見るだけで、ものすごい不安が
押し寄せてくる。
それがわが子であっても、夫であっても。

それも、今はかなり軽減しています。

嘔吐恐怖症。
パニック障害もなかなかの過酷さですが、
嘔吐恐怖症のなかなかの過酷さです。

元来、私はストレスの発散方法が、
飛行機に乗って旅にでる。一人でも旅に出る。
食べる。旨いものを食べまくる。
ホテルのビュッフェなんて最高!!大好き!!
友だちとランチ行きまくる。

そういう人間だったので、
パニック障害と嘔吐恐怖症を併発するというのは
ストレスの逃げ場を失い、地獄に幽閉されるが如く
まさに人生に絶望。
一番ひどかった時は、どうやってサバイブしていたのか
記憶すらありません。

ですが、
なんだかよくわかりませんが、
今は、こうしてnoteに書いてみようかな。
と思えるところまで来ました。

私の場合の
嘔吐恐怖になった後に見つけた
食べる事との付き合い方を
私の頭を整理する為にも、
大きく4つ書き出してみようかなと思います~。

さて、まずはですね。

食べなくてもいい。

と思うようになっております。

食べられないなんて、ダメよダメ!
と思っていた私ですが、
ぜんぜん食べないで、というか、むしろ
食べない事を選択して生きている人の存在を
本で知り、そう思うようになりました。
食べなくてもいい。
と思えるだけで、随分救われていました。

その本が、こちら。

秋山さんという方は、不食で生きていらっしゃる方で、
その方の著書を何かのご縁で読んだことがあり、
ご紹介まで。
学校と合わないお子様のお話も魅力的。

食べなくていいんだ~。なんだ、なんだ~で、
事が落ち着けばよかったのですが、
すぐに次の壁が。

残す罪悪感。

これが、何かの引き金になって、
すぐにそわそわし出す。

食べなくては。に紐づいているのが、
残してはダメだ。という思いだったのかも
しれません。

私の小学生の頃は、給食を時間内に食べれないと、
掃除の時間中も居残りで食べさせられる時代でした。
それが嫌で学校を休んだ事もある私です。
いや~、こういう経験って大人になってからも
傷となって残るんですね~。コワイコワイ。

しかし、それはもう子どもの時の話。
私はもう、大人です。
自分の意志で動くことができます。

という訳で、

食べた事にしてしまおう。作戦~。

で、残したらダメ~!な先入観から逃げてしまう事に。

食べてないんですけど、
食べれる分は食べた。
残っているのは、量のマッチングが合ってないだけ。
満足という指標で見れば、すべて頂いたも同然。

というわけで、残ったものはサクッと捨ててしまいます。
そして、食べても毎回吐いていない事を実感します。
食べて消化して外に出す機能がちゃんと働いている事に
気づいてきました。
私の胃腸は、信用できる。ありがとう。胃腸の君たち。

子どもたちが、めちゃめちゃご飯を残していても、
ムリして食べるのを見るのも嫌なので、

「無理して食べないで~。
 無理して食べるなんて、食べ物に失礼だよ~」

と、声掛けして終わりに導いてしまいます。
(私って、サイコーだわ。自画自賛)

さて、さて、まだまだ不安を煽るものがあります。
人が食べているのを見るのも嫌。

こちらは、
アドラー心理学を借用しまして、

彼らは、私を喜ばせる為に生きている訳ではない。

彼らは、私の為に食べているわけではない。
自分が食べたくて食べているだけ。
しかも、彼らの胃と私の胃は全くつながっておらず、
別のもの。
彼らが吐いても、私が吐くわけではない。

境界線を引く。

に徹する。
という感じでしょうか。

あー、はいはい。食べてますねー。

ウサギが人参食べてるのを見るみたいな感じでしょうか。
感情移入しない感じでしょうか。
これは、さいしょ意識する練習が必要でしたが、
私には効果があったようで、
今は、目の前で誰かが何かを食べていても、
割と平気になっています。

この人と私は、別の世界を生きている。
→何を食べようと、知ったこっちゃね~。

ここまで3つご紹介してみましたが、
最後に、これがやっぱり必要よね!
というのをご紹介。

食べるという事自体が、

幸せであるという事を実感する!


もう、これに尽きます。
これがあれば、嘔吐恐怖は少なくとも
食べている瞬間は吹き飛びます。

実感とは、

ひと口を味わいまくる。

味わう事だけに集中する。


先日、子ども達がいちご狩りに行きたいというので、
不安を抱えながらも、私も行った時の事です。

食べ放題ですよ~。
って、一般的には甘い響きですが、
私にとっては不安を煽る言葉以外の何ものでもない。

私は払った分の元は絶対とれない。
→お金がもったいない。
夫・子どもたちがお腹いっぱいになるまで
食べる姿を目の前で見ないといけない。
→地獄。

なので、やれやれ、という感じで行ったのですが、
もぎたてのイチゴが想像以上に猛烈においしかった。

ま、3粒も食べれればいいか。
と思っていましたが、
結局、25粒ぐらい食べました。

もちろん、途中で、
ヤバッ。気持ち悪い。
(本当に胃が気持ちわるい訳でなく、
 不安で冷や汗が出てくる方)
って、なったのですが、
おっといけねぇ。モードリセット。

休憩を取って、再度頂く。
一粒、一粒を味わいながら食べていたら、
気が付いたら、家族の誰よりも長く食べていました。

目をつぶってね、
イチゴのジュワ~っと出る果汁を味わい、
実を味わい。
うま~~~!!!!って、一粒一粒やってたら、
もう私だけの世界です。
子どもも夫も、もう蚊帳の外。
あ~おいしい~~。
至福の時。

で、25粒。
多分、もとは取りました。笑。

今日のご飯も、
一粒の米だけを、目をつぶって、
じっくり、じんわり味わう。

一粒食べれば、それでいい。
一粒がおいしい~って思えればそれで最高。

一粒の味を、こんなに味わえる人は
幸せだと思うんです。

というわけで、
・食べなくてもいい。
・残るのは量のアンマッチなだけ。
 量でなくて満足度が大切!
・他人の胃と私の胃は関係ない。
・一口を味わって、最高の気分に。

こんな感じで、今、やっています。
体調によっては、今も「やばっ」という時があります。
会食も、可能な限り断ってます。
も~それはしょうがないよね~。

不安障害による壮絶な日々を恨んだことも
多々ありまして、
今でも、なんでこんな目に!とか思う事も
あります。
けれども、
かつて病気で入院していた時に、
身体機能的に食べる事そのものが難しい状況にも
人は成り得る事を同じ病室の人から
教えてもらいました。

今、ある程度、自分の好きなものを選んで
食べる機能が備わっている事への感謝。
(口とか歯とか胃腸とか、整ってることが
 本当にありがたい)
に感謝したいと思いながら、
今日という日も過ごしています。

さて、今日の昼ごはんは
納豆ご飯です!わ~い!!











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