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老いらくの・・・かな

数日間、風邪で寝たり起きたりしていた。やっと起き上がれて散歩に出たら、橋の上の向こうから時々会う女子高生が、自転車でこちらに向かって来る。


あの娘と初めて会ったのは、もう1年以上か、2年だったか・・・。早春の少し風の強い日で、何時ものように川の中洲にいる青鷺をスマホで写していた。そのまま他を撮ろうと何気なく向きを変えたら、向こうから来る自転車の女子高生の、チョットした風のイタズラを見てしまった。サッとスカートの裾を押さえたが、その時にスマホを向けたままで、目が合ってしまった。キッと睨まれ、すれ違うときには横を向かれた。ほんの一瞬の事だったが、その横顔と少し長いポニーテールが、とても若々しくて美しかった。

月に数回のすれ違いがあり、最初は目線をそらされていたが、しだいに彼女の方から、おはようございます、などと声を掛けてくるようになった。下心など無いのに、毎日会うのも如何なものかと勝手に思い、時間をずらして週に1回は会えるようにした。なかなか上手く行かないのだが、それもまた楽しみでもあった。新緑の山々を背景にして、こちらに向かってくる姿は、見てるだけで気持ちも若返る。

去年の末頃から会っても会釈ていどになり、少し悩んでいるような難しい顔をして、何となく気になっていた。もしかして「変しい、変しい・・・」の手紙を受け取る季節になったのか。おかしな想像をして、バカみたいな嫉妬心も湧いた。

今年に入り、冬になってから運動着で着ぶくれをした彼女と会ったとき、おはようございます、という元気な声を聞けた。久し振りの清々しい声に、何か吹っ切れたような爽やかさと、初めて会った頃に感じていたシャンプーの香りと清潔感が感じられる。


向こうから来る自転車の彼女を見て、ああ・・・、もしかして卒業してしまうのか、希望する大学に受かったのだろうか、夢を抱いて東京へ行ってしまうのだろうか、このままで良いのだろうか、そんな焦りが湧いてきた。

とつぜん和歌が浮かび、どうしても今の気持ちを和歌に託して渡したい。散歩用のバッグから紙とボールペンを探すが見つからない。いよいよ近付き、焦りと共に尿意を催してきた。我慢できない、尿意も、歌も・・・。

そこでとつぜん目が覚めた。トイレから戻り、机に向かったら、歌を思い出せない。少しずつ消えていき、下の句も上の句も、考えるほど靄の中へ消えてしまった。

あの栞山の頂上に向かって飛び立つ一本の矢、その矢の音を便りに訪ねていくよ。必ず見つけるので、その時は僕のものだけになって欲しい。

そんな歌だったのに、自分なりに良く出来て、会えたときの喜びの感情を伝えたかったのに、消えてしまった。完全に風邪が抜き切れていなかったようだ。


今朝、いよいよ自転車が近付き、ニッコリと首をかしげて、さらに近付き、おはようございます、の元気な爽やかな声が聞けた。いつもは我慢してそのままなのに、今朝は振り返って、左右に揺れる短く切られたポニテの後ろ姿をしばらく眺めていた。シャンプーの香りの清々しい風のように、それに引き替え数日横になっていただけで、老人の歩行になってしまった我が身が寂しい。

足の筋肉が数日で衰えてヨチヨチ歩きになるとは、いよいよサルコペニアか、これがフレイルの始まりなのか。

先輩と下校時に、近くの駄菓子屋で、店の奥に隠れて50円の即席麺で作ったラーメンを食べたり、パンを買って土手の上で話しながら食べたりしたけど、あれは60年も前の青春だったのかな。全く恋愛感情などなくて、ただただいつまでも先輩と話していられるのが嬉しかった。

もしも先輩が生きていたなら、今の自分と同じ様に衰えたのだろうか。それともタカ子姉のように、元気に遊び回っているのだろうか。

孫のような年頃の子なのに、バカみたいに切ない思いになってしまう。セーラー服に汚れのない笑顔は、半世紀以上も前に引き戻されてしまう。

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