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雑文など

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エッセーなどとは言えない、思いつくままに書いたもの。生意気にも、いつかは私小説的に書いてみたいとの夢も。
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#万葉集

和歌の背後を読みたい

年末になり常と変わらぬ日々の中、12月から『徒然草』を原文で読み始めた。世間では正月の用意やら何やらと、新年を迎える用意に忙しそうだが、それとは無関係にのめり込んでも、簡単に読めないだけに面白さは大きい。現代語訳を読んで、何となく分かったと思っても、それは表面だけの意味でしか無い。 吉田兼好、本名が卜部兼好(うらべ の かねよし)、父が吉田神道を継ぐ家に生まれ、従五位まで出世するが30歳で出家をしてしまう。世は鎌倉末期から南北朝時代、乱世の京で過ごしながら何を思ったのだろう

古典で暇つぶし

古書店で、わずか1,000円で『新日本古典文学大系 方丈記 徒然草』が手に入った。けっこうくたびれた様子なので、遠慮なく線引きや思いつきなど、書き込みも出来そうだ。 最近、学ぼうという意欲がなくなり、むしろ書くという行為で吐き出したくなる。少しばかり長生きが過ぎたようで、いろんな事を見過ぎたようだ。見るだけではなく「万事休す」、煮て喰おうと焼いて喰おうと、後は好きにしろ。そういう場面を何度も経験してきた。よくぞ今まで生き抜いたと感心する。 さて、迷うことの多い老後の余生だ

詞藻の裏を覗いてみると

詩文などを書くのに、顕わに表現するよりも、謎解きように真意を隠す方が奥深さを感じる。それを見抜いたときに、時に深い感銘を受ける。もっとも、それを解釈できなければ単に文字表現をそのまま受け取ってしまうのだが。 わが背子を 大和へ遣ると さ夜(よ)深(ふ)けて  暁露(あかときつゆ)に わが立ち濡れし (2-105) 大伯(おおくのひめみこ)が伊勢神宮の斎王として勤めていたとき、同母の弟大津皇子が夜中に会いに来た。夜明け前、暗いうちに見送り、いつまでも立ち続けていて、私の裾は