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滅裂

疑念ゲージ MIN ■■■■■■■■ MAX

↑↑↑ 疑念ゲージがMAXになった事により、長々と恨み辛みを書いていたのですが、たった今、全消ししました。

何故なら、もしも、このnoteを読んでくれている人の中に優しい人がいた場合、きっと悲しい気持ちになるだろうと思ったからです。

頭の中で雨がずっーと降っている。今の所止まる気配はないですが、それも長くは続かないだろう。単純に寝不足だから悲観的になっているだけで、解消されれば必ず変わる。

ところで君は、"感情の波を一定に出来たら良いな" って思ったことありませんか?

自分は長年そう思って生きてきました。

だけど今回の悪魔的ループ(不眠)の中で、感情の波を一定にすることは無理だと確信しました。

何故なら、感情が動くことこそが生きているという証明だから。

つまり感情を抜きにすれば、物事は単純になる。そりゃそうだよな。だから感情を抜きして…みたいな話は極論、つまり極端な訳。そんなもんは参考にならない。大体極端な奴は往々にして過激派。

何事も感情を無視せず、妥協ポイントを見つけて平和的に物事を解決していくことこそが、大事な訳。だけどそれには相手も同じ事をしてくれないと上手くまとまらない訳。だから結局、良い意味でも悪い意味でも人間の遺伝によって継承される型番の本質は変わらない訳だから解決出来ない。因果は何度も繰り返す。

"多様性を受け入れる" という言葉はつくづく詭弁だなぁ。

そんなことより、感情つまり脳からは誰も逃れられないという衝撃の事実w

つまりこの場合、無とは死を意味する。

では何故人は無を求めるのか?時に人は受け入れ難い現実や辛くて悲しい記憶を封印したくなるよね。それは分かる、それは分かるけど、そのやり方がいにしえのやり方で無を取得しようとしている人達ってどういう思考回路?逆行してない?と思いながら懐疑的に観察してきた。まさに同級生のお母さんがソレに当たる。人当たりが良く、真面目で優しいお母さんなのに、何かが大きくズレている。もう潔いくらいに全ての甘い言葉に引っかかり、最終的には異国の神と結婚したらしい。

でもさ、どうせ感情から逃れられないなら、無を求めるのではなく感情の波を乗りこなす努力をした方が良いのではないだろうか?だって記憶を抹消するふりは出来ても完全に抹消する事は出来ないからね。皮肉なことに人間のシステム上、嫌な記憶であればある程深く脳に刻まれる訳だから。(もちろん、個人の自由ですよ、無を求めて修行したい人はすれば宜しい。)

いや難しい話だな、じゃ不運に巻き込まれた場合は?とか考えると、常日頃から自己防衛するように気をつけて!という話になってくるけど、もう既に強烈な不運に巻き込まれてしまった場合は?とか考えると無は必要なのかも?でも結局記憶を抹消することは不可能な訳だから不運を受け入れるしかない。でもそれが出来ない人もいるからその場合は?…ということはつまり精神に異常をきたすのか。だから救済処置的に無に向かうのか。でもさ、感情というのは波がある訳だから、その一部分を無にするなんていう都合の良いことは出来ない訳じゃない?ていうか結局継続的に無にすることなんて出来る筈がない。ていうことは方向性が間違っているとしか思えない。本当に残酷だけど、どんなに言い方をソフトに変えても、不運は不運でしかないからね。そもそも不平等も不運を誤魔化せないよね。だって誤魔化しようのない事実が目の前にある訳だから。可哀想に、なんとか良い方法があれば良いのにね。例えば、脳から指定した記憶を抹消することが出来る機械があれば解決する?いや悪用されたら大変なことになるというか脳の形は複雑過ぎてそんな簡単に操作出来ないよね。そんな複雑なモノから逃れられないなんて…そんな場所が病気になるなんて…なんという不運…ぇえーい!馬鹿にするのもいい加減にしろー(#`Д´)ノ

うーん、流石睡眠不足!意味不明w( ꒪⌓꒪)w










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