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不登校って言うな~。まるでこっちが悪いみたいじゃん。もう、自分で考えて動くと決めた。

子どもが学校に行くのを大変に嫌がっている。

私も学校が全く好きでなかった。というより
大嫌いだったので、気持ちはわからんでもない。

しかし、嫌でもやらないといけない事はある。
それは、学ばなければならない事だと思う。
訓練しないといけない事だと思う。

と、思うんだよ。
そう思うんだよ。

でもね。。。
それにしたって、

公立学校が古すぎる。
公立学校の制度が古すぎる。
いや、もしかしたら、
公立学校の教員を養成する大学の在り方が古すぎる。
教師への研修内容が古すぎるのかもしれない。
学校教育法自体が、そもそも古いやろ。
っていう話かもしれない。

これ、どうなんだろう?
こんな状態でも頑張って行く?行かせる?
平成生まれの子どもが、昭和の学校に行く?
うーん。となっている自分がいる。

私は数十年前、教育実習に行った事がある。
学校嫌いは治らず、やっぱり教員にはなれなかった。

その後、数十年、社会の中で揉まれた後、
子どもにひっついて、久々に公立小学校の世界
に行く羽目に。
(マジで行きたくない)

学校は、数十年前と今とでは、
多少、良くなっている事もあるが、
多くの部分が変わっておらず、
タイムマシーンで過去に戻ってしまったのか
ぐらいの違和感を感じている。

学校の外にいる人間たちは、
今や令和に生きているのに、
学校の中は、まるで昭和なのだ。

そうは言っても、
まだまだ世の中には、昭和の人間が多く存在している。
ちょうど管理者世代の多くは、昭和の人間だろう。

相変わらず、たくさんの仕組みがあって、
読まないといけない空気があって、
それに従順にしたがって生きられる人、
もしくは、うまく折り合いをつけられる
器用な人が、

いわゆる、成績優良者として
扱われやすい。

そうして評価される事は、
実に
安心で、
うれしい事だったりする。

いや、うれしい事だったりした。

でも、もともと不器用な人間の私は
社会人になってから、どうにも苦しくなって
日本を離れ、世界を旅して、外国に住んで
わかった事がある。

世界は、もっと広い。
世界には、もっと色んな価値観がある。

そして、逆に自分が、
どう生きるかを選べる自由がある国に
生まれた事をラッキーだと思うようになった。

が。

実際、日本にいると自由そうで自由でない事が
けっこうある。

多様性に対して、寛容でない空気もある。

日本の義務教育とは大したもので、
自分が思っている以上に、集団主義が脳みそに浸透し
とがった個性に対して、煙たがる感覚が
無意識化に洗脳されている。

それは凸凹を良しとしない日本の
あらゆる所に見られる整然とした美しさを
社会にもたらしているともいえるが、
一方で、考える余地なく教育されてしまった
「〇〇しなければならない」文化によって、
多くの人が無意識化に自分を隠し、我慢し、
ストレスを抱え、
自由に振舞っている人にはジェラシーが半端ない。

ジェラシーを感じて、いじわるや悪口を
言っているエネルギーも時間も、
もったいなさすぎる。
確率的に残りの人生の方が短くなってきた
アラフィフの私には、
そんな余計な事をしている余裕はない。
毎日、真剣に生きなくては時間が惜しい。

みんなで生きていく為の最低限のマナーやルールは
もちろん尊重し、順守していくが、
それ以外は、もっと自由でいいじゃないか。

ようするに、
食べて寝る生活をしていければいいだけの事なのだ。

だから、
私はもう、自分に刷り込んで頂いた教育に
感謝しない訳ではないが、
もうちょっと自分で考えて行動する事にする。

人間も所詮、動物の延長上の生き物で、
生き物なんてものは、そんなに大したものではなく、
だいたいにおいて、だいたいに適当なものだ。
絶対善もなければ、絶対悪もないのだ。

というわけで、話戻って
どうも、公立学校のやり方が腑に落ちない事が
多すぎるのだ。
どうも胸がざわざわする。
どうも違う感じがする。
私は、もう自分の考えに従って、
子どもと学校の付き合い方を
子どもと一緒に考えて行動する。

これは非常に骨が折れるは、疲れるは
強さを必要とする決断だと思われるが、

どうも妙なんだよなぁ、納得できないんだよなぁ、
と思いながら毎日を過ごすことの方が
よっぽど苦痛なのだ。

そもそも子ども本人が大変に学校を嫌がって
いる訳なので、
何かが噛み合わない学校に行くにも
行かせるにも、
どうぜ同じぐらいのエネルギーがいる。

だったら、
挫折するかもしれないけど、
自分を信じてやってみる。

とりあえず、やってみて。
どうなるか不安だけど、
結局なるようにしか、ならないしね。


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