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「名前」という宿命に翻弄される

生まれたときから、名前と共にその人の運命が決められているということがある。


何の話をしていたからか忘れたが、友達の飼っている犬の名前が"永遠"(とわ)であることを知った。

その女の子に、何気なくなんでその名前にしたの?と聞いたら、

「夢に出てきたからだよ」

とさらっと言われた。本当にさらっとだ。おお、と思う。

確かに学生の頃から短歌が好きでよく詠んでいたので、なんて平安時代みたいな名前の付け方をする子なんだと、一貫しているそのセンスにドキドキした。家にやってきた子犬との末長い運命を感じる。




以前に、お客さんと動物園へ行ったとき、フラミンゴを見ながら、ふとこんな話をされた。


「ねぇ、知ってる?ある小学校で食育で飼い始められたニワトリの名前」

「ん?全然知らないなぁ。変わった名前なの?」

「うーん、変わってるというか……儚いよね」

「儚い?なんて名前なの?」



「えっとねぇ、フライドチキン」





最初から食べる気満々やん!なんちゅう名前付けてんねん!

と思いつつも、その鳥の行く末は生まれたときから決められていたかのような運命を感じた。

自らの宿命に翻弄されながら、生きていくであろうこれからの人生に儚さと切なさと愛しさを感じる。



ある女性が既婚男性と福岡旅行へ行ったみたいで、ずっと「53がさぁ」「53と会って」と呟いていて、その数字はニックネームか何かかな?と思っていたらただの年齢だったことがあった。呼び名の癖よ。

ちなみに来年からは"54"と呼ぶらしい。

呼び名が年齢とともに変わるのはなんとも言えないやるせなさを感じる。



その話を聞いて、自分の生まれつきの名字に翻弄されて生きてきた友人もいたなぁと思い出した。

中学の同級生にサイ君がいた。電話でお店の予約するとき、いつもこんなことが起きるらしい。


「お名前伺っても宜しいでしょうか?」

「サイです。」

「え、カイさん?」

「いえ、サイです。」

「あ、タイさん。」

「いや、佐藤のサに井戸のイ。」

「あ、サイさんね。」

「ハイ。」

「え、ハイさん?」



儚い。




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