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人生、綴ってみた   創作大賞2023 応募作品

 私は毎日お酒を呑む
 美味しいと感じた時はほとんどない
 今日こそは眠れますようにと
 眠剤と共に流し込む

 人生百年としたら
 私はまだ半分しか生きておらず
 人生を語るには甘ちゃんすぎる人間だ

 幼い頃から続いた、父からの虐待
 怒りのままに殴られて、蹴られる
 時には馬乗りになってボコボコにされる

 そんな父をなぜか 
 祖母は異常なほど可愛がっていた

「女は男より先にご飯を食べるな」
「女は男より先にお風呂に入るな」  

 男を立てている言葉などではない
 祖母にとって、「男」とは
「父」だけを示す言葉
 祖父をないがしろにしてそれはないだろう
 幼い時から思っていた

 そして
「女は男の上に立つべきではない」
 そんな理由で大学進学すら反対された

 通っていた高校は進学校で
 就職する人などほとんどおらず
 見兼ねた担任の先生が
 わざわざ家まで来てくださって

「娘さん、
 大学に行けるだけの力を持っています。
 どうか行かせてあげてください」

 親でもない先生が
 私のために親に頭を下げる
 なんとも言えない
 心の中がザラザラとする

 父は言った
「娘とは思っていません。
 大学には行かせません」

 祖母も言った
「女に学は必要ありません」

 母は横で泣いているだけだった

 泣きたくなる時は天を仰ぐ
 涙など誰にも見られたくなかった
 いつからそんな癖がついてしまったのか
 自分でもよく覚えていない

 三世代、六人家族
 ついこの前までは父の弟もいて
 七人家族だった
 それなのに
 楽しい、と感じたことは一度もなく
 寂しい、と感じることばかり

 どうして私はここに生まれてきたのだろう
 生まれてきた理由がわからない
 居場所なんてどこにもなかった

 どうして父はいつも怒っているのだろう
 どうして私ばかり殴られて蹴られて
 どうして、どうして
 疑問だらけのこの人生から抜け出すために
 この頃の私はいつも必死で勉強していた

 勉強していると
 決まって虐待がはじまる
 自分の部屋で
 おとなしく勉強しているだけなのに
 父はいつも荒々しく踏み込んでくる

 祖父が亡くなってから
 虐待はひどくなる一方だった

 当時は「虐待」なんて言葉は
 聞いたことすらなかった

 母は父の言いなり
 そして祖母と同じく
 自分の息子だけを可愛がる
 恋愛経験もなく
 お見合いで結婚した母にとって
 息子は恋人も同然

 弟が得意気になる度に
 私の寂しさは増していく一方だった

 そして
 いつも陰に隠れて
 泣いている母を見て思っていた

 母のようには生きていきたくない
 男に頼って
 言いたいことも言えなくて
 そんな人生、真っ平御免だ

 しっかりと
 一人で生きていける力を身につけて
 その上で、幸せな家庭を築いてみせる

 うずくまって泣いている
 母の背中を上から見下ろしながら
 そんなことを考えている娘だった

 結局
 高校卒業後は就職
 私は親元を離れて会社の寮で暮らした

 働いてオカネを貯めて、大学に行く

 働いて、働いて
 体を壊して、実家に逆戻り

 父が会社を解雇されたのと重なった

 私は運良く、再就職
 大学に行きたい気持ちに変わりはなく
 ただただ、ひたすらに働いていた

 ようやく好きな人ができた
 結婚しようと言われて指輪をもらった
 初めての幸せに酔いしれていた

 対して、父は職探し
 職が見つかってもニ、三日でクビになる
 そんなことの繰り返し

 世の中が悪いから政治家になる、と
 言い出したり
 知り合いが結婚相談所をやっていて
 面白いくらい儲かる、と聞けば
 広告の裏に鉛筆で
「結婚相談所」と書いて、玄関先に貼る
 やることなすことメチャクチャだった

 結婚相談所の
 広告の注文をしていると聞き
 即座に電話をしてキャンセルした
 それが父の怒りにふれた

「俺の邪魔をしやがって!」
 凄まじい怒りだった
 父はもう、人間の顔ではなかった
 鬼のような顔とは
 こういう顔をいうのだろう

 殴られ、蹴られ、弾き飛ばされ
 私は机の角に額をぶつけた
 額が割れて血が流れ出た

 私は彼氏に助けを求めた

 彼なら、私を助けてくれる
 私を抱きしめてくれる
 守ってくれる

 そうそうドラマのようにいくわけがない

 彼氏は私の額を見ながら言った
「俺、お前のこと、受け入れられない。
 父親が娘にそんな事をするなんて、
 信じられない。
 俺にはお前は無理だ」

 結婚の約束までした人に
 あっさりと振られてしまったのだ

 絶望しかなかった  

 生まれて初めて経験する喪失感

 心の中にポッカリと大きな穴が開いて
 冷たい風が差し込んでくる
 何をどうしたって、その穴は塞がらず
 その術すら知らないほど
 私は、若かった

 泣きながら土下座をして、母に訴えた
「お願い。
 あんな奴、父親なんかやない。
 離婚して」

 母は、その言葉に迷っていた

 なのに、弟が反対した

「離婚なんかしたら、
 俺の帰る場所が二つになる。
 どっちに帰ったらいいのかわからんくなる。
 俺はどっちにも帰ったりしやんからな」

 たったそれだけの言葉で
 私の必死の訴えは
 いとも簡単に退けられてしまった

 数日後
 父に電話があった
「今回はご縁がなかったとお伝えください」
 度重なる不採用の連絡
 父が不在ではないのに
 会社は父を電話口に呼ぶこともしなかった

 嫌な予感がしながら、伝えると
 その瞬間
 体重八十五キロもある父が
 私に馬乗りになった
 身動きとれない私に
 何度も何度も殴りかかり
 気が済むと
 そのまま階段を降りていこうとした

 私はそんな父の姿を後ろから見ていて
「こんな奴、死んでしまえばいい」
 そう思うと同時に
 父の背中をおもいっきり押していた

 階段の上で
 父の体はエビのようにのけぞって
 両手が何度も空を舞い
 スローモーションの映像のようだった
 不思議なくらいゆっくりと
 私はそれを眺めていた

 父は、手すりにつかまり
 階段から落ちることはなかった

 もうここにはいられない

 実家を出た
 アパートを借りた
 これでもう
 あの鬼に怯えることはない
 憎しみが抑えきれず
 自分を殺したいとか
 鬼を殺そうなどと思わないはずだ
 私は心の底からホッとしていた
 大学に行こうかとも思ったけれど
 もう、そんな気力は残っていなかった

 それからしばらくして
 父が精神病院に入院したと聞いた

 誰の力も借りずに自分の力で生きていた
 この頃の自分が一番愛おしい

 今度は
 弟を大学に通わせるために働いた
 弟のためではなく
 母の負担を少しでも減らしたい
 それだけだった

 会社で初めてセクハラにあった
 嫌だと言っても、押し倒される
 やれるもんなら、やってみろ
 私は死んでも抵抗してやる
 会社のロッカーの
 小さな鏡を見ながら乱れた髪を直した
 手が震えて思うように動かない

 私は天を仰いだ

 一人暮らしをすることで
 ようやく父から逃れることができたのに
 これでは虐待がセクハラに変わっただけで
 私はどうしたって
 ここから抜けきることは出来ない

 母に会社を辞めたいと言った
 その理由までは言えるはずもなかった

 父は精神病院に入院中
 母は正社員で働いていても
 手取りで十二万しかなく
 祖母は一銭のオカネも入れようとしない
 弟は大学を休学して海外留学中
 まだまだオカネはかかる

 母は泣いた
「こんな状況で
 アンタにまで仕事を辞めてほしくない」
 私は母の言葉に縛られてしまった

 会社の駐車場は
 仕事場から少し離れた、河川敷にある
 出入りをするのに
 車一台がやっと通れる道が一つあるのみで
 なかなか厄介な場所だった

 ある夏の夜
 仕事が終わって
 駐車場へと一人歩いていた

 後ろから誰かが走ってきた
 部長だった

 私は必死で車へと走った

 タッチの差だった
 車のロックをかけると
 部長は悔しそうに車をガンガン蹴った

 そして
 その一本しかない駐車場への道を
 自分の車でふさいで叫んだ
「ざまあみろ!
 これで、逃げることもできやんな!」
 してやったりという顔で笑って
 川辺に寝転んでいた

 その頃は
 携帯がちょうど普及しだした頃で
 私も持ってはいたが
 どこにも連絡出来ずにいた

 母に泣きつくわけにはいかないし
 こんな夜遅くに呼び出したら
 友達にも迷惑をかける
 警察に電話したら、大騒ぎになるだけだ

 自分の身は自分で守るしかない

 残念なことに
 私にはそんな考えしかなかった

 部長の車で
 一本道が遮られているのであれば
 この河原の急斜面を車で上がるしかない
 上がれなかったら、車ごと落ちてしまう

「アイツにやられるくらいなら、
 死んだ方がマシだ」

 私は急斜面の土手に向かって
 迷うことなく、車を発進させた
 アクセルをおもいっきり踏み込んだ

 三分のニほど斜面を上がると
 さすがに苦しそうに
 車はキュルキュルと音を立てた
 前にも後ろにも動かず止まりかけ
 もはやこれまでかと
「神様・・」と、つぶやいた

 すると
 車はいきなり前進
 斜面を一気に駆け上がり
 道路に出た瞬間
 勢い余ってジャンプした

 西部警察かのような見事なシーン
 石原裕次郎も泣いて喜んだであろう

 ふだん
 神様にも仏様にも
 手を合わせない私に頼られても
 神様は困るだけだっただろうに
 どうして神様は助けてくれたのだろう

 その日が境となり
 セクハラはなくなった
 変わりにパワハラが始まった
 仕事でおとしめられる日が続く
 セクハラよりはマシかと思ったけど
 そんなことはなかった

 何かあれば、全てが私のミス
 もちろん、私自身のミスもある
 頼まれてもいないことを
 頼んだのにやっていないと
 朝礼の時には社員全員の前で怒鳴られる

 ある日
 これは重要な書類だからと手渡され
 嫌な予感がした
 鍵付きの棚のボックスに入れたのに
 翌朝には消えていた

 朝礼時
 社員全員の前で頭を下げた
 言い訳をする気力もなかった

 もう、無理だ
 私より部長の方が上手すぎる

 そんな矢先
 社長が逮捕された
 会社は数々の悪事を重ねていた

 全国ニュースになり
 社長の奥さんが泣きながら
 従業員全員に頭を下げた

「会社は倒産します。
 今月いっぱいで全員辞めてください」

 最後の日
 なんと言ったらいいのだろうか
 人間が持つ常識が一切なくなった日
 人間の本性が露わになった日

 それぞれの人達が
 この狭い空間の中で
 毎日いろんなことを我慢していたのだろう

「お前の、
 その態度が気にいらんかったんじゃ〜‼︎」

 男ばかりの会社というだけあって
 口ばかりではなく
 手も出る、足も出る

 全員がこの日に辞めるのであれば
 遠慮する必要などないのだから

 私はそんな人達とは距離を置いて
 アルバイトのお爺ちゃんと
 お茶を飲みながら
「人間、我慢しやんと
 こんなことになるんやなあ。
 えらいことやなあ」
 と、語り合ったりしていた

 午後になると
 メチャクチャもいいところで
 会社は格闘技会場のようになっていた
 誰も仕事なんてしていなかった

 疲れきった様子で部長がやってきて
「茶を持ってこい」
 私を睨みながら、だるそうに言った

 最後の最後まで、そういう態度なのか

 私が無視していると
 部長は椅子から立ちあがり
「茶を持ってこいと言うとるのが
 聞こえやんのか、このボケが!
 さっさと持ってこいや‼︎」
 小さなフロアの中で
 それはそれは大きな声で部長が怒鳴った

 皆が私を見た

 ゆっくりと
 私も同じように椅子から立ち上がり
 腹の奥底から息を吸って
 力の限り叫んだ

「アンタなんかに
 なんで茶を入れやんとアカンのや!
 欲しかったら、自分で入れろや!
 セクハラ男の分際で
 ネチネチと嫌味なことばっかりやって
 このスケベ野朗!」

 心臓がバクバクしていた

 その場にいた人達はほとんど
 セクハラにもパワハラにも気がついていた
 ロッカーに隠れて
 泣いていたことを知っていた人もいた

 だけど
 助けてくれたのは
 新入社員の若い男の子一人だけ

 面倒なこと
 厄介なことには関わりたくないと
 四十人ちかくもの人達がいたのに
 知らぬフリをした

 世の中って、そういうものなのか

 なんだか、とても残念だ

 虐待もセクハラもパワハラも
 自分一人で
 苦しんでいるだけでは何も変わらない
 誰かに伝えて
 知ってもらって
 助けてくれる人を探すこと
 それが一番大事なことなのではないかと
 ようやく気がついた

 そう
 誰にも伝えなかった自分が一番悪い

 その後、部長も逮捕された
 社長と同じ容疑だった

 全てのしがらみから解放された

 カネなし、男なし、仕事なし
 人生がリセットされた
 失うモノがないと本当に気が楽だ

 最初に就職した会社から、電話がきた
「前みたく
 体を壊さないように
 アルバイトで働いてみないか」
 もともと
 天職だと思ったほど大好きだった仕事

 同期も一人残っていた
 会社の人達は
 出戻りの私を優しく包み込んでくれて
 不思議なくらい居心地がいい
 泣きたくなるほど幸せな場所だった

 二度目の恋愛が訪れた

 結婚を約束した人に振られた話をした
 父の話もした
 この人は、全く動じない
「俺は、大丈夫だよ。
 そんなことで逃げたりしない」
 そう言って、優しく笑った

 なんて器の大きな人なんだろう

 この人と一緒にいたら
 これから一人で悩むことはない

 何かあったとしても
 この人が一緒に悩んでくれるなら
 悩みでさえ悩みでなくなる

 結婚話がまとまりかけた頃、
 私は初めて彼にお願いごとをした

「青森の、大農家の長男と結婚する以上
 ゆくゆくは青森に住んで
 親の面倒をみる覚悟はできている。
 だけど、何があっても
 たとえ私が悪かったとしても
 私の味方をして。
 そうでなかったら
 親も親戚も友達もいない青森で
 私は一人になってしまう」

 彼は嬉しそうに頷いた

「もちろんだよ。
 俺がいつだって味方でいるから」

 この人と出会う人生であったのならば
 虐待もセクハラも
 たいしたことではなかったのだと
 私は初めて、今までの
 自分の人生を受け入れることができた

 迷うものは何一つなかった

 三十才になった時、その人と結婚した

 ずっと一人で生きてきた
 男には頼らない
 幼い時から心の奥底に刻み
 しっかりと、その力もつけてきた

 彼もまた
 高校卒業と同時に実家を出て
 会社の寮で暮らしていた

 一人でも生きていける男と女が出会って
 二人になって、家族になって
 好きな人にそっくりな子供を生む
 想像しただけで
 なんてワクワクするんだろう

 この人は神様が私にくれた奇跡
 プレゼントなんだ
 だったら、大切にしなくてはいけない

「幸せにして」
 そんな人任せな事は絶対に言わない
 私がこの人を幸せにしてみせる

 お酒がほんのり美味しかった

 人生、幸せな時は短い
 結婚はゴールではない、スタートだ
 結婚式が幸せの頂点であってはならない
 女はどんな男を選ぶかによって
 人生が変わる
 高校の時の先生がよく言っていた

 そう
 だから
 男に左右されまいと生きてきたはずだった

 結婚式から、半月後
 ポストに借金の督促状が入っていた

 督促状を机の上に置いて、帰りを待った
 旦那はのらりくらりと私の言葉を交わし
「疲れているから」と、瞬時に寝てしまった

 借金と嘘ばかりの日々が始まった

「私の味方をして、って約束したよね」
「あ、それ無理。
 俺、親に逆らったことないから
 それだけは無理、できない」
 切実な願いを込めた約束が
 あまりにも簡単に破られたことに驚いた

 妊娠して
 お腹が大きくなっていっても
 借金の督促状ばかりが家に届く

 今度は何?
「神様に誓って、無い」と、断言していた
 独身時代の車のローン、バイクのローン
 結婚式のお金まで、全てが借金

 この人と結婚すれば
 穏やかに生きていける
 そう思えたのはなんだったのか
 穏やかとはあまりにも程遠い場所にいた

 その後
 病院の医療ミスで、子供は死産

 私はどうやら幸せには縁がないようだ

 棺に入った子供を見た
 昨日までお腹にいた子供が
 今日は棺の中にいる

 信じられない

 楽しみにしていた性別を
 こんな形で知ることになろうとは
 思いもしなかった

 旦那が退院手続きをしている間
 私は廊下で一人
 終わるのを待っていた

 病院の掃除スタッフの
 女の人が近づいてきて、言った

「気持ち、わかるよ。

 私もね。
 妊娠がわかったと同時に
 病気でね、子宮を取ってしまったの。
 どうしようもなかった。

 子供はほしい。
 でも、思ったところで
 私にはもう子宮がないんだから
 どうしようもない。  

 あなたも、今は辛いだろうけど
 子宮がある、ってことは
 まだ可能性がある、ってこと。
 私から見れば、すごく羨ましい。

 最近の、ほら、
 向井亜紀の代理出産の話があったけど
 あれすら羨ましいと思う。
 私と同じように
 あの人にも子宮はないのに
 オカネがあれば、
 ああいうことだってできてしまう。

 パートで働いている身分の人には
 考えもつかないことだよね」

 そう言って
 その人はポロポロと涙をながしていた

「ごめんね。
 私、何言ってるんだろうね。
 望みを捨てないで、って
 伝えたかっただけなのに
 ごめんね、ごめんね」

 何年も前の話だと言っていた

 何年も経っていても
 昨日のことのように泣く
 何か言葉をかけてあげたい
 だけど
 この人の悲しみが痛いほど伝わりすぎて
 同じように泣くことしかできない

 私達は二人でしばらく泣いていた

 辛くて悲しくて、苦しい

 いっそのこと
 私も父のように気が狂ってしまいたい
 そうすれば、こんなに苦しまなくてすむ

 子供を失うことは地獄をさまようこと
 何を見ても泣けてくる

 子供を連れた家族連れ
 お父さんがいてお母さんがいて子供がいる
 それを目にするのすら
 心が張り裂けそうになる

 いつまでたっても
 ベビーグッズのチラシがポストに届く
 友達からは
 出産報告の写真入りハガキが届く
 テレビをつければ芸能人が言う
「別に〜、
 欲しくはなかったんですけど〜、 
 出来たから〜、
 まっ、いっかな〜、って思って〜」
 そんな些細なことで泣いたり、怒ったり

 ドロドロした感情が
 まるでトグロを巻いたヘビのように
 私を締めつけていた

 苦しい

 苦しい

 もがけばもがくほど苦しい

 結婚すれば子供がいて当たり前
 どうしてそんなふうに思っていたのだろう
 当たり前のことが当たり前ではなくて
 もがき苦しんで
 何度も何度も地獄に落ちていく

 四十九日が近づいた頃
 お参りするのに
 名前があった方がいいということになり
 旦那が名前をつけてくれた

 天使と書いて、「たかし」

 それを聞いた瞬間、私の母は号泣した

 お寺の住職さんが言った

「死産も流産も、
 子供にとっては修行だよ。

 妊娠がわかった時の
 お父さん、お母さんの喜び、
 自分がいなくなった時の悲しみ、
 そういう感情を学びとるために
 この世に来たんだよ。

 こんなに悲しいことだって、
 子供にとっては必要な修行なのだから」

 この悲しみに耐えること
 それが私の修行なのだろうか

 ふと見ると
 旦那が泣いていた

 後にも先にも
 旦那の涙を見たのはこの時だけ
 嘘ばかり、借金ばかりの男だけど
 この人に子供を抱かせてやりたいと思った

 一年が過ぎた頃、その願いは叶った
 今度も男の子だった
 旦那は愛おしそうに子供を抱っこしていた

 だけど、旦那は変わらなかった
 なにより
 人に奢ることが大好きな人間だった

 私の独身時代の貯金もなくなった
 母方の祖母が
 十人もの孫に一人五十万ずつ
 オカネを残してくれていた
「結婚するとね、
 何かとオカネはなくなっていくからね」
 祖母が亡くなってからも
 母は大事に保管して
 結婚する時に持たせてくれた
 そんな大事なオカネすら消えていった
 言いたいことはいっぱいあっただろうに
 母は何も言わず
 自分のオカネまで出してくれた
 声も出さずに静かに泣いていた

 三十過ぎた子供が親を泣かす

 申し訳なさすぎて
 その気持ちに押し潰されそうになる
 私はたまらなくなった

 会社を辞めて
 自分で事業を始めて
 失敗したオカネならば納得がいく

 手取りが十四万
 借金があるというのに
 人に奢る身分ではないと
 私はどんどん口うるさくなっていった

 旦那の転勤に伴い
 私は地元を離れることになった
 埼玉県、宮城県へと移り住んだ

 不思議なことに
 息子は何才になっても言葉を発しない

 ごくたまに
 知ってる単語をポツリと言うだけ

 何かしらの発達障害があるのだろう
 だけど、それ以上のことはわからなかった

 就学前健診の時、
 発達障害の研究をしていたという
 教務主任の先生に言われた

「この子は、普通ではないですよ。
 普通に学校に通って
 普通に就職して
 普通に生きていくことはできません。
 私にはわかります。
 支援学級に入れてください。
 普通級に入れるなんて、親のエゴですよ」

 大丈夫
 そんな言葉には慣れている
 私はいちいち傷ついたりしない
 こんなふうに
 自分に言い聞かせることにも慣れていた

 帰り際
 ランドセルを背負って
 登下校をしている子供たちを見た

 友達と、会話をする

 楽しそうに、笑う

 なんとも言えない、微笑ましい光景なのに

 それを目にしただけで

 羨ましくて

 羨ましくて、たまらなくなる

 そんなことすら叶わない我が子

 心の奥底から悲しみが突き上げてくる

 涙で

 車の運転すらできなくなって

 コンビニの駐車場で泣いた

 仙台の生活に慣れた頃
 東日本大震災を経験した
 凄まじい揺れだった
 聞いたことがない大きな地鳴り
 地球の唸り声のようだった

 この世の出来事だとは思えない
 目にするもの全てが形を変えていた

 大家さんから
「倒壊するかもしれないから、
 マンションの中には入らないで」
 そう言われて
 息子と二人、避難場所まで歩いた

 この時、息子は小学一年生
 喋れない息子は泣くことしか出来ない
 避難場所での息子の行動は
 周りの人に不快感を与えていた

 倒壊するかもしれないマンションに
 戻るしかなかった

 真っ暗な夜道
 車のライトが光るだけ
 信号機すら壊れて作動せず
 自分の足元すら見えやしない
 マンホールが
 盛り上がっているのにも気がつかず
 私は足をくじいてしまった
 星がキレイだった
 仙台でこんなに星が見えようとは
 天使君は天国で元気にしているだろうか
 私のお腹の中で亡くなった五人の子供達
 皆はお星様になったのだろうか

 その日
 旦那は秋田県に出張していたが
 同僚達を車に乗せて
 仙台へと帰ってきてくれた

 同僚をそれぞれの自宅に送りとどけ
 さあ、自分も帰ろうと思った時
 ラジオでニュースが流れた

「若林区が壊滅的な状況です」

 壊滅的?
 どういう状況を壊滅的というんだ?

「津波でたくさんの方が亡くなっています。
 絶対に、近づかないでください」

 壊滅的という言葉が
 旦那を捕らえて離さない
 その状況をどうしても知りたい
 この目で見てみたいと
 我が家とは違う方向
 若林区へと車を走らせた

 そして、深夜に帰宅した

 そんな話を聞かされた方はたまらない

 私は旦那の行動を否定した
 旦那も私を否定した
「わざわざ秋田県から
 真っ暗な山道を帰ってきてやったのに
 文句を言われる筋合いはない」

 原発が爆発したと聞き
 旦那の実家、青森県に避難した

 知り合いが津波で亡くなったと
 連絡を受けた
 海の近くに住む彼女を助けて
 自分が流されたと聞いた
 一生懸命生きていた人だった

 震災で命を落とした人は
 自分のことは考えず
 自分ではない、
 誰かのために動いた人が多いと聞く

 人を助けた人が亡くなる

 なんて悲しい現実なのだろう

 津波のように
 悲しみが何度も何度も押し寄せてきて
 何度も何度も泣くことしかできない

 東日本大震災は地獄だった

 生きていても地獄
 死んでも地獄
 同じ地獄ならば、生きていくしかなかった

 バタバタとした生活が続く中
 旦那が仕事で一千万以上の赤字を出した

 一千万は会社に報告
 それ以上は報告できず
 生命保険を勝手に解約
 保険証書は私が握っているのに
 紛失したと嘘をつき
 解約金を手にした
 それでも補えない分がまた借金となった

 震災を乗り越えて
 夫婦の絆、家族の絆が深まったと
 周囲でもテレビでも語られているのに
 私たち夫婦だけが壊れていく
 そんな気がした

 返しても返してもキリがないオカネ
 もう、うんざりだ

 どうして
 赤字の全ての額を報告できなかったのか

「俺のプライドだ」と、言った

「もう二度としない。
 今度借金したら、俺を殺してくれ」

「私は殺人者になりたくないの。
 そう思うなら、自分で死ねば」

「そりゃ、そうだなあ。
 今度借金したら、俺は死ぬよ。
 約束する。
 こりゃもう、怖くて借金はできないなあ」

 何がおかしいのか、旦那は笑っていた

 夫婦の会話ではないし、
 まともな大人の会話でもない
 私は悲しくなった

 その頃になって
 ようやく息子の病気が判明した

 注意欠陥多動障害
 通称、ADHD

 診断が下るまで費やした期間、八年
 その可能性すら疑われたことはなかった

 頭の思考回路がつながっていないため
 八才にもなるのに、言葉は一才半程度
 思考回路をつなげるための
 薬療法が始まった

 診断がついてもつかなくても
 病院を駆けずり回ることに変わりはない
 やるべきことがいっぱいで
 私はいつも疲れきっていた

 深夜に帰宅する旦那
 育児などやってくれるはずもない

 お酒を飲みながらぼんやりと考える

 どうして
 一人で生きていけるなどと
 思っていたのだろう
 結婚して、地元を離れ
 家族に何かあれば、それに振り回され
 女は仕事をするどころではなくなる
 女って、不利だ
 そんなことばかり考えていた

 薬を服用するようになって、三カ月
 息子に変化があらわれた

 言葉を得て

 自分の気持ちを伝えるようになった

 夢にまで見た、子供との会話

 言葉の一つ一つがなんて愛おしい

 私は全身でその喜びを噛み締めていた

 遠くて
 何年も会っていない母から手紙がきた

「人生はいろいろあります。
 いい事よりも悪い事の方が多いです。
 借金をするのは
 良くない事だと私も思います。
 だけど、せっかく縁があって
 一緒になったのだから
 最後まで添い遂げてほしいです」

 寂しい寂しいといつも言う母
 私の幸せを願って書いてくれたのだろう
 母の気持ちが心に沁みた

 そんな母が亡くなった
 大動脈瘤破裂
 苦しくてたまらないのに
 救急車を呼ぶことすら遠慮したと聞いた

 お葬式が終わっても
 涙が出ない私を見て、旦那が言った
「ざまあみろ」
 喉賃こを見せて笑っていた
 ドロリとした嫌な感情が流れた

 旦那にも言い分はある
「俺を悪みたいに責めるな。
 お前を戒めるために言っただけだ」

 翌日
 私の弟の気がふれた
 それを見ていたのが
 九才になったばかりの私の息子だった
 自分の奥さんと子供を殺して
 俺も死ぬと大騒ぎ
 人間とはなんて弱い生きものなんだろう

 救急車で運ばれた先は
 なんと父が入院している精神病院だった
 しかも、同じ病棟

 弟に面会するため
 ナースステーションに行った
 看護師さんは
 私が娘だと気がついたようだ

「お父さんと面会されますか?
 もう何年も会ってないんでしょう?」

「会いません。
 あの人には何度も殺されそうになりました。
 父親だなんて思ってもいません。
 二度と関わりたくない存在です」

「わかりました。
 では、弟さんの病室にご案内します」

 私と息子は看護師さんについていく
 階段を上がった先に、鉄柵があった
 そこの鍵を開けて中へと入る
 本当にここに弟がいるのだろうか
 嫌な予感がした

 病室に入った瞬間、私は凍りついた
 ベッドの上に座っていたのは、父だった

 心臓がドクッと音を立てた
 体中の細胞がザワザワする
 なんとも言えない気持ちの悪さだ
 息をするのが苦しくて
 声を出すこともできやしない

 これはいったい何?

 あんなに会わないと言ったのに
 こんなの、騙し討ちではないか

 看護師さんは目を潤ませて
「お父さん、良かったですね。
 娘さんが来てくれましたよ〜」

 父の目がギョロッと動く

「娘?
 さあ、わからんなあ・・」

 息子は怖がって私にしがみついた

 虐待された記憶が次から次へと蘇る
 頭の中は大パニックだ

 早く、早くこの場から離れなければ
 私は息子の手を引っ張って
 病室を飛び出した

 看護師さんが叫んだ
「待って!
 洗濯物があるのよ、
 持っていってくれないと困るのよ!」

 何を言ってるんだと
 憤りを感じながら振り向くと
 父と目が合った

「また来てくれな〜」
 そう言って
 嬉しそうに手を振っていた
 背中がゾッとした

 長い間
 廊下の椅子に座って泣いていた
 子供よりひどい泣き方だった

 泣き疲れた頃
 旦那が横に座っていることに気がついた

「虐待されている、って聞いてはいたけど
 ずっと嘘だと思っていた。
 父親が自分の娘にすることじゃないよな。
 信じられないよ、こんな話」

 かつて
 結婚を約束した人が言ったセリフだった
 旦那には絶対に
 口にしてほしくない言葉だった

 そして、何?

 嘘だと思っていた?

 冗談じゃない

 全てを受け入れてくれて
 器の大きな人だと思った王子様は
 最初からどこにもいなかった

 受け入れられない、と
 結婚を拒否した彼氏の方が
 とても真っ当だった

 寂しい

 こんなふうに
 二人で並んで座っていても寂しい
 一人でいる時よりも寂しい

 私の人生はいつも寂しい

 そして、弟は「鬱病」と診断された

 もともと鬱病は持っていたと
 この時に初めて
 お嫁さんから聞かされて驚いた
 最近は落ち着いていたから安心していた
 初めてのことではないので
 私に任せてください
 頼りになるお嫁さんだと思った

 実家から仙台へと帰ってきたが、
 息子がなにより心配だった

 やっとやっと
 会話ができるようになっていたのに
 そのタイミングで
 人間が気を狂う瞬間を見た息子

 弟は自分の目を箸で突こうとした
 お嫁さんが「やめて!」と叫ぶと
 ひねってもいない水道の水が
 勢いよく流れ出した
 母は亡くなっても
 必死で我が子を守っていたのだろう

 弟の形相は凄まじかったそうだ

 それを目にしてしまった方もたまらない
 息子はすっかり様子が変わってしまった
 昼間でもビクビクと怯えるようになり
 私がそばにいないと泣いてばかり
 夜は眠れないと言って泣き
 寝たら寝たで
 包丁を持った人が追いかけてくると言う
 何度も何度もその夢を見るそうだ

 息子は怖くて叫ぶ
 ホラー映画でしか聞かないような叫び
 私も息子もボロボロだ

 不幸の連鎖が止まらない
 止めて
 誰かこの連鎖を止めて

 私は自分の人生を
 一生懸命生きてきただけ
 幸せになりたかっただけ

 それなのに
 母の突然死
 弟の鬱病再発
 虐待の記憶しかない、父との再会
 旦那の理解不能な言動
 そして、最愛の息子までおかしい

 私まで気が狂いそうだ
 私一人では抱えきれない

「神様は乗り越えられない試練は与えない」
 そういうけれど
 こんなに次から次へと試練を与えられたら
 乗り越えてる暇など、あろうはずがない

 私はお酒ばかり呑んでいた
 辛かった
 人生から逃げ出したかった
 誰かに頼りたくて
 息子の主治医に助けを求めた

 主治医は難しい顔をして、話を聞いていた
 そして、言った
「お母さんが精神科に行くべきだ。
 しっかりしなさい。
 お母さんがぶれたら子供もぶれますよ!」

 精神科ではなかったが
 近所の診療所で「心労」だと診断された

 その夜
 母子で揃って、睡眠導入剤を呑んだ
 二人で朝まで泥のように眠った

 よく食べて
 しっかりと寝て
 規則正しい生活をすること
 それが
 乱れた気持ちを落ち着かせてくれる
 そんな当たり前のことを
 この時初めて知った

 母が亡くなって、半年後
 私はようやく泣くことができた

 母がいなくなって寂しい

 何年も会えなかった後悔
 借りたオカネも返せなかった後悔
 いろんな後悔がありすぎた

 泣いて泣いて
 半年分しっかりと泣いて
 私は自分を取り戻していった

 旦那は福島県へと転勤になった
 原発近くでの仕事

 福島に引っ越しをしようか、と聞いたら
「原発近くにいるより、
 仙台にいてくれた方が安全だから」
 めずらしく優しい言葉だった

 せっかく故郷を離れて
 仙台に住んでいても
 我が家は単身赴任ばかり
 家族が一緒にいる時間は少なく
 息子にとっても
 お父さんがいない生活が
 当たり前になっていった

 仙台に残ることになって
 正直、どこかホッとしている自分がいた
 息子の主治医から絶対に離れたくなかった

 私が八年間出会った医師達は
 ADHDも見抜けず
 様子を見ましょう、としか言わなかった

 治療すらなかった日々に
 絶対に戻りたくなどない

 息子の知能指数は七十もなく
 知的障害と呼ばれる域だった

 まだまだ
 なんとかしなければ

 息子のADHD発覚に伴い
 私の父もADHDだとわかった
 父はADHDの特徴を兼ね備えていた

 友達もおらず
 兄弟からは嫌われ
 最後は親からも見放された
 会社はすぐクビになるため
 履歴書には書ききれないほどの
 会社名が並ぶ
 車を運転すれば事故ばかり
 そして
 感情のコントロールができす
 私を虐待し
 最後には気が狂って
 精神病院に入院

 誰からも馬鹿にされる父は
 家の中では王様でいたかった

 自分の子供が二人とも進学校にいるのが
 気にいらなかった

 親より子供の頭が良くなると
 今度は子供に馬鹿にされるからと
 私の大学進学は断固反対

 勉強していると、虐待されたのは
 そういう理由だった

 自分が就職できないのに
 娘は就職して
 自分より稼いでくる

 気に入らない
 アイツは気に入らない

 私の仕事先にも電話して、言った
「あんなヤツ、よく雇っているな」

 その電話を受けたのが
 父の同級生でもある
 あの、セクハラ部長だった
「あんな父親がいたら、
 お前は幸せにはなれないなあ」
 しみじみ言われた

 父の言動は全てが謎だった

 今さら
 病気のせいだった、とわかっても
 許せる気持ちにはなれない

 確実なのは
 私の息子に隔世遺伝した
 それだけだ

 絶対に、息子を父のようにはしたくない

 あとから知った話
 弟も同じ想いだったと聞いた

「父のようにはなりたくない」

 その一心で勉強も頑張った
 虐待の対象にならないように
 空手も習った
 大手の会社に就職はしたが
 思うように仕事ができず
 会社で馬鹿にされて、鬱病発症
 弟は弟で頑張っていたのに
 全てがうまくいかない

 母のお葬式の後は
 自分まで気がおかしくなって
 救急車で運ばれた
「こんなんじゃ、オヤジと同じや。
 俺は、オヤジみたくなりたくないんや」
 そう言って
 救急車の中でずっと泣いていたらしい

 父を反面教師としていたからこそ
 幼い頃から頑張ってこれた
 それなのに鬱病になり
 結婚したばかりの最愛のお嫁さんと、
 一歳になったばかりの
 可愛い我が子に刃物を突きつける

 弟の中で
 こんなに悲しいことはなかったに違いない

 やりきれない
 なんて
 やりきれない話なんだろう

 皆が泣きながら頑張っていた

 息子の主治医はADHD治療では日本一
 そう言われるだけあって
 厳しいこと、この上ない
 息子はいつもお風呂場で泣いていた

 治療の途中で
 息子は自分が何もできないことに
 気がついた
 主治医は
「ほう、ついにそれに気がついたか!」
 そう言って喜んでいたけれど
 息子の頭にはハゲができていた
 十円玉ハゲなんてレベルではない
 五百円玉くらいもある、大きなハゲ
 息子の抱えるストレスの大きさを知った

 柔らかい言葉と
 柔らかい考え方が必要だと知り
 優しく接した
 どんな窮地に追い込まれても
 こういう考えがあるんだよ、
 だから大丈夫!
 そんな知恵を授けてあげることが
 必要なんだと学んだ

 子供を育てるということは
 人間を育てるということ
 だからこそ、子育ては難しい

 小学五年生くらいだったと思う

 息子と二人
 近所のスーパーで買い物をしていた
 息子の大好きなお菓子
 ブラックサンダーの袋詰めを見つけ
 私は三百円を渡して
 レジが終わるのを待っていた
 息子は長い列を並び
 ようやく自分の順番がきた時
 レジ横にある
 ネパール地震の募金箱を見つけた

「これ、買うのやめていいですか?」
 店員さんに伝えて
 握りしめていた三百円を、募金箱に入れた

 レジの人が優しく聞いてくれた
「ボク、このお菓子が欲しいんでしょう?
 募金してしまって、いいの?」

「ボクのウチも地震の時、
 たくさんの人に助けてもらったから
 いいんです」

 そのやり取りを見ていた
 周りの人達が感動して拍手をした
「こんな小さな子が我慢して」
 と、涙を流していた人もいたそうだ

 それなのに
 自分が何かおかしなことをしたのだと
 勘違いし
 息子はずっと泣き続けていた

「お母さんがくれたオカネだったのに、
 ごめんなさい」

「いいの、いいの。
 ウチが募金で
 いろんな人に助けてもらったから
 自分も誰かを助けたかったんやよね。
 でもさ。
 募金をするなら、
 誰かのオカネじゃなくて
 自分のオカネ、お小遣いですること。
 そしたら、お母さんに
 ごめんなさい、って
 言わなくてもいいよね」

 私は息子が誇らしかった
 ADHDは、人の気持ちがわからないと
 言われることが多い

 だけど、この子は
 本当に優しい気持ちを持っている

 このまま育っていってほしい

 オカネの使い方も
 そんなふうに
 一つ一つ
 丁寧に教えていった

 金銭感覚は人それぞれ
 何が正しいかなんて
 考え出したらワケがわからなくなる
 私が正しいと思ったことを
 教えていくしかないのだ

 私はそう割り切っていた

 ちょうどその頃から
 旦那はまた
 消費者金融に手を出していた

 なんとなく、わかってはいたが
 私は息子を育てることに必死だった
 息子を一人でメシが食える大人にする
 それが子供を育てる軸となっていた

 息子が中学二年生の終わり頃
 新聞の片隅に、私のことが載った
 本当に小さな記事だった

 隣人にストーカーされて
 車のフロントガラスを素手で割られた

 隣人が怖くて
 私は引っ越しを考えた

 ずっと賃貸マンションに住んでいた
 仙台には十年以上住んでいるし
 こうなったら
 マンションを買うのもいいかな、と
 不動産屋に行った
 ところが住宅ローンを組むのに
 銀行審査がなかなか通らない

 もしかして、と思った
 何度か旦那を問い詰めると白状した
「実は、借金がある」

 情けないことに
 自分が今までどこから借りて
 いくら借りたのか
 さっぱり、わからないと言う

 とりあえず金融会社に
 残債を調べてもらってるから
 その結果を見てほしい
 郵送でそっちに届くようにしたからと
 旦那はもう謝りもしなかった

 何に使ったのかと聞けば、
 毎週末
 仕事終わりに
 十人ちかくの作業員を連れて
 何軒もの居酒屋をハシゴする
 全てのオカネを出す
 自分の見栄のためにした、借金だった

「家族が泣く顔より
 作業員が喜ぶ顔の方がいいってこと?」

「そういうことだな」

 私は崩れ落ちた

 この人は一生を添い遂げる人ではない
 ごめん、お母さん
 私が自分で選んだ人だけど
 添い遂げることはできない

 母は私が幼い時から言っていた
 真面目に仕事をする人と結婚しなさい
 それが一番
 間違いないのだから
 私もそれを信じた
 そして
 真面目に仕事をする人を選んだ
 その結果がこれだ

 家庭を犠牲にしてまで働く人だった
 土曜も祝日も仕事をしていた
 休みは日曜日だけ
 本当によく働く
 それは間違いなかった

 金融会社から
 旦那が言っていた手紙が届いた
 今まで手にしたこともない分厚い封筒
 A4用紙十八枚
 旦那の借金履歴、全てがそこにあった

 私と知り合う前から
 借金まみれの男だった

 バレてはゼロになる
 そんなことの繰り返し
 周りの人が助けてくれた履歴も
 そこにはあった

 明細書を持つ手が震えた

 まるで銀行のATMで
 自分のオカネを引き出しているかのよう

 この人にとって
 カード一枚で借りれるATMは
 まさにそうだったのだろう

 毎月七万もの利息
 それを返すために、さらに借りる

 二十五才から、二十一年間
 そうやってオカネを借り続けた

 こんな人を好きでいたなんて

 苦しい
 胸が苦しい
 どうやって息をしたらいいのか
 わからない
 呼吸が乱れていく
 これは何?
 過呼吸?

 私を打ちのめすには
 十分すぎる内容だった

 数日後
 旦那がいきなり帰宅して、土下座をした

「今まで、借金ばかりして
 本当に申し訳ありませんでした。
 別居したいなら、別居する。
 離婚したいなら、離婚する。
 でも、親の介護だけはしてほしい」

「お前なんかに面倒みてほしくない、
 って言ったのはあなたでしょう?」  

「だったら、
 葬式くらいは出てもらってもいいだろ?」

 そう
 結婚した時から、ずっとそうだった
 面倒なこと、厄介なことは
 いつも私に押し付け
 嫁としての役割を求めているだけだった
 そんな申し出が
 私を傷つけていることすら
 この人は全く気がついていない

「お母さん、辛いね」
 息子が察してくれている
 もう、それだけで十分だと思った

 息子の主治医に、事の顛末を話した

「旦那さん、反抗期がなかったのなら
 これから手がつけられなくなるな。
 感情のぶつけ方を知らない人間だよ。
 しっかり見ておくといい」

 それはすぐに現実となった

 弁護士を通しての、債務整理
 オカネが自由に使えなくなった旦那は
 私の手には負えない存在になっていた

 反抗期のない人間は
 感情の抑え方を知らず
 怒りの矛先をどこに向けたらいいのか
 自分自身のコントロールもままならず

 悲しくも、その姿は
 気の狂った父そのものだった
 切っても切っても
 私の人生にまとわりつく父の姿

 もう、限界だ

 この人は父のように
 殴ったり蹴ったりはしない

 それなのに
 虐待されていた時より
 身も心もボロボロになっている私がいた

「死んで」と、旦那に言った

「は?お前、何言ってんの?」

 軽蔑されて、電話を切られた
 約束は覚えていなかったようだ

 旦那とは最悪の仲になった

 運命は皮肉だった

 子会社から親会社に出向する話がきた

「年収一千万になるぞ」と、言われて
 旦那はその足で銀行に行き
 自分の給料の振り込み先を
 私の知らない、違う銀行へと変えた

 俺が一生懸命稼いだ給料を
 嫁に管理されたくない、と
 いつも言っていたそうだ

 その日は
 息子の中学校の最終面談だった
 志望高校を決めて
 願書を受け取るという大事な日

 息子のレベルで入れる高校はなく
 私はいつも頭を抱えていた
 それを知っていて、こんなことをする

 面談中にもメールが入る
「通帳とハンコ、よこせと言っただろう」

 もはや自分のことしか考えていなかった

 心の中で寂しい風が吹く

 こんな人ではなかった
 本当に優しい人だった
 私が変えてしまったのだろうか
 それとも私が見抜けなかっただけなのか
 答えを導き出したところで
 結末は変わらないだろうに
 ついつい頭で考えてしまう

 中学校の長い廊下を
 涙が出そうになるのを堪えて歩き
 体育館のそばの、人目につかない場所で
 声を殺して泣いた

 オカネには魔物が住む、というが
 どうやらそれは本当のようだ

 結婚して、十七年

 年収一千万になった途端
 私と息子を捨てた

 私にとっては二度目の家族崩壊

 好きな人は
 追いかければ追いかけるほど逃げる
 だとしたら
 幸せも同じで
 追い求めすぎると
 離れていくものなのだろうか

 一度は好きになった人
 何があっても、こんな人ではない
 私が好きになった人は、こんな人ではない
 そう思ってここまでやってきたけれど
 こんな人だと認めたくなかっただけ
 自分の考えの甘さに反吐が出る

 給料を止められたことで
 引き落としが出来なくなった
 電気、ガス、水道が止められそうになり
 私は慌てて銀行に飛び込んだ
 ライフラインがこんなにもすぐに
 止められることに驚いた

 ATMで振り込みをする手が震えていた

 セクハラされた時の記憶と重なった
 そうだ
 あの時の私も震えていた
 ロッカー部屋で、
 車の中で

 ずっと忘れていたことだったのに
 なぜだかいきなり
 昨日のことのように
 頭の中を駆け巡っていく
 悲しい時に悲しい記憶など必要なかった

 私は何か悪いことをしたのだろうか

 外では初雪が降り始めていた

 寒い

 東北の寒さはよそ者には寒すぎる

 故郷から
 こんなに遠く離れた所までついてきて
 縁もゆかりもないこの土地で
 まさか放り出されようとは
 思ってもみなかった

 これが
 幸せになりたくて
 幸せになれなかった、私の結婚の結末

 穏やかな生活がしたい

 毎日
 家族で笑ってご飯を食べる
 子供が寝た後
「今日もお疲れ様」と、夫婦で晩酌する
 それだけの願いが
 どうして
 神様には届かないのだろう

 特別な幸せを求めたわけでもないのに
 叶わないどころか
 地に叩きつけられてしまった
 心の芯まで寒さが、悲しみが沁みてくる
 細胞までもが悲鳴を上げているようで
 自分で自分を抱きしめて
 慰めるしかなかった

 弟に話した
「二度と電話してくんな」  
 そう言って、電話を切られた
 オカネのことで
 私が頼るとでも思ったのだろうか
 そう
 もともと、そういう人間だった

 義父と義母には責めたてられた
「嫁の管理不足だ」
「あの子は嘘なんかつかねえ!
 絶対に、嘘なんかつく子ではねえ!」
 私を全否定してまで
 我が子を必死で守ろうとする義親
 旦那には帰る家があって
 何をしても
 こんなに守ってくれる親がいる
 なんて羨ましい
 恵まれた家庭の中で育ったことを
 当たり前だと思っている旦那
 私には帰る実家もなく
 味方すら一人もいなかった

 人間の感情は厄介だ

 旦那のことが好きだった
 一生を共に生きていく
 誰よりも誰よりも大切に想い
 心の底から好きだった
 まさか、その分が恨みとなろうとは

「騙してまで
 結婚したのが最大の間違いだった」
 最後の最後に言われた言葉

 人を騙した側が
 騙された側の人間に言い放つ

 その瞬間から
 とことん
 私は恨みに支配された

 人を恨むことはパワーがいる

 誰も恨みたくはないのに
 恨んでしまう

 旦那を恨みたくないのに
 許したくない自分がいる

 あれから
 二年経っても三年経っても
 しつこいぐらいに恨みが消えない

 こんなに人を恨むなんて
 自分はおかしいんじゃないかと思う
 こんな自分がつくづく嫌だ

 ボロボロになっていく私を見た、
 近所の診療所の先生が話を聞いてくれた

 そして、優しく言った

「ほとんどの人はね、
 自分がおかしいとは思わないんだよ。
 誰かを悪者にしておけば、
 そっちの方が楽なんだから。

 自分がおかしいと思う人は
 高尚な人間なんだと
 私は思うよ。

 人を恨むことは、誰にだってあること。
 恨みたくないけど、恨んでしまう。
 とても人間らしい感情だよ。
 おかしくない。
 全然、おかしくないんだよ。

 気持ちが楽になる薬だってある。
 薬の力を借りたっていいのだから、
 これ以上の無理はしない方がいい」

 年配の人が言う言葉は
 本当に重みがある

 私は診察室でポロポロと涙をこぼした

 あんなに悩み苦しんだのが嘘のように
 心が軽くなっていくのを感じた

 人に恨みを持つ私はおかしくない

 嫌な自分を受け入れて
 認めてあげたら
 恨みは消えていくのかもしれない

 今夜こそは眠れますように
 願いながら呑んでいたお酒は
 その頃から
 自然と断つようになっていた
 一升瓶にぼんやりと映る自分の姿が
 少しずつ老いていく
 故郷を離れて友達がいない私には
 そんなことすら寂しかった

 試練だらけの人生だった

 人生、いい事よりも悪い事の方が多い
 母の手紙に書いてあった

 確かに私の人生は
 山あり、谷あり、谷ばかり、だったけれど
 その方が人生の景色は綺麗なはずだと
 信じて生きてきた
 この生き方に悔いはない

 私の人生で一番の自慢は
 息子を生んだこと

 死産
 流産は何度も経験した

 生まれてきてくれたのは
 息子一人だけだった

 息子も何度も何度も
 流れそうになったけど
 必死でお腹にしがみついてくれた

 なんて生命力のある子供なんだと
 思わずにいられなかった

 兄弟をいっぱい作ってあげたかった

 なのに、一人っ子にさせてしまった

 頭にハゲまでつくるほど
 あなたは
 本当に頑張り屋さんだった

 頑張って
 頑張って
 出来ないと言って
 いつもお風呂場で泣く

 お母さんは
 そんなあなたを見るのが
 切なくて悲しかった

 頑張りすぎるあなたが
 少し心配です

 疲れた時は休んでもいい

 あなたの前で
 ずいぶんと
 お父さんとお母さんは歪み合った

 離婚しないで
 仲良くしてと
 いつも泣いていた

 温かい家族がほしい
 私が願っていたように
 あなたもそう願っていた

 温かい家族とは程遠い家族

 寂しい思いをさせてしまった

 だけど
 あなたは誰よりも優しくて
 まっすぐに育ってくれた

 もうすぐ社会人になる
 私や弟が父を反面教師としたように
 あなたも父を反面教師として、猛勉強
 夢に向かって頑張っている

 あなたを支えてくれた人が
 たくさんいたことを
 忘れないで

 自分の命より大事な命があると
 あなたを生んで知った
 あなたがいたからこそ知ったことだ

 どんな形でもいい
 幸せになってほしい

 あなたは、絶対に幸せになれる


 私はそう信じている



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