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そろそろ消すべき記憶かな

今朝は早く起きてしまい、というよりも、夕方に食べた餃子がいつまでも胃に残っていて、横になると吐いてしまいそうで眠れなかった。

体力的には明らかにフレイルに近付き、我が身の処し方などを考えていた。自分自身を支えられなくなれば、施設に入るのか、娘の家に引き取られるのか、いずれも「良し」とはしたくない。そんな時に岩崎宏美のCDの曲を聴いていて、空白の期間を思い出していた。


高校の1年先輩、周囲には恋愛関係に見えていたようだが、全くそんな事はなかった、と思ってる。先輩は男子生徒が憧れる美人で、二人のジャレ合いのような姿は恋人同士に見えていたのかもしれない。本当の友情だった、そのはずだったのに、突然の別れで自分でも良く分からなくなっていた。

なにげにりあらいあさんのnoteを読んでいて、気になる記事を見つけた。

先輩との出逢いは、ムリに入らされた運動部でイジメに近いシゴキを受けていて、女子運動部の部室に入れられたことに始まる。いつも体力がなくてシゴキを受けていたのを見ていたらしく、着替え中の部屋に入れられ、騒ぎ始めた部員達を黙らせ、後ろを向いて動くな、と命令された。

小さな頃から女の子とばかり遊んでいて、男同士の付き合い方に慣れていなかった。運動部の先輩にすれば、さぞ扱いにくい存在だったと思う。

いつ頃からか帰りが一緒になり、皆の前でも膝カックンとかヘッドロックとかして来るようになった。仲の良い男女に見えただろうが、先輩は男兄弟の末っ子で育ち、僕は生まれたときからの不整脈で常に女性に囲まれて居た。共に異性に対して、特別な感情は無かったと思う。母親や子守の姉達とお風呂に入っていたが、身体の違いは分かっていても、その事で性差など考えたことも、女性として意識したこともなかった。


高校の近くに、即席ラーメンで作るラーメンを食べさせる駄菓子屋があり、店の裏でラーメンをすすりながら、何でこの学校を選んでしまったのかを話した。僕には将来の夢があったのに、長く生きられなだろうと目標とする進学校を諦めさせられた。彼女も女優という夢があり、家族の中でたった一人の女の子なので、都会の大学や、まして演劇関係などは大反対を受けていた。共に何となく選んでしまった高校生活で、夢もなく楽しくもなかった。互いに気が合い、恋愛ではない友情が芽生えた。自分にとって、初めて本音で話せる本当の友人だったかもしれない。

傍目には男女間のスキンシップに見えたかもしれないが、全くそんな事など意識もせず、膝カックンをされても、仕返しにポニーテールの髪を引っ張っていても、ただのジャレ合いでしかなかった。

高校生活に慣れてくると運動部を辞めて、体育館で会う機会も無くなった。先生と生徒の読書会を企画したり、国語の先生を中心に万葉集研究会を発足したり、しかもそれに参加するのはいつも先生ばかりで、親しい友人も出来なかった。中高生向け雑誌への投稿作品を書くのに忙しく、友人が欲しいとも思わなかった。

何度か昼食後の休み時間を共に過ごした。先輩も親しい友人が居なかったようで、進入禁止の校舎屋上で横になってダベリ、戻るときにスカートの後ろやズボンの後ろが白くなり、幾ら叩いても消えなかった。

先輩が菓子パンを隠し持って、近くの川原で寝ながら食べた。完全な校則違反で、幾ら止めようとしても、平気で塀に飛び乗り、上から手を引いてもらった。帰るときには重い重いと文句を言われながら、お尻を押してもらってよじ登った。先輩はあんパンで、僕はたしか三食パンだった。イチゴジャムやクリームよりも、あんパンが良かったのにと言うと、食べかけだったが交換してくれた。異性を意識していなかったから出来たことだ。


先輩が卒業して、会える機会も無くなり、連絡を取り合うことも無かった。ずいぶん経ってから、一度だけ会った。どうしても今の大学よりも、演劇をやりたいと言っていた。僕は中学に続いて2回目の佳作が取れ、その後映画のシナリオに興味を持っていた。何となく二人の興味が同じ方向だったのが嬉しかった。でも学生運動が賑やかで、東京に行くなどとは言い出せないようだった。

またしばらくして、東京に行くので見送りに来て、と電話があった。駅で見送り、劇団に入るとか、何処かの研究生になるとか、夢を語っていた。もうその頃は家から離れられないだろうと諦めていたので、先輩の行動力が羨ましかった。平気で校則破りをして、一緒に塀を乗り越えたり、駄菓子屋でラーメンを食べたりしたのに、先輩だけが夢を追って東京へと行ってしまった。

忘れかけていた頃に電話があり、高円寺駅で会うことになった。先輩は夢が破れ、帰ろうと思っていたようだ。僕も、家を継ぐ予定の弟が進学し、上場企業に就職をした事で、完全に家から出られなくなった。もう何も書いてないし、本も読まなくなっていた。そんな話をしてから、あの安アパートの部屋に行った。何も話さずにインスタントコーヒーを飲みながら、なんとなく、自然に委せて友情が崩れていった。

高円寺駅で別れるとき、小声で何かを言っていた。騒音と初めて感じた後ろめたい気持ちと、友人では無くなった先輩がまぶしくて、良く聞き取れなかった。もし帰ったら付き合ってくれる、そんなようなことを言っていたような気がする。見上げるような姿勢で真剣に見詰められてるのが嬉しくて、本当は違うことを言っていたのかもしれないが、先輩が自分だけのものになる・・・、先輩と本当の別れが来たとき、そう言っていたと思い込んでしまったのかもしれない。


先輩を喪ったことと、母を喪ったことと、その他にも多くの事が重層的に起きていた。そういう時にこそ、男のような先輩にいろいろと話したかった。しだいに何がどの様な順で起きたのかも分からなくなった。

毎月墓に行っていたのに、今は何処に墓が有るのかさえ分からなくなった。

いつの頃からか、そう、先輩ともう逢うことは出来なくなったショックからか、顔が思い浮かばなくなってしまった。長いポニテの弾力のある髪や、ヘッドロックを外そうとしたときの細くくびれた腰、川原や屋上で横になったときの綺麗な素肌の足、草むらにうつ伏したときのヒカガミが綺麗で好きだった。細かく思い出せるのに、顔だけが浮かばない。

もしかしたら、先輩の面影は頭の中で勝手に作り上げたものかもしれない。女とか男とかでは無く、友人の、先輩として付き合っていた。実態を失って、勝手に作り上げてしまったのかもしれない。高円寺のアパートでの事も、勝手に作り上げた妄想かもしれない。

自分の身さえ支えられなくなるのに、妄想がいつまでも付きまとう様では、自立などおぼつかない。もしあの時に、帰ったら付き合って・・・、と言っていたなら、いつかは何処かで会えるように、先輩が待っていてくれるだろう。

もう忘れても良い頃かもしれない。こちらが忘れても、きっと待っているだろうから。今度はそう思い込むようにしよう。




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