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大和魂とは「もののあはれ」を感じる心である

大和魂と言うと、勇ましくマッチョなイメージがありませんか?

私も「古事記」とか「縄文」に興味を持つ前は、「大和魂=力強く男性的」というイメージを持っていました。


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しかし今では、全く逆のイメージを持っています。

大和魂、それから大和心というのは、実は女性的な感性なんですね。

江戸時代の国学者、本居宣長は古事記を研究し、35年かけて「古事記伝」44巻を執筆しました。

本居宣長は「日本の思想に立ち返れ」ということを説いた人です。

江戸時代の学者というのは、一般に中国の古典を学ぶ者でしたが、日本古来の思想をもう一度広めようとしたのが国学者としての本居宣長でした。

彼は、大和心とは何か?について、次のような歌を詠んでいます。

「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」

「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさに感動する心です」

朝日に照らされる山桜の花。

その美しさに圧倒され、立ちすくみ、神々しさを感じる心。

そのような心こそが大和心である、と古事記を35年も研究した本居宣長が言っているんですね。

また、本居宣長は当時排斥されていた「源氏物語」を再評価した人としても有名です。

彼は源氏物語を

「此物語は、よの中の物のあはれのかぎりを、書きあつめて、よむ人を、感ぜしめむと作れる物」と評しました。

知識偏重主義で中国かぶれの「おカタイ」思想に対し、「もののあはれ」があるじゃないか、頭で考えるばかりでなく、もっと心で感じていこうよ、ということを説いたのです。

その「源氏物語」の中で紫式部は、光源氏に次のように言わせています。

「才を本としてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ」

才というのは、中国から伝わった知識や学問のことです。

それに対し、大和魂は日本古来の精神性を意味しています。

「漢学の知識を手段として、日本の精神性を世の中に役立たせるのだ」

と言っているのです。

現代では、「才」は西洋的思想や科学にとってかわったかもしれません。

ちょっと、現代風にアレンジしてみましょう。

「最先端の科学知識や技術を手段として、日本の精神性を世界に役立たせるのだ」

(╭☞•́∀•̀)╭☞イエス!

紫式部が言った大和魂(=日本の精神性)とは何でしょうか?

人や自然の中に純粋な美しさ、神性を見出し、それに素直に感動する心ではないでしょうか?

それは、私たち日本人が男女問わず本質的に持っている「女性的な感性」ではないでしょうか?

さて、「三つ子の魂百まで」と言います。

日本の歴史を考えたとき、日本の0歳~3歳児時代は、縄文時代です。

ということは、現代人も間違いなく大和魂を継承しているのです。


私たちが持つ「もののあはれ」という感性を、世界のために役立てなくてはなりませんね。


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