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ローガイの研究

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高齢者はノロマで臭くてワガママで、年金や医療費で現役世代の荷物であり、残り時間を無駄に消費してるだけの生き物だ。などと老人を嫌っていた。そろそろ後期高齢者になる歳になって、やっと… もっと読む
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2023年10月の記事一覧

老人のお付き合い・・・問題アリ?

ある独身女性を万座温泉に誘った。腰の痛みで背伸びが出来ないとか、何となく家族の中で疎外されているようなので、気晴らしになればと思ったのだが・・・。こういう気遣いに対して、どうも家族は要らぬ心配をするようだ。 互いに結婚など意識してないし、こちらが大丈夫でも・・・、もうお互いに繁殖能力は失せていると思うのに。 万座温泉、泉質は「酸性硫黄泉」、硫黄成分の含有量は日本で最も多く、湧出量も1日に540万リットル、しかも標高1800mの高山に位置している。白い濁り湯でも有名で、硫黄

耳鳴りが・・・

年寄りの仲間連中から耳鳴りの話題を聞いて、フッと思ったら自分にも耳鳴りがあった。 耳鳴りの原因はストレスや寝不足らしいが、高齢者にストレスなど無いし、いつでも何処でも寝られるので、寝不足もおかしい。けっきょくはいつもの、ただの歳だから、老化だからに落ち着いてしまう。 最近、チョット和歌にも興味が湧いてきた。老化だから・・・詠めるようには成らないだろうが、和語の美しさや掛詞に憧れる。 明治に入り、正岡子規や森鴎外らによって、古今和歌集は否定され、万葉集こそ原点であると言わ

そろそろ寿命が知りたい

むかしどこかで聞いたのが「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可也」という、論語かな、だったと思う。これを聞いて、随分とバカにしたものだ。真理など無いから、あれこれと迷うものではないか、などというような屁理屈をこねていた。 思えば人の寿命も同じ様なことかもしれない。ロウソクの長さが解ってしまうと、努力もしなくなるのではないか。ムダに生きてきたようでも、それなりに面白かった。追い求めた地位も財産も、何も得られなかったが、この歳になると、何もかもホドホドがもっとも良いことが分かる。そ

「死に欲」とはいう勿れ

珍しく今朝は8時まで寝てしまった。目覚ましの替わりに、6時45分から7時まで、毎朝「ラジオ英会話」が点くようにセットしてある。一応は毎月テキストを買っているのだが、開くことも無く、完全に目覚まし替わりになってる。 毎朝、4時までには起きているので、第一声が鳴ると速効スイッチを切ってる。NHKには、受診料と共にラジオテキストの書籍代も払っているので、「クラシックTV」の鈴木愛理ちゃんだけはしっかり見てる。今朝は爆睡で、見事に寝過ごした。もっとも、早起きをしてもすることも無いが

1日・1週間・1ヶ月の時間

フランスの心理学者ジャネーの法則では、時間の心理的長さは年齢の逆数に比例するという。 1歳の子は1/1、10歳の子は1/10、75歳は1/75。1:10:75となる。1歳の子の1年は、75歳にとっては75分の1でしかない。なので、若い人に比べ老人は時間のは流れを早く感じる。 時間の感じ方は、各自の経験値によると思っていた。何かを行う前に結果の予測が出来てしまう。残り時間の自覚があるから、ムダなことはしない。物欲も地位や名誉も、如何に脆いものかを知っているので、必要以上に求

貧困もまた楽しみ・・・などという負け惜しみ

島内先生の授業が受けられず、そうとうに気分的な落ち込みはヒドイ。『枕草子』などは全く興味も無かったのに、先生の『方丈記』『徒然草』などを読み、直に先生の授業を受けたかったのに・・・。 ということで、今朝は目の覚めた2時から『方丈記』などを読んだ。 若い時に五大災害を経験し、父のように下鴨神社を継ぐことが出来ず、晩年に日野に方丈の庵を築いた。 方丈の庵、子どもの頃に暮らしていた家の「千分の一」の狭さになった。その感慨はいかばかりかと思うが、狭いが故に四季折々の自然も感じら

形影自ずから相憐れまん

 近くの立ち寄り温泉に行った。気晴らしに良く行く施設で、温泉自体は湧出量が少なく、掘削動力揚湯であり、泉質は弱アルカリの単純泉、いわゆる成分量が少ないが湧出温度が25度以上のために温泉になってる。循環・加熱・加水・塩素消毒だが、浴槽は広く幾つもあり、一応は露天風呂もある。浴槽が広ければ、ノンビリ浸かり、ボーッとした時間を過ごすには良い。  ところが、同じ様なことを考える年寄りも多いようで、混まないのは年金の支給日くらいだ。年金が出るとパチンコの方に行くようで、駐車場を見ると

気になる看護師さん

リハビリに通う高齢者の患者には、二種類あるようだ。若い看護師や医師などには、特に若い女性には健康そのものを装いたがる。だいたい若い男性看護師さんに押されて、車椅子で来たのに、お目当ての看護師さんの前に来ると元気になってしまう。要介護の認定でも、医師や看護師さんの前では1ランク低くなると聞いた。「うちのジジイは、家では何も出来ないくせに、若い子の前に出ると色気が出て、エロジジイ」などと聞いて笑いを堪えたことがある。 もう一種が、実際よりも弱々しく見せるタイプだ。家では何でも出

最期に残す言葉や後悔

 和歌のことを少し勉強し始めて、辞世の句でも作ろうと思い立ってはみたもののは、想いを込めるというのはなかなか難しい。まして短歌形式にしようと思うと、俳句よりも難しい。いっそうのこと、俳句形式で書いたらと思ったが、死ぬという季節が定まらず、季語を決めかねてしまった。そして何よりも、省みるような事など思い浮かばない。  人生最期の言葉、いろいろと思い出す。叔母が病床で、叔父の手を握りながら「ごめんね、先に逝ってしまって。長い間お世話になりました。ありがとうございました」と感動的

美しく老いる秘密は

 若いときに美人と言われていた人がいるが、高齢者になっても衰えず、歳に応じた輝きがあり美しいと思える。単に化粧だけではない、知性と頭の回転の速さ、話すことがいつまでも若々しく魅力的だ。一般的にいわれる後期高齢期に入っても、老人らしさを感じさせず、個性的な魅力を増して人を引きつけている。その秘訣は何なのだろうか、後期高齢者に近づくにつれ、考えるようになった。 1  若いときに何度か訪ねた大叔父がいる。この人の奥さん、大叔母は親族の中でも有名な美人だった。陰で化粧が濃いなどと

ジジババの怖がるモノは

 老人同士の会話は、高齢になるほど自分自身の体調や家族のことなど、批判的なことばかりで感謝がない。もっとも聞いてて嫌なのが、もう死んでも良いとか死にたいよ、などと言うことだ。言ってる割には、足が痛いの腰が痛い、食欲がない頭が痛い耳鳴りがするなどと、幾つもの病院に通っている。病院参りをしたところで治ることはないし、ピンコロ何とかというような神だか仏だかに行っては、帰りは飲み食いで騒いでる。医療費は掛かるし、調子に乗って口うるさい、内心「この死に損ないが」と思ったことが多かった。

年寄りは動じない、経験値が違う

 中国の経済状況をYouTubeで見ていたら、「蟻族」とか言う、高学歴だが就職も出来ない若者の集まりを指す言葉が出来てきた。蟻のように知能の良い者が集団生活をする姿を、蟻に例えたようだ。大卒と言うだけで、知能が高いと自ら言う、笑えるわ。現場で年月を掛けて技術を継承してきたから、現在の技術立国日本がある。安易に金本位を望む者ばかりでは、技術を盗むことしか出来なくなり、技術の基礎は育たない。  タンピン主義という言葉も出来たとか。日本語では寝そべり主義と言うそうだ。家を買わない

寿命こそ是非も無し

 朝の散歩は運動公園だが、ここには犬の運動をかねたグループと、高齢者のグループがある。犬を連れてくるグループは中高年の女性が多いようだ。  河川敷の広大なサッカー場や野球場、森林公園、早朝からの散歩は高齢者がほとんどで、その中でもリーダー格(的な)女性がいた。年齢は60代半ばていどで、高齢者の散歩組の中ではもっとも若く思える。後期高齢者の男性グループ、グループ化はされてないが、疲れて腰掛けてると声掛けをしていた。男同士では朝の挨拶は簡単で、ろくに顔も見てないものだ。この女性