ショートフィルムを撮ろう

私は2016年からテレビ局でアルバイトをしていた。
元々テレビ局で仕事がしたくてアルバイトもテレビ局にした。
大学も某放送系の大学を受けたが面接で落ちた。
泣く泣く二次募集がかかっていた美大に入った。
試験で人生で影響を受けた本について文章にしなさいと言う試験でドグラマグラを書いた。
今でもよく受かったなと思っている。
2016年1月に某テレビ局のテロッパーとしてアルバイトしていた。
最初はわからない事だらけだったが1年、2年とやっていくうちにコツは掴めていた。
しかし、仲のいい先輩方が卒業してからが地獄だった。
入って来た職場の男に媚を売るお局がいたり
とんでもなかった。
先輩に仕事を毎日奪われて、
毎日夜勤明けに泣きながら帰って来た
2019年に高校生の頃から憧れだった北海道で仕事をすることになりテロッパーを辞めた。
2020年、コロナという大病がやってきた時期に私は北海道でADをしていた。
ADをするのが夢だったから最初は楽しかった。
しかし、求められる事、期待される事が多くなり
職場で毎日泣いて先輩方に慰めてもらっていた。
北海道の先輩や上司はみんな良い人だった。
同期ともよく飲みにいってた。
しかし、同期と仕事の出来具合で格差が生まれて来た。
私は非常に焦った。もっと頑張らないと、と思っても仕事が覚えられない、カメラの使い方がわからない。当時気になっていた職場の先輩に怒られた時はかなりショックだった。1週間仕事を休んだ。
2年間北海道で頑張っていたが、本来やりたい仕事はバラエティだったので4月に仕事を辞めて東京に戻った。
ローカル局からキー局に移り、バラエティ番組のADになった。
バラエティ番組は楽しかった。好きな人を生で見る事ができるし挨拶も出来る。私にとっては眼福の世界だった。
しかし現実は地獄だった。
給料は良いものの、2徹は当たり前、
担当日の前日は徹夜と眠れない日々が多くなった。
北海道にいた時も眠れない日はあったがキー局はレベルが違っていた。
私は精神的におかしくなってしまった。
眠れない、上司は高圧的な対応をする、先輩は何も言って来ない。
仕事が回って来ないのである。
無論、私の実力不足もある。
しかし最初は指示をされないとわからない時もある。
その指示が私には回って来ない。
そして上司は何もしてない私を叱る。
悪循環である。
5月に入社してなんとか自分の目標のバラエティ番組をやるまでしがみつこうと思ったがもう限界が来ていた。
2022年11月、先輩に指示されて行動されていた事が上司は理解できなかったらしく怒鳴られた。
私はただ先輩に言われた事をやっていただけなのに怒られてしまった。
ADという業務は空気を読んだり、その場に合わせて動かないと行けない仕事である。
私はそれが一切できていなかった。
北海道でやって来た事が全部無駄になった瞬間だった。
“嗚呼、自分はこの仕事に向いてない”
その時初めて今まで理想としていた仕事が如何に自分と合ってなかったかを思い知らされ悔しくてどうしたらいいかわからなくなりお先が真っ暗になった。
そこから今までの人生がよく分からなくなった。
今までやって来た事とは何だったんだろう?と自問自答した。
2016年からテレビ局に勤めて今までの事が全く通用しない、
自分がどんな人間なのかわかなくなった。
仕事で挫折をした。
人生うまくいかないなと思った。

おしまい



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