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放送大学単位認定試験:22年度後期

今期は4科目を受けた。オンライン授業や面接授業以外に、放送授業としては毎期10科目程度を受けてきたが、後期高齢者に近付き記憶力の衰えは如何ともしがたく、4科目にした。シッカリとノートにまとめて、関連事項も調べて・・・などと思っていたが、今回もノートは全く使わなかった。

ページに書き込みをして、その汚れ具合から画面として記憶するのが子供の頃からの勉強法だった。もっとも、数年前に熱中症になって以来、記憶が出来なくなった。認知症の検査は4回も受けて全く異状なし、と言われても昔の記憶法がある日とつぜん出来なくなるということは想像以上の不安なのだが、全く理解されないのは残念。で・・・今期からは科目数を減らした。

人間にとって貧困とは何か(’19)

今まで受けてきた授業の中でも今まで受けてきた授業の中でも『人間にとって貧困とは何か』がもっとも印象に残る。貧困という状態についての、捉え方考え方の視点が変わった。

地方と都会、学歴や職業など、雇用と非正規雇用、ホームレスや野宿者やネットカフェ難民、「旅行者」と「放浪者」としての捉え方など、周囲に対する見方が大きく変わった。若いときに学んでおきたかった。この科目は社会福祉や社会学を学びたい人にとっては、それ以外にも人間の暮らしを考え直したい人にも勧められる素晴らしい科目だと思う。残念なことに、23年度前期では閉講になっていた。

試験自体はジックリと読んでおけば、問題意識を持って読めば、難しいものではなかった。半分くらいは即回答できるが、残りは迷うことも多かった。50分で全10問はかなり余裕が有り、放送教材で見直しをしても充分に余る。真面目に授業を聞いて、試験前に教材を読んで過去問をすれば、過去問とは全く違うところが出たが、教材全体の流れを把握できてれば心配ない。

ライフステージと社会保障(’20)

様々な状況での社会保障について学べる。実利的で、生きていく上で多くの状況に応じての社会保障の仕組みと、その申請の仕方など学べる。

興味が有ったのは生活保護に関してで、本人の申請は必ず受理しなければならない。実際には多くの問題を生じている。申請の窓口で、親族に知らせるとか働く気は無いのかと、いわゆる貧困者にとっての「窓口の壁」を築いている。役所窓口は団体には弱いらしく、外国人に対する生活保護や貧困ビジネスを許している。本来は憲法25条1項に基づき、日本国籍を有するものと規定され、外国籍の人には適応されない。ただし一定の在留資格が有れば準用出来ることになってる。日本人には厳しく、在留外国人には親族関係者が押しかけたり人権団体が来たりすると、簡単に受給できてしまうようだ。日本人には「窓口の壁」が高いのに。生活保護だけではなく、医療保険についても、多くのことを考えさせられる。適正な窓口業務を行ってもらわなければ、多くの日本人の国税が「人権」の名のもとムダに使われてしまう。

社会保障そのものについてよりも、それを受給しなければならない状況についての、丸谷先生の優しい眼差しを感じられる。『人間にとって貧困とは何か』と共に学べた事は理解を深めるのに良かった。

試験については、難しかった。過去問とはもちろん違うが、前後に関係する内容で、各章ごとの出題ではないので迷うことが多かった。一見易しそうで、過去問よりも難しかったように感じた。

地域福祉の課題と展望(’22)

地域福祉の状況について学べた。高齢化率の高い地域や人口減少地域での、社会福祉の実践状況を知ることが出来た。限界集落や、山奥の秘湯の1軒宿などに興味が有り、というか、そういう地域で暮らしたいなどという憧れが有り、興味を持って学べた。

前半部の共同募金や「助け合い活動」に対しては、多少の疑問を常々感じていた。とくに最近は「赤い羽根募金」と「Colabo」との関係疑惑が問題になり、昨今の長引く不況かでの募金活動も、一部のモノにATMとされていたと思うと、怒りを覚える。その活動を賛美してる授業内容にも疑問を感じた。

知り合いの中に、障害児を抱えてる母子家庭が在り、本来は行政の篤い保護が必要なはずだ。外に働きにも行けず、親族に守られながら、懸命に町会の活動には参加してる。「社会からの排除」を恐れているのかは解らないが、少なくても近所の人達は蔑視はしていない。そんな家庭を持っていても、赤い羽根募金は町会の行事として集金に回り、強制ではないと言いながらも、町会の同調圧力がある。もっとも身近な家庭に対しての社会福祉については述べられていない。社会福祉活動の賛美は良いが、他にも問題とすべき事はあると思うのだが。

試験は30分も掛からずにほぼ出来た。時間は充分すぎるほど残っていたので、教材で確認をする時間も充分にあった。試験前に読んで、全体の書かれてる流れが分かれば、難しくはない。

在宅看護論(’17)

前回に受講した『老年看護学』に続き、この科目も受講したかった。73歳、じきに後期高齢者になる。高齢者の一人暮らしで持ち家はあり無借金だが、収入は年間110万円の年金のみ。一人暮らしは自由で良いものだが、一昨年以来冠動脈狭窄で何度も入院し、医療費の問題も切実に感じた。退院後にしだいに体力が無くなり、日常の生活にも多少の支障が出てきた。施設に入るのか、自宅で孤独死するのか、いずれにしろこれからの自身の体調変化を正しく知ることも大事だと思われる。

「生活と福祉コース」を受講中だが、様々な健康に関する科目を受けてきたが、もっとも身近なこととして『老年看護学』と『在宅看護論』は必要な事と思われる。

わずかな事象によって急激な体調変化や、体力や筋力の衰えを感じる。それがどういうことなのか、良く具体的に考えられるようになった。いぜんに人体の構造と機能の他、運動・食事・睡眠・感染症・薬・老化による変化・リハビリ、などに関する科目の集大成として、とくに高齢期に関しての問題のまとめとして、学んだ意義は大きかった。在宅での医療を受けるということについても、テレビでの放送授業の特性を活かしての内容に思うことが多かった。

試験は難しくない。簡単ではないが、放送教材のどの辺りに出ていたのかが分かれば、時間的には充分すぎるほど有る。

単位認定試験を終えて

今回4科目に絞ったのは、勉強以外にも何かを始めたいと思ったからだ。ところが、時間が有っても何もできないものだと感じた。年齢的な体力の衰え、経済的な問題、一人暮らしは自由だが全ての判断と責任もある。何を始めても、残り時間が少ないことだけはハッキリと確定してる。一日中テレビの前でボーッとしてる安楽さを覚えると、何かを始めることの難しさを強く感じた。

試験を終えて、単位認定試験があったら怠惰の時間を少しでも抜けることが出来た。放送大学は辞めようかと思っていたが、ムダに一日を過ごし、そのムダな時間の過ごし方に腹を立ててばかり、というくだらない時間をわずかだけでも少なくするために、来期は面倒な科目を受講したい。

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